#183 イノセント・エデンの虹の花
謎解きの景品は、とある島への上陸許可であった。
”イノセント・エデン”と呼ばれる無人島で、何千年と前、その当時のままである原始的な生態系を保護するために厳しい上陸制限がされているらしいが、船長は特別なコネを持っていて、島の限られた範囲ならば正式な上陸許可を出せる権限があった。
「靴は消毒するでもいいけど、海辺を歩くならいいサンダルもあるよ」
靴屋だから足元は見てるんだ、という鉄板のジョークを、道中にあった売店の男が口にする。
「カップルかい?」
「いえ違いますよ」
「あ……そ、そうかい」
続けてアルとサジンの関係を茶化すが、サジンは真顔できっぱり否定する。
その後ろではアルが死んだ目で虚空を見つめていて、職業柄多くの人間を見てきていた店主はアル達のような関係のグループは決して初めてではなく、いたたまれなくなってそれ以上追及しなかった。
「私はいいけどアルはどうする?」
「……あえ? あー、うん。冷やかしも悪いし買ってこうかな。これぐらいなら自腹で出せるし」
船での飲食代を借りていた男の台詞なので、それはあまりにも情けないものだった。
「なんかざっと見てはいたみたいだけど。気にいるのはなかったか、サジン的に」
サジンは店主に気をつかいながら、それとなく首肯。
初めから全くサンダルを買う気がなかったわけではなくて、品ぞろえを見て吟味していたのにアルは気づいていた。
店主のセンスか、女性ものは花を模した飾りがあしらわれている”可愛い系”ばかりで、無難なものは皆無だった。
「いいじゃん。旅の記念のさ、謎の勢いで普段の好みとは違うの買っちゃても」
「いや、私には似合わないって」
「はあ。そういうことか……なあ、今は俺達デート中だよな」
「そういう体だな」
返事はせずにアルはうやむやにする。
「ならこういうのは別に自然だ。俺が選んだのをプレゼントする。ほら」
ラインナップの内、一番目立っていたのを選んで手早く会計した。
店主は別に品物が売れれば嬉しい限りなので、淡々と業務をこなす。
「こ、こら。可愛すぎだって……私には……」
アルから押しつけられたサンダルを間近で見て半分は困惑の気持ち、もう半分は少なからずそのサンダルに対してあった興味による興奮で落ち着かなかった。
思い切って普段とは違う服装に挑戦する心境、まさにそのままであった。
「どうだ? そっちの兄ちゃんにも選んでやったらどうだ」
「え? なるほど、確かに」
動機は商売根性だったが店主のファインプレーにアルはおっ、と声が漏れかけた。
特別な関係っぽく見えるだろうか。アルはひとり浮つく。
「じゃあアルはこれだ」
デフォルメされた鮫をメインに魚の群れをデザインされたサンダル。
それがサジン的には面白おかしく映ったらしい。
「お金でやり取りするのはあまり素っ気無いというか、いやらしいからな」
『なんとなく言いたいことはわかってるぞ』
◇
「限られた範囲ではありますが、運がよければこの時期”ニジランタン”の花が見られますよ」
上陸が許されているのは木々が生い茂る一番大きな島からやや距離を置いた、10分もあれば一周できそうな細長い島だった。
ただ、人が立ち入らない自然そのままの海岸は、ひとつ海を挟んだ忙しなく働いている人間社会のことを、時が経つのを忘れさせる、決して意図して作れない非日常感があった。
空もまた快晴で、2人はのんびりと歩き出した。
「サンダル買ってよかったな」
「そうだな。んー、気持ちがいい」
2人は船長に教えられたニジランタンという花を探すのをざっくりとした目的にして散策をする。
それはまるで人が意図して作ったように七色の花びらを持つ花で、プリザーブドフラワーや香水まで加工した製品はそれなりに高価に扱われる。
イノセント・エデンの上陸制限があるうえに、人工栽培を試みて発覚したそうだが繁殖できる環境も湿度、温度、日照状況など絶妙な条件でなければならず、自生しているものとなると見るだけでも価値があって、縁起物とされていた。
『別に、見つかればいいなー、くらいには思ってるけど……あ、そうだ』
◇
「……これはまた珍しいのを引き当てたもんだ」
アルは立ち止まって手あたり次第、花々が生い茂る足元に手をかざしていた。
その様子に気付いたサジンが近寄っていき、色とりどりの不思議な光景に呆気にとられ嘆息する。
「すごいな、ここだけ満開だ。もしかしたらニジランタンも」
サジンはアルの隣に屈んで目的の花の捜索を手伝う。
そしてアルは変わらず植物の生長を促し、花を咲かせる作業に徹した。
『天啓の種でもう一回、視野拡張の能力でも引き当てようとしたが……また斜め上での助力だこった』
一時的に未知の能力を覚醒できるそれによりアルは、意識しながら地面や植物の芽に手をかざす、それだけでたちまち開花まで成長を進められた。
意図的に花を咲かせている、と明かすのは雰囲気を悪くしそうなのでアルはどこまでなら不自然でないか見極めようとちらちらとサジンの様子も見る。
花を傷つけないようそっと手を添えるサジンの姿は、さながら子どもを愛でる母親のようであり一方で、イノセント・エデンの紫や黄色に赤、激しい色調の花々はいい意味で統一性がなく、いつまでも見飽きることがない、目を離さずにはいられない、天啓の種で頭が冴えていたアルはそれに無限に広がっていく未来のイメージを感じた。
そしてなんの根拠もないのだが、必ずどの行く末も最後まで光り輝いていくのだという確信があった。
「きれいだな……」
背中を向けながら小さく呟いたので気づかれないはず。
だとアルは思っていたのだが。
「ん? アル?」
背中越しに声をかけられて体が強張った。
「それじゃないか? ニジランタンの花」
「え」
「ほら。うわあ、見事なまでの虹色だな」
「おお……」
島内ではなにも採取しないよう、花ももちろん摘まないように注意されていたので2人は体勢を低くして、花と目線を合わせた。
鈴蘭のように釣鐘状の花が連なっており、聞いた通りそのどれもが虹色のグラデーションをした花びらだ。
しっとりとした雰囲気でひとしきりそれを愛でると、サジンからぽつりとつぶやいた。
「……いいものが見られた。アルのおかげだな」
「なんだ、急に」
「お金は私が貸したとはいえ」
「おいおい……言わなくても」
「あの、えーとだ。それよりもずっと前にアルと接点がなかったらこういう機会もなかったじゃないか。結果論とか言われたらそうだが、現に私が今すごく嬉しいのは紛れもない事実だ」
思わず勘違いしてしまいそうなサジンの言動にアルは、鼻をかくふりをして口元を隠した。
そこに追い打ちがなされる。
「アルは私のこと嫌いか?」
「ぶふっ!? な、なにを聞いて……どうしてだよ!?」
「初めて会った時に故郷に帰れなくなってるアルの境遇を聞いた。なるべく力になれたらと思っていたのに、思い返すと恥ずかしい迷惑をかけたり、冒険者だってなるつもりなんてなかったというのにクエストに連れていっては口うるさくしたり……きっかけになったジェネシスだって、本来は関わることがなかった問題だ」
『ジェネシスをネラガに来るよう焚きつけたのは確かに俺の責任。ただ、ずっとジフォンにいたままならそもそもそういう問題が起きなかった、ってか。けどさすがに都合のよすぎる解釈だな……それに。ジフォンにいたままなら俺しか助かってなかった』
アルは当時を振り返った。
もしコトハについていかずジフォンを出ていなかったなら、獣人によるリワン村の襲撃は防げなかった。
そこからユンニに行かなければ、リワン村襲撃と関係がなかったらしいジェネシスに付きまとわれて、冒険者を辞めかけていたオルキトを助けられていなかった。
「いやオルキトは別に助けなくてもよかったな。ネラガでも冒険者できてただろうし」
「オルキトがどうした?」
「なんでもない」
やり直しができない過去のことをいくら考えても無駄なだけで、アルははっきりと自分の気持ちを伝える。
「嫌いだなんてことはないって。これは冗談なんかじゃ言わない」
「そう……か。でも本当に気をつかわなくていいぞ?」
「だから嫌いじゃないっての。ああ、むしろす──」
「……むしろす?」
ほんの少し前まで、はっきりと自分の気持ちを伝えるつもりでいたアルだがすぐにそれは破綻した。
「あ、あああー、むしろす、虫の巣だー、たぶん刺す奴だから退散するぞー」
「おお? あっ、待てってば、アル―!」
それからはやたらと危なそうな虫や植物を言い訳にしてアルは、2人きりでいた島をさっさと退散した。