#185 お姉さんの素顔とまた別の一面
『晩飯か……前に碧鮫号で食べたトビアゴって魚にはまっちゃったんだよなあー。うん、ネラガで見つけた唯一のいいところだ』
きんきらとの用事が済んでからしばらく経ち、夕食の時刻が近くなるとアルはそんなことを考えていた。
バルオーガの屋敷にいる間、提供されるのは寝泊まりする場所だけで、希望すれば簡単な食事は出してもらえるが、基本はどこでなにを食べるかは自由になっている。
ということでアルは、件のトビアゴを食べられる店を探していた。
「オルキトに聞いてみるかな。今回こそいい返事を期待したいが」
◇
「僕トビアゴ食べられないです。その……ぬるぬるは調理されて食べるのも無理で……」
「……ちっ」
あまりにもあっさりと期待を裏切られて、不満が残るアルは八つ当たりをする。
「大陸祭、あびすときんきらの一連の騒動、ワッドラットのジェネシス……」
「……なにを数えているんですか?」
「いや? オルキトの最後の活躍はいつだったかなって振り返ってただけ。あのギンナとヴンナの決闘人形の2人組と交戦したあたりじゃね?」
「ちょっと! 大陸祭はともかくその前の2つの騒動の間は、アルさんが見てないところでちゃんと皆さんとクエストこなしてました!」
そしてオルキトはその後れを取り戻すのとは関係なく、できる限りで最良の対応をする。
「姉ならそういうお店に詳しいですよ」
「……ああ、そうなんだ。聞いてみる」
「じゃあ僕からもアルさんが探していたと伝えておきますね」
「い、いや待て。オルキトの手を煩わせるようなことは頼めないから……」
「いえいえ遠慮しないでください。ふふふ」
「おい! コイツ……今までの仕返しのつもりか!? マジでやめろ!」
アルはオルフィアを探しに行こうとするのを止めるが、正当な冒険者として鍛えているオルキトに敵うはずがなく無様にもずるずる引きずられるだけだった。
「ねえほんとお願い、詳しく事情知らずに伝えられたら『美味しいものを求めてはいるけどお姉さんが関わってるから避けてます』ってなって、陰湿な感じで俺の印象悪くなるじゃん! だったら潔く覚悟決めてせめて好印象を得たい! 相対的な好印象!」
「うわなんだこの人!」
◇
「トビアゴかあ。ちょうど食べたかった頃ね」
オルキトとの激しい闘い(最後は必死に頼み込んで許してもらった)を終え、疲れ切っていたアルは表情を取り繕う余裕はあまりなかった。
対応もあからさまに雑になる。
「別にお姉さん、俺と行きたいわけないですもんね」
オルフィアの立場で考えると食事をごちそうすれば、出費はあるがアルに対して貸しをつくれる。
それを使えば広い形での対価を、つまりいろいろとこき使うことができて、その運命を容易に予想できたのでせめてもの抵抗でアルは、果たしてこの断り方をどう言いくるめてくるか確かめようとする。
「……別に」
小さな声でそう前置きしてから。
「決して一緒したくないほどでもないけど、だからと言って逆に、ぜひ行きたいとも思ってなくて……まあ、アル君から望むのなら全然断ることはないわよ」
『なんか回りくど……整理するとなんだ、なんとも思ってない男に誘われてて、それを寛大な心で受け入れてやってる女なんだと。なるほどいい性格だ』
オルフィアの発言をそう捉えたアルはその小芝居に付き合ってやる。
「ぜひ美味しいお店に連れていってほしいなー」
「そうねえ、どうしようかしら」
「……そこをなんとかお願いします」
「どうしてもと言われてもねえ」
「……この通りです」
「そんな、頭下げてまで大袈裟な」
「いや、なんだよ! ただの小芝居に凝り過ぎじゃないすか!?」
立場を利用して散々いびってくることは慣れっこだったが、今だけは上機嫌ににやにやして愉しんでいるオルフィアにむかむかっときて声を荒げた。
「まだ手を出してないだけいいですけど、なんなら別に帰りますから」
「いやいやごめんなさい。冗談冗談、だから待ってってば」
珍しくオルフィアは素直に謝って、平和的にアルを引き留めた。
『いい大人が年下をいじめてなにを愉しんでるんだか。まったく』
◇
「相談なんだけど、このことはアル君1人しか連れていけないから皆には内緒ね」
「みなまで言わなくてもそれぐらいは察しますよ。これがあれですもんね」
アルは親指と人差し指で作った輪っかの銭のマーク、それを上下させた。
「あらお気遣いありがとう。普通の子は言わないのにわざわざ口にしてくれるなんて」
「まああと、気にしてる相手でもあるでしょうから」
「……なにをうぬぼれているのかしら? アル君は」
「うぬぼれ……? え?」
オルフィアの雰囲気が変わったのを感じて、間をつなぐために釈明をする。
「あの、イメージとか気にして我慢しながら食べるのは嫌でしょう? お姉さんが意外と大食なの俺やオルキトは知ってるんでいいですけど、他の誰かだとどう見られるか気になるかな、という考えだったんですけど……ああ、うぬぼれって、勝手にわかった気でいるな、っていう意味でしたか」
「そう思うならそういうことにしておくわ」
「え、違う意味でした?」
「というかアル君。さっきから失言が目立ってない? 大食が言いはばかられる言葉だと自覚してるならもう少し間接的な表現にしてくれない?」
「……なんか今日のお姉さん、感情表現が大きいというか、どうしたんですか、なんかありました?」
「なんでもないから。お店までは遠いから移動は馬車ね。待ち合わせは遅れないように」
「あっ、ちょっとー?」
女性は準備が忙しいから一旦これで話は終わり、とオルフィアはアルの元からさっさと退散していった。
◇
「足元気をつけてくださいよ? 素敵な靴ですけどヒール高いみたいなんで」
「ならエスコートいいかしら?」
「どうせやらせるくせに……」
「なにか言った?」
「なんでもないです。じゃあお姉さん、俺が先に乗るんで手を貸しますね」
一通りそういったくだりがあって、2人を乗せた馬車は発車した。
◇
馬車を使った外出ということでそこそこの移動時間があって、その間2人きりで過ごすことになるのをアルは決して楽しみに思っていたわけでなかった。
「よかったらカードでなにか時間潰しますか?」
「あら、面白そうじゃない」
道中は座って過ごせるのは確実だったので、あらかじめ用意しておいたカードでなにかするつもりだったが意外とオルフィアの食いつきはよかった。
『面白い話で盛り上げるなんてできればいいけど、それならサジンの時に苦労してなかったもんな……あー、きんきらの時は動物の鳴き真似とかでふざけ合って思ったより盛り上がったけど、お姉さんにそれやると後が怖い……』
そんな風に改善した方が望ましい自分の悪いところを反省しつつ、カードを適当に切っていく。
事前にコトハの協力を得て(不審がられたが)遊び方はいろいろと、ある程度覚えておいた。
「2人でできるのはいろいろ調べたんですけど、ブラックジャックでいいですか」
「21をつくるものだったかしら」
「ああ、それです。まああくまで遊びなんで、最低限のルールだけは守って多少の粗はお互いに広い心で許容していくことは約束してください」
結果は盗人特有の手癖の悪さを活かして見えぬ小細工をしたオルフィアが終始圧倒で、金銭を賭けない健全な遊びということで、せっかく自粛していたのにアルは散々動物の鳴き真似を強要されて、とうとうオルフィアは目に涙を浮かべるほど笑うまであった。
◇
辿り着いた店は、ほかにも立ち並んでいた飲食店と外観や雰囲気が明らかに違うなんてことはなかったが、店頭の黒板に書かれていた日ごとに変わるであろうメニューは、アルにとっては気軽に立ち入るのはためらわれるぐらいのお値段だった。
個室に通されると、常連のオルフィアは本命のトビアゴのほか、新鮮なネラガの食材を使ったというおすすめの料理をいくつか頼む。
「とりあえずそれぞれ4人前で」
オルフィア的には男女2人が食べる量は4人分という計算式だった。
たぶん、ただし2人ともとても腹ぺこである、という前提条件があったんだろう。
ただ少なくともアルは、それほど空腹かと言われると思い当たる節はなかった。
◇
次々運ばれてくる料理をどれも美味しく食べていたアルだったが、とある料理が運ばれてきた時に目に見えてオルフィアの雰囲気が変わったのに気づいた。
牛肉の希少な部位を使ったステーキとのことで、他の個室から聞こえる喧騒に混じって紛れていたが一口食べた後に幸せそうなため息をこぼすほどだ。
「アル君もほら、これは特におすすめだから食べてみて?」
珍しく興奮を隠しきれていなかったオルフィアに促されて、差し出された皿の、細切れになっているもののひとつを口に運んだ。
「ん……おお、すごく柔らかくて、ほろほろとして脂っこくなくてさっぱりしてる……」
「ふふ、そうでしょう。美味しく味わってくれて嬉しいわ」
そんな風に、まるで提供する側のようにアルの感想を喜んでいたオルフィアが皿を戻すと、探し物をするように顔をきょろきょろさせる。
「どうかしました?」
聞きながらアルは手にしたままのフォークで別の料理を取って口にする。
「あー……」
「?」
「それ、私のフォークだったみたい」
フォークを咥えたままで顔の位置を固定し、視線だけ脇に送るアル。
そこにはもう1本、本来は自分が使っていたフォークがあった。
「や、これはその……すみません! 新しいのもらってきますから!」
「ちょ、ちょっと! 咥えたまま走ると危ないわよ!?」
「はいー!」
フォークを手にしたまま走るのもそれはそれで危なかったが、注意する間も無くアルは個室を出て厨房に向かっていった。
急な静寂が下りてから一拍置いてオルフィアは、そんなアルの様子がおかしくなって笑う。
「あれくらいで慌てて……うふふ、ベタな弱点ね」
ご機嫌になって食欲が湧いてくる。
しかし食器はたった今持ってかれてしまって、指でつまんで食べるのもあったが、それははしたないなと自制心が働く。
『……アル君のは残ってる。いやいや、待て私。衝動的な欲求に負けちゃだめ』
伸ばしかけた手をもう片方の手で制する。
『意外とすぐに戻ってきて、そんな場面を見られたら私、とんでもないへ、へ……ととととにかく、それならまだ指でいってる方を見られるのがマシ』
「お待たせしましたー、追加の品です」
「ハイっ!?」
そんな考え事をしていると店員が料理を運んできて、不意に素っ頓狂な声で返事をしてしまった。
「す、すみません。急に驚かせたみたいで……」
「いえ、だ、大丈夫です」
「お済になったお皿は回収しますが、よろしかったでしょうか」
「はい、ありがとうございます。じゃあ……」
「──ありがとうございます。では失礼します」
客であるオルフィアも手伝ったので作業はすぐに済んだ。
まだ必要なものは別のところにどかしてやったので、つまりアルのフォークは今オルフィアが握っている。
『しまった……ど、どう置けば自然になるのかしら……いえ、店員が片付けに来てその流れでこうなったと素直に言えばいいのよね? もちろんそれが事実に違いないんだし……』
「他人のフォーク持ってなに考え事してるんですか?」
「ひゃっ!? きゅ、急に話しかけてこないでくれるかしら……」
「ああ、片付けが一旦入ってそれ手伝ってたんですか。ありがとうございます。あ、これ新しいのどうぞ」
「……」
なぜか運よくアルの察しが良くて、そうなると勝手に1人でやきもきしていたと思うとオルフィアは少し気分が悪い。
一応向こうにはまだ照れている様子がうかがえるが、自分はそれ以上に落ち着いていない。
「ちょっとお手洗い、失礼するわ」
そう隠しながら、厨房へと秘密の注文をした。
◇
「……なんか注文のタイミング独特ですね」
「あは? ちょっとど忘れしててねー、ひひ」
「いや、お酒とか真っ先に思いつきそうなんですけど……」
オルフィアが頼んだのは酒で、自分で席まで持ってきた。
席に着くと一口だけ飲んだところですぐに上機嫌になっていた。
「アル君って彼女とかいた?」
「ぶふっ!? いきなりなにを……」
「聞きたい聞きたい聞きたーい」
『だめだ……もう普通に酔ってて、こりゃ聞く耳持ってないな……』
なにか言うまで頑なに退かなさそうなその態度に負けて、どうせ酔いによるその場限りのやり取りで終わるだけだろうとも割り切って対応する。
「別に、いたことはなかったです」
「ふーん……では、どういうタイプが好みでしょう」
「あ、まだ続くの……」
「タイプは? タイプは?」
「はあ。こういうのだから好き、とかはなくて、好きになったのがそうだったっていう感じで……外見とか性格じゃなくて相性が大事だと……その、はい」
途中で恥ずかしくなって最後は小声になっていた。
そしてそんなはっきりとしないアルの答えが気に召さなかったようで、オルフィアはさらに酒をあおる。
すると、ふんすと鼻息を1つ鳴らして──こてりとテーブルに倒れ伏した。
「ちょっと? お姉さーん?」
「すう……すう……」
「ね、寝ないでくださいよ。うう……とりあえずここから運び出して、それから馬車まで……」
「んふふー……むにゃむにゃ」
「うお、ちょっとちょっと、どこにくっついて……」
まずアルは肩を貸したところ、なかなか力が入らないので悪戦苦闘していると、急にオルフィアが腕を絡ませてぎゅぎゅっと抱き着かれ、そんな経験が一切なかったアルはどたばたと慌てふためく。
「持ち上げようにも……ちょっと俺だと力不足だし……」
泥酔していたが念のため言葉は選んで、やむを得ず店員の力を借りようとしたところで見知った顔が個室に現れる。
「まったく、やっぱりトラブルが起きてますね」
「オルキト!? なんでここに?」
「なんとなく嫌な感じがしたんで後をつけてきました。そうしたら予想が当たってしまって」
「……忘れた頃にこういうことし出すのか……」
「別に助けてほしくないならいいですけど?」
「い、いや、すまん。お願いしますオルキトさん! 助けて!」
オルフィアからは普段の力が抜けているようで、オルキトはいとも容易くアルから引きはがしてそのまま流れるような動作で背負った。
きっと同じ経験を何度もしていたのだろう。
◇
寝かせておけば馬車での道中は比較的穏やかで、大変なのは屋敷に帰ってからだった。
本人の尊厳を守るように気をつかわなくてはならなかったので、誰かに見られないよう夜も更けて真っ暗な道を使って、ようやくダミーのオルフィアの部屋にてベッドに寝かせた(本物の部屋はオルフィアしか入れない…※#155参照)。
後日、アルが当日のことを尋ねることがあったがはっきりと残っている記憶は行きの馬車ぐらいで、オルフィアのアルへの接し方はそれ以前と特に変わることはなく、たまにフォークを見てドキドキするのはアルだけだった。