#186 ヒトとオオカミの駆け引き
決して楽なことばかりではなかった、むしろ苦労ばかりだった思いでしかないネラガを発つ日が、とうとう明日に迫っていた。
もちろんそういう時に限って災難に遭うのは、アルにとってはもう恒例の事態だった。
◇
「ツバキだ」
「わんわんっ。はへはへはへ」
バルオーガから、それはもう嬉しそうにぶんぶんと尻尾を振りながら駆け寄ってくる人懐っこい白い犬を紹介された。
アルの記憶には存在しない、初めて目にするそんな愛らしい犬はツバキと呼ぶらしい。
「いやこれ……」
「ああ、今朝見たらこれだ。身代わりを置いていった」
「やっぱり別個体……それで、アイツはとうとうこの屋敷から出てったんですか?」
バルオーガの父や祖父、さらにその上の何代にもわたって屋敷に寄生してきた聖獣が出ていって嬉しい限りなのだろうが、それほどの長い付き合いであれば情というのができるのはおかしくなく、どこかその顔には暗い影が差して浮かない顔だ。
「いや違う。ツバキは私の監視を逃れて、どこかに隠れ潜んでいる。というのも」
「というのも?」
「明日に迫っている飛空艇の出航。そこへ密航をするつもりだからだ」
「んなっ!? ……俺が原因っぽいですかね、やっぱり」
少し言葉に悩む素振りをしてから、バルオーガはそれを認めた。
「ツバキが望んでいることだからな。本物の四竜征剣を持つという、パートナーである神を探し出す。そして人が作った贋作とはいえそれを多数所持しているアル君の、その影響力を利用せんとしている」
「なるほど……」
「私も監視を絶やさないようにしていたが……申し訳ない、このざまだ」
「そんな、悪いのはツバキなんです。頭を下げないでください」
バルオーガはそれでも謝罪をしてから、重ねて苦労をかけるが、と言って依頼を持ちかけてきた。
「飛空艇には一切犬を搭乗させないようにする。貨物なども徹底的に調査させる。だがそれだけでは密航対策は不十分。ツバキには他の人間に成りすます、変身の能力があるからだ。そこでアル君、”狼探し”のゲームを開いて、ツバキを見つけ出してほしい」
「お、”狼探し”……? 聞いたことありますけど、あの例のやつですか?」
「うむ。人間と、その人間に化ける狼の化け物などの役をくじ等で決め、交わした会話から推理して化け物を全て処刑できれば人間の勝ち。逆に化け物が人間を全て殺害、および騙して処刑させれば化け物の勝利というあれだ。メンバーはこの屋敷で生活していて、飛空艇に乗る予定の人間」
つまりコトハ、サジン、オルキト、レーネ、オルフィアの5人だ。
「オルフィアやオルキトほどではなくても、半年の間ともに生活していれば、ある程度自然な振る舞いはできる。今までそうしてきたキャリアもかなりあるからな。たださすがに見ず知らずの冒険者になっては、すぐに仲間に不審がられる」
「そうか……確かにそうですね」
道具などで必要なものがあったら手配する、多少強引なところがあっても私からの訓練という名目にすれば不自然にはならないから平気だ、とバルオーガは全力の支援体制であることを表す。
ただ最後に不穏な言葉を口にする。
「ただ私がそうであるとも限らないからな?」
「えっと……い、いやいやまさかそんな冗談を。自分に不利になるようなことを言いますかね?」
「私達の間で秘密の質問でもあったらよかったんだが。そうなれば私と、アル君の潔白も証明できた」
「俺も……ですか」
「気分を悪くしたなら申し訳ない。しかし、確実に証明できない限りは、こうして目の前の者を全員疑うようにしてくれ」
◇
『まあ俺は俺だ。間違いない。バルオーガさんも、ああは言ってたけどきっと本物だ。もしツバキだとして、わざわざ自分を探させるようにするのは、それはそれで現場を混乱させるために逆にそういう行動に移ったとも考えられる。けどそもそも飛空艇に搭乗の予定がなくて、そうでなくてもギルドマスターっていう普段から忙しい立場を完璧に振る舞うなんて面倒なことをアイツがするか? いやしない』
散々振り回されていた経験からツバキの考えを推理、バルオーガは潔白だと断定したアルは、容疑者の中で一番信頼できる者から味方につけることにする。
◇
「俺はショートケーキのイチゴ、いつ食べる?」
「? チョコクリームのケーキしか食べられないでしょ」
「よし、本物だな」
「……どうかした?」
とりあえずなにも考えず聞かれたことに答えたコトハ。
アルは誰にも話すことがなかった、本当に些細なことで確実に本物だと証明したので、無表情ながら戸惑っている様子のコトハに事情を話した。
「ふむ。バルオーガさんの提案した訓練で、さっき話したメンバーの中に偽物が紛れ込んでいる、と」
「ああ、それでまずはコトハからあたった」
「確かに私達だけの思い出を知ってるはずないもんね」
「そういうこと。それで、次に味方につけたいのがいて、これがまた一番厄介なんだが……」
「いいよ。手伝う」
◇
「あ、ビーツとワインビネガー落ちてる」
屋敷の庭に無造作に転がっていたそれらを、少女が拾い上げた。
「どうでしょうコトハさん。俺はあの全ての行動に、かなりレーネ感を見たんすけど」
「……もっと他の方法なかった?」
「じゃあ次はなにを置いてみる? ビネガーの瓶はともかく、地面に直置きだったビーツをとりあえず拾っちゃうのはレーネに違いない」
「いや、レーネじゃなくても拾うでしょ」
「ビーツを? コトハは拾う?」
「……まだサンプル数が少ない。これは他の野菜でも要検証の実験とする。次の野菜を用意して」
「チコリーとか売ってたかな」
「なにしてんの2人とも」
「「あ」」
声を控えるべきだったが既に間に合わず、右にビーツ、左にワインビネガーを持っていたレーネが半目を作って物陰にいたアル達をじっと見ていた。
◇
観念してレーネの前に立ったアルとコトハは、まず仲間に成りすましている者の存在を隠して、ゲームを通してボロを出させようとするために”狼探し”をしようと誘った。
「え、アンタまさかタイムスリップでもした? 何年前のゲームよ」
「ああ、一時期はすごい流行ってたらしいな。周りであちこちやってたのも知ってる」
(※アルにコトハは誘える相手がいなかったので全くなんの経験もなかった)
「まあいいじゃん。ほら、コトハもこの通りやる気だし」
「はあ、別に構わないけど……」
「それにだ。その何年前と違って今回は特別なルールがある。『冒険者としての能力は使用してもいい』だ」
アルがレーネを2人目に味方として誘った理由は、彼女だけの能力があったからだった。
「そう。鑑定眼も使っていい」
自身を聖獣だと明らかにされるのを嫌うツバキは、体内にしまう装備品である四竜征剣を暴くことができるレーネの鑑定眼をとにかく嫌っていた。
いくら上手く取り繕っていても、それにより動かぬ証拠を突き付けられるのだ。
「でも今日はあと1回しか使えないけど」
「……え?」
「ほら、今朝スイカ買ったじゃない」
「いや知らんよ」
「今冷やしてもらってる」
「知らないって」
「で、いいスイカ欲しかったからさ。そしたら2回で当てられた」
「貴重な2回を使うなよな!? たかがスイカで……」
「はあ? じゃあ食べなくていいし!」
しばらく言い争うことになったが、むしろこういうことをするのがレーネだ、とコトハになだめられて、馬鹿馬鹿しくなったアルが謝って終わった。
◇
ひとまず2人、容疑者とのコンタクトが終わった。
残った容疑者もそのまま1対1で様子を見たかったが、レーネを誘ってしまったのが運の尽き。
仕込みを疑うほど手際よく容疑者たちと、ゲームマスターとしてキーヴまで連れ大部屋に集めて、”狼探し”を始める準備をしてしまっていた。
『こうなった以上は仕方ない。お姉さん、オルキト、サジンそれぞれの見分け方をするか……』
アルは本来の狼探しに使う配役のカードなど一瞥もせず、まだ会話を交わせていない3人へ注目する。
『まずはお姉さんだが……これは最初からシロだと決まってる。そう、飛空艇に乗るからには、安全安心な航行には船長たるお姉さんの存在は欠かせないからな。もしかしたら操縦にそれほど深く関わっていないかもしれないけど、バルオーガさんと同様に忙しい立場の人間にわざわざなりすましはしないさ』
勝ち誇ったように切ってもらっていたスイカを刺して一口食べた。
本当に新鮮で甘くておいしかった。
「アルさん。処刑されましたよ」
「あ? なんだって?」
「いや、村での投票の結果、化け物の疑いをかけられて処刑です」
「えー……」
実際、それほど考え事に没頭していなかったはずなのに最初の脱落者となってしまった。
『……この面子なら納得だ』
だいたいの犯人の目星はついていた(オルフィア、レーネ、あとはふざけてコトハが入れただろう)。
オルキトから配役のカードは伏せたままで、と注意はされたので見るだけにしておいた。
村人だった。
『完全にとばっちり……』
人生初の”狼遊び”は結果を残せず終わった。
『ええい、次だ。順番的にオルキトか』
『ネラガに置いていけば確実に安心だな』
『と、俺が思いつくことはツバキは読んでるだろうな。それで実際にそうしたら、陰からその揉めてる様子を見てほくそ笑むんだろう。が、そうはいかない。その鼻をあかしてやるぜ』
オルキトには先日の貸しもあったので、そういう非情な妥協案に甘んじることはせず、確実にツバキを特定してやろうとアルは決めていた。
『しかしそれは証明とするには弱いな。俺とオルキトなら秘密の質問でもありそうだが……うーん』
ユンニでのジェネシスとの交戦の経験、ツバキが頑なに贋作としか呼んでいない四竜征剣についての知識など、ぽつぽつと質問の候補は思いついた。
なにも1つでしかいけないという決まりもないので、それらを重ねて聞けば証明はより確実にできたので、残った容疑者──ある意味一番の強者へと視線を向け、ぐっと息を呑む。
アルにとっての強者、サジンだ。
『精霊は肩に乗せてるからつい信じそうだが、精霊の知能が本物の主人を見極められるか、だ……それに、自称だけど聖獣のツバキならああいう聖なるものは簡単に懐くものなんだろうか。あー、聞いとけばよかったな』
自分の準備不足を嘆きながらも思考を巡らせていると、近づいてきた人影によりふっと視界が暗くなる。
「うう……脱落してしまった」
肩を落として悔しがっているサジンだった。
脱落者としてゲームの舞台ではない椅子だけの場所で、アルの隣に座った。
「お、おう」
「顔に出やすいタイプらしくてな。アルは脱落してるから言うけど、人間側なのにやられた」
「どんだけ不自然な演技だったんだよ」
「そういうアルは?」
「……おんなじ。見事にやられた」
「え、それはすまない」
「まさか俺に投票した?」
「うん、まあ」
お茶目なところもあるんだな、と一瞬思ったがゲームの都合上、それは別におかしくなはない行動だった。
苦笑いをしてその場をしのぐ。
『今なら2人きりか……ちょうど前の──で、デート……。秘密の質問には困ってないから、これは好機だ』
あのさ、と声をかけようとして寸前で思いとどまる。
『いきなりそんなこと話し出してどうする? なにか変に思われたりしないかな……きもくない?』
アルの自意識過剰は悪い方向にはまっていく。
『そもそもこんな仲良く話しかけてくれてたっけ……? 俺の独りよがりで勝手に親しいとか思ってるだけじゃない?』
「おーい、アルー……? まだ次のゲームだってあるんだから、そう落ち込むなって」
「……別に違うもん。すねてないし」
サジンのズレた慰めは無視して、次回のゲームまでオルキトとサジンの判断はじっくりと先延ばしにすることにした。
◇
『レーネって左利きだったっけ……?』
容疑者を2人に絞っていたはずが、次のゲーム中にレーネへの容疑が再浮上した。
正確には疑いが晴れていたわけではなかったのだが、ともかくアルは疑心暗鬼になっている。
『レーネの潔白を証明するなら鑑定眼……ただ今日の限界はあと1回のみ。上手くいけばそれを使ったレーネに、四竜征剣の有無を確かめたもう1人で、最大2人の潔白がわかる』
「アル君、調子はどう?」
「ん……コトハか。レーネの使いどころを迷ってるところなんだが……」
「今さらだけどさ」
「おう」
「鑑定眼の日ごとに上限があることとその回数を、本人の証言そのままに信じていいのかな。もしかしたら偽物のでたらめとも言い切れない。鑑定眼を使うふりをされたらなにもかも信じられない」
「ほんと今さら……気づかなかった俺もそうだが、うん」
悩むアルは目の前にあったものにさらに悩まされる。
「でもこのスイカを選べてるんだよな……普通においしい」
「もう一度スイカを見てもらう……いや違う……ねえアル君、レーネだけになっちゃうけど確実に潔白を証明できる方法を思いついたんだけど」
「ほんとか!?」
「うん。アル君の今の四竜征剣の所持状況を見てもらう。組み合わせの数は心もとないけど……特定の組み合わせのうちの1つを、ぴったり言い当てられるのは鑑定眼を持つレーネだけじゃない?」
「なるほど……確かにアイツは匂いだけで、数と種類まで詳しくわからないんだった……」
「アイツ? 匂い?」
「ううん、なんでもない。じゃあコトハ、早速だがレーネを上手く部屋から誘い出しておいてくれ」
一旦自室に戻ったアルは適当に四竜征剣を体内から出して、すぐに皆がいる部屋の方に戻っていく。
「悪い、待たせた」
「こっちは準備いいよ」
「なに? どういうこと?」
部屋の外ではコトハにレーネが待っていて、戸惑いながらもレーネは言われるまま鑑定眼をアルに対して発動した。
結果はシロだった。
アルの四竜征剣の所持状況をぴたりと言い当ててみせたのだ。
「……ああー、本物だったなら別のに使えばよかった……もったいない……」
「仕方なかったよ。正確な情報を得られたんだから切り替えて」
「ほーい……」
部屋に戻る前にアルは気になっていたことをレーネに尋ねた。
「え? 私、両利きなんだけど。それがなに?」
◇
「──アル君。どうだ、ツバキは誰になりすましていたかわかったか」
狼探しでしばらく遊んだ夕方過ぎ、アルはバルオーガの部屋を訪ねてツバキの行方を捜査した結果を報告しに来ていた。
「最後の2人までは絞り切れました。それが俺ができる最大限の努力でした」
「2人、か……いや、十分に頑張ったほうだ。後は私の方で違う対応を……」
「これから最後の1人に絞っていきます。まだ、俺の捜査は終わってませんよ。少しお騒がせしますが、協力をお願いします」
「策を聞こうか」
「はい。大規模な作戦となりますが、相手が相手です。決して大げさではない。飛空艇は一度普通に出発しますが、飛空艇の不備を装って、ネラガに引き返します。それまでの空の密室で正体を暴きます。お姉さん、いえ、オルフィアさんになりすまそうとしている奴の」
──しかしこの策は結局無意味になることなど、誰も知る由がなかった。
◇
自分の感覚では真っ直ぐ進んでいるつもりでも、船での航行計器などで測らなければずれがあり、そのずれはわずかであっても船が進めば進むほどその距離に応じて本来の目的地との誤差は大きくなって、まさかそれを丸一日したとなればほぼ確実に遭難してしまう。
「ジョー、進路は問題ないか」
船室からそう呼びかけると、目盛付きの半円に針などが無造作にくっついた道具を手にしていた若い男、ジョーが元気な返事をした。
照明で明るく照らされた船室と壁一枚隔てただけの甲板は薄暗く、星と月の光しかない。
天候はここ数日穏やかで、波の音も沖の方では静かだ。
「ホシ……ハ、ワカル……?」
「む? なんだろう」
ジョーは演技っぽくそう言って、辺りの物陰を探し始める。
こういう夜に幽霊とかのふりをして脅かしてくるのは別にいつものことで、やれやれと呆れつつも付き合ってやる。
「ドコ、ミテル」
「んー?」
今度のいたずらは凝っているな。
声がするのは海の方で、ロープでも使って壁に張り付いているのか。
たかがいたずらに危ないことをするなあ、と船から顔を伸ばして壁を確かめようとすると、気づかぬうちに船が艦橋を越えるほど大きな岩のすれすれを通っていたので思わず手すりにつかまって身構える。
幸いどこもぶつけることがなかったようで衝撃はなかった。
「ハヤクシナサイ」
「……へ?」
今、この巨大な岩が喋ったか?
どうやったか知らないが誰かが張り付いていないか、暗闇に目を凝らすがどこもかしこも真っ黒で、岩肌の質感も全くわからない。
いや、つやつやと光沢がある植物のようなふさふさしたものが生えているのがわかった。
「トマレ」
ぎぎ、ぎ、と船が大きく揺れる。
しまった、暗くてよく見えなかったがふさふさの植物らしきものは横に大きく伸びていて、船に引っかかってしまったようだ。
それもかなり丈夫なようで、数か月分の食料を積んでいてかなり重いはずの船が完全に止まってしまう。
船に異常があったと気づいた他の船員たちもざわつきながら甲板に出てきてあちこちきょろきょろしていた。
「あー、変な植物に引っかかっちゃったみたいだ。木工道具を持ってきてよ」
「あ……あ……おい、それはなんだよ……」
「?」
「そのバケモンだよ!」
腰を抜かしていた船員に指し示された方を見てみると、真っ暗な空に浮かんでいた赤い月が見えた。
「な、なに? 月があんな赤くて、こんなに近いなんて……」
「月じゃねえ! バケモンの目だ!」
「……! ひっ……」
赤い双眸が甲板にいた人間を一通り眺め、最後にジョーのところで止まった。
「に、逃げろ! こっちだ!」
「ガウウ……」
走り去ろうとするジョーを、またひとつ生えてきたふさふさの植物が阻む。
ふさふさの植物だったと思われたのは、化け物の腕であって、黒い毛は月の光でつやつやと光っている。
「あ、ああ……山より大きな体、夜のように黒い体毛……ウミボウズだ……」
「……なに? そのウミボウズって……」
「ネラガの海にいるとか言われてる伝説の害獣、ウミボウズ……船乗りに質問をして、それに答えられれば助かるとか伝えられてるけど……」
「そうなの……? くっ、ウミボウズ! 聞こえる!?」
勇気を振り絞ったジョーは見上げるほど大きな害獣、ウミボウズに呼びかける。
「な、なにが聞きたい……?」
「よせ、ジョー! 無謀過ぎる!」
「みんなはそのまま避難してて! それから脱出する準備も!」
ジョーが自らの身を犠牲にした時間を無駄にせぬよう、船員たちは悔しそうに唇を噛みながらそれぞれができることに奔走する。
「さあ、なにを聞く?」
「……ユンニ、ハ、ドコヲメザセバイイ。メジルシ、ハ、ナニ?」
「ユンニ……って、あのユンニ……?」
大きな頭を縦に振った。
「ええと、ウミボウズの知能がわからないから、どれくらい教えた方がいいかな……ねえ?」
「な、納得するまで、それはもう丁寧に教えるんだよ! うちのチビに教えたことあるだろ、あんな感じだ! たぶん!」
「……ウミボウズって文字は読めるのかな」
「いや、無理だろ。一晩かかってでもいいから全部口でだ。き、機嫌損ねないようにな、いいか子ども相手にする感じで……」
途端、ぐわんぐわんと船体が揺れた。
船の至る所から悲鳴が上がって、夜の海にやがて解けていく。
「モジ、ハ、ワカル。タダシ、テイネイニカキシルセ。フビ、ガ、アレバ、ワカッテイルナ」
「しょ、承知……」
ジョーは目を回しながらも漏れなくユンニへの航路を書き記したものをウミボウズに渡すと、すぐにその航路通りにざぶざぶと波をかき分けながら去っていった。
「ウミボウズって4足歩行なんだね……あはは、貴重な経験した」
「呑気な奴……あー、死ぬかと思ったぜ」
◇
無謀だった航海はもちろん一晩で終わるはずがなかった。
手ごろな島を見つけ、陸に上がったツバキは、泳ぐときはいつも、夜に紛れるために黒くしていた毛を元の白に戻し、本来の大きさから、人間社会で過ごすのに最適なサイズの、大型犬ほどに縮む。
「しかしウミボウズだの害獣だのと失礼ねまったく。銀河渡りの巨人ぐらいに大きくなれれば、文字取りユンニまで一跨ぎだったけど、あんなに大きすぎたら体のバランスめちゃくちゃですぐ転んじゃうのよね……」
ぶるぶると体の海水を払って、人間が住むところまで腹ごしらえに向かう。
適当に愛嬌を振る舞えば人間からご飯をもらうのは容易だった。
「あーあ、海水はせっかくの毛並みが痛んで嫌だわ。けど飛空艇も乗り心地は最悪だし……水浴びもしたいー」
もちろん出航直前はとにかく余裕がなく、日をまたいでレーネの鑑定眼の使用回数が満タンの3回まで回復していると、アルはまず確実にレーネとその鑑定眼が正常なものだと、昨日と同じ手段で確認を済ませた。
そして万が一の予備を含めた残りの2回をオルフィアに使う、然るべきタイミングを見極めるために緊張して落ち着けないでいた。
「なんだよ、怖い顔してるな」
声をかけたきたのはシオンだ。
しかし、見送りにきたにしてはやたら大荷物だったことに無視できない違和感があった。
「それは?」
「取材という名目で乗せてもらうことにした。純粋に取材目的ってことでバルオーガさんに特別なにか手を回してもらったりはしてないから、今はただの作家のシオンとして扱えよ。そのために自腹切ってるんだから」
「待て、待て待て待て、確かめることがあるから……」
アルが懇願するが、当然変身を拒むシオン。
それからはシンジツコンパクトを通してきんきらの、それから自宅に入り浸るほど親交を深くしていたコトハなど、持てる力を全て持ってして、くたくたになりながらもシオンの潔白もはっきりと証明したアルだった。