#165 漂い出した暗雲とあの人の本名
間抜けな理由だった。
日当たりのいい草原で横になっていたらくしゃみで目が覚めた。
帰路を急ぐも吐き残したあくびを漏らすごとに辺りは暗くなっていく。
その先のことは今でも鮮明に覚えている。
僕オークの絶え間ない足音が付かず離れずの距離を保ってきて、ただでさえ逃げるのに体力を消耗するのに、いつ首に、背中に、手に、足にその牙が立てられるのかという恐怖でも精神を消耗させてくる。
やがていっぱしの冒険者として、剣を取って攻勢に出ようかと覚悟をしたがそれはすぐ諦めざるを得なかった。
暗き森が蠢いたかと思うと、赤い双眸がこちらを睨んでいたのだ。
オークを率いていた主──特定危険害獣、レイジ・オークに違いなかった。
武器も昼間苦労して集めた木の実も、命と比べれば安いものだった。
そうしなければぺしゃんこに踏みつぶされて泥のようになっていたのはこの身体だったから。
今しなければならないのはどんな醜態を晒したとしても、生きてギルドにこれを報告すること、それだけを考えてなんとか無事に、ネラガにて夜明けを迎えられた。
◇
「……やっぱり母に接触を図ってきましたか」
コレルへの接待お茶会に、急きょしっこく魔法少女あびすを交えた『シンジツコンパクト盗難事件』の成果報告会というハードな1日の翌朝。
アルは不機嫌なオルキトに付き合って朝食をとっていた。
「成り行きでそうなったんだって。発端になったのはレーネで、そうさせたオルキトの落ち度だと俺は思う」
「……はい。それについては認めざるを得ません」
「あれ、取り繕ったりはしないのか」
「事実ですし、他に聞きたいことがあるので。『精霊の庭』については特に隠されている施設ではないですが、そこに母がいるというのはどうやって知ったんですか」
「信頼できる情報網……じゃなくて、根気よく粘ればどっかから引き出せるんだよ。『人の口に戸は立てられぬ』ってこと」
「む……いったい誰が……」
オルキトはどうやら身内の裏切り者を探そうとしていて、徒労に終わるそれで余計な不和を招かぬようにアルがフォローを入れる。
「しかしなんだ。素敵な方だったと思うぞ? 俺は」
「ええ。周囲には初め、少し驚かれることもありますが……」
『少し……?』
「育ててくれた親として尊敬しています」
ありのままの気持ち、嘘偽りの無い言葉を口にしたオルキトは、一度周囲を確認してから付け加える。
「……精霊は別ですが」
「アレは家族でも例外じゃないのか」
「いえ。家族には手は出しませんが、それでも忠誠を誓っているのは主という事実は絶対に揺らぎません」
あらかじめ、幼い頃の話だとことわってからオルキトは苦い思い出を語る。
「僕がどれだけ些細であっても悪いことをすれば、主である母の元に文字通り飛んで駆けつけていって告げ口をするんですよ、アレ達は。僕が素直に謝ろうとしてる時だって、事実だけを淡々と報告しに行って……」
「お、おう。大変だったんだな……」
「あくまで想像でしかないですが、どんな手でもなんとか母に褒められたい甥とか姪みたいな幼い親戚がいるような気分ですよ。それも全く歳をとらない」
「うあー……きついなそれ」
「サジンさんが精霊連れてきたとき悪寒がしましたよ。冗談抜きで」
「ガブだな。がぶがぶ噛む奴がいたから『ガブ』だ。どう?」
「名付けたのアルさんだったんですか……」
アル達が『精霊の庭』を訪れた帰り、気絶していたレーネだけではぼんやりと、何かをしたのだろうかという限り無く怪しいと感じるに過ぎなかったのだが、サジンが精霊・ガブを連れて帰ってきたことから即座にオルキトの疑いは確信に変わり、すぐに事情はすっかり明らかになってしまった。
(それでもレーネだけは記憶があいまいになっていて何も知らなかったため、精霊は拾ってきたとしてアル、サジン、オルキトで話を合わせることになった)
◇
「アリュウル・クローズさん。バルオーガさんがツバキを連れてきてほしいと」
朝食後、外出するオルキトと別れてツバキの小屋を掃除していると、住み込みで働いているためにすっかり顔馴染みになっているバルオーガの部下から、これもまた馴染みの頼みが来てアルはよく考えずに口が動いていた。
「ツバキさんや。1人でいけるかい」
「あの……」
ツバキの正体を知らない部下の男はさりげなく、遠回しにアルを呼んでいるのだと指摘して、そのアルは表面上は取り繕わなくてはならないな、とツバキを連れていくふりをした。
しかし道中でぷらちな魔法少女きんきらの調査で進展があったかを訪ねる用事を思い出したので、図らずも好機となった。
「先にツバキの用事でいいですよ」
別に席を外さなくてはいけないなら従う、と言ったがアルは部屋のソファにかけたままで待たされた。
「……無駄な前置きも不要だろう。レイジ・オークの出現が確認された」
「はあーーーーーーーあぁ?」
いつもより輪をかけて不遜なツバキの態度に、不穏な空気を感じたアル。
「まさかまたとか言わないわよね?」
「万が一の事態に備えて、最新の状態を共有することだけは了承しておいてほしい」
「あのー、レイジ・オークとは?」
ばつが悪そうなバルオーガを見かねてアルが、それほど興味は無かったものの件の害獣について尋ね、場をもたせようとする。
「コボルトも知らないらしかったから、教えてやりなさい」
「そうか。レイジ・オークとは、関連するクエストには限られた役割だけしか参加できないと定められている特定危険害獣。その一種に指定されている、猪の頭を持つ人型の巨大な害獣だ」
「獣頭……? あの、もしかして……」
「いや、これはアル君が危惧している事態には当てはまらない。レイジ・オーク自体は獣人と違い、私が現役だった頃にその生態が確認されている。詳しい研究ももちろん重ねられている──のだが。それでも未知の部分が多い獣人よりも脅威の存在だ」
「あ、ああ、そうなんですか」
「ジェネシスによる自然環境の破壊活動や工作が原因かとも疑ったが、最近ははぐれ獣人も『決闘人形』の姿も確認されていない」
「……『決闘人形』?」
バルオーガがさも一般的な用語のように放った『決闘人形』という言葉をアルは聞き返した。
「同じ顔をした少女達のことだ。今まで『人造人間』と呼んでいたが、ツバキの案で呼び方を変えた」
「……ええ。人造人間、だなんて仰々しい響きはあの見た目にはそぐわないから、『人形』。それも、『決闘』用のね」
「ふーん。そうだな、いちいち『ジェネシスの人造人間』なんて呼んだり書いてたりしてたのもなんか手間だったしいいかも」
「呼ぶはわかるけどそうそう書く機会がある?」
◇
「話は戻るけど、今回もだめだって?」
「うむ……悩んでいるんだ。だからさっき言った通り、ぎりぎりまでネラガの同志の力を見極めたい」
「アンタ達の事情は別にいいわ。報酬さえ保障してもらえれば私は仕事はこなしてあげるから」
『傍から聞いてるだけだけどこれは……そういうことか』
ネラガの安全が脅かされている状況で、足元を見てくるツバキをきっぱりと突き離せないバルオーガが何に悩んでいるかは容易に察せられた。
冒険者の権利を守る組織たるギルド、その長であるバルオーガとしては冒険者が今後の活動を無事に行えるよう、レイジ・オークの脅威を最小限の被害で取り除きたいという願いの一方で、ツバキに頼ってしまうことは冒険者としての本質的な成長の機会を奪ってしまうことと同義で、なおかつギルド所属の冒険者たちの力に不信感を抱いているという解釈もできた。
「あの、レイジ・オークって、そんなに厄介な害獣なんですか?」
「ああ、ツバキ抜きでも最悪対処は可能だが、被害は少なからず出てしまう。主であるレイジ・オークを、大量の僕のオークが囲うために数的な不利を強いられる」
「数的な……あ、それなら」
たとえ小さくとも数があれば脅威となる。
奇しくもアルはごく最近その類の体験をしていたのを思い出した。
「コレルさんがいるんじゃないですか? ほら、精霊がいれば僕をひきつけられません?」
「うむ。実際、レイジ・オーク自体も討伐まではいかないが、過去には撃退に成功している」
「え、そうなんですか? なら今回も」
「ただ少なからず被害は出るし……なにより周りへの被害が大きかった。その後の復興を含めると結果としてマイナスに終わる……こほん。とにかく精霊らはやや過激でな」
「ああ、確かに主に忠実ですもんね」
「なあ、というかアル君。コレルに会っているのか?」
それまで自然と進んでいた会話が一旦途切れる。
バルオーガから、本人も同意の上でだが、『精霊の庭』に隔離されているコレルとの接点が、どのように生じたか問われてアルは言い淀んでいた。
「ふらふら出歩いてたのを、ソイツが率いるずっこけ探偵団に見つかったのよ」
「お、おい……!」
「おおかたケーキが我慢できなくて、とかの理由でしょう?」
言葉に詰まった理由である、昨日の別れ際にコレルから口止めされていたことをあっさりとツバキに見抜かれ、アルは観念してそれを認めた。
「……そうだったか。いや、コレルだってもちろん自由に行動する権利はある。そこにアル君が遭遇しただけで、誰が悪いというわけじゃない」
「いや、そんなことは……すみません」
ずかずかとプライバシーを侵害して、苦言を呈されても仕方なかったはずが寛大な扱いをされたアルは、それだけでなく下心を持って接触したことをひどく恥じてものすごく自己嫌悪に陥ったのだった。
◇
「ついでですまないが、きんきらの調査についてー……彼女に伝言をお願いしていいか」
「彼女……ああ、全然かまいませんよ」
ツバキが同席していたので特別な呼び方だったが、すぐにシオンのことだと気づいて耳を傾ける。
「昨日、機密保持のため書類の持ち出しが無いかとかの理由をつけて、男女問わず簡単な持ち物検査を行ったんだがな。結果は空振りだった」
「……と、言うと?」
「うむ。肌身離さず持っておくべき例のものが見つからなかった。つまりきんきらは職員の中にはいない、ということだ。ただ……」
バルオーガが口にしたのは確かに紛れも無い事実だったが、同時に別の可能性もあって、ツバキはそれをあっさり言ってのける。
「それはきんきらに選ばれたかどうかに関わらず、既に持ち去って別の場所に保管してる場合も同じ結果になるわねー」
「あのな、ツバキさんよお……」
「いや、いいんだアル君。確かにツバキの言うことも正しい。ともかくきんきらが職員にいないこと、これがわかったのは確かだ」
ギルドに泥棒がいると言われたが、反論しようにも証拠が無い。
歯がゆい思いをしていたバルオーガだったが今はそれにこだわらず、追加の報告も行う。
「これはついさっき見つかった書類だ。赤のシンジツコンパクトが遺失物として届けられた時の、どういう処理をしたかが記録されている」
「あ、ありがとうございます。ええと、ここにある名前が対応にあたった職員ですか」
あびすの中身であるミカが工作したのはアルにはわかっていたが、匿名で届けられた遺失物のために書類上に名前が記録されているのは部下から上司、一連の手続きに関わった職員達らしきものであった。
ただし1名のみ、チェックでマークされている者がいた。
「この方……サリエという女性は何か特別な事情が? 職員にきんきらはいないはずでしょう」
「サリエには妹がいてな。もちろん家族まで辿っていったらキリが無いのは承知だが、1人の魔法少女関係者から辿っていって明らかになった事実なんだ」
「魔法少女関係者……」
「とある学生だ。学年は違うがその学校の生徒同士とのことだ」
「……あっ、うー……んー……」
バルオーガはぼやかした言い方だったが、顔や雰囲気から言いたいことを察したアルは感嘆の声をあげたかと思うとすぐに唸ってしまう。
『あびすの中身と同じ学校の生徒……こじつけとしては強引だけど、怪しいと言われれば怪しい……』
決して無視はできない容疑者が浮かんだところで、聖獣からの言葉が横から入る。
「ギルド職員は調べたんでしょうけど、アンタの側近達はどうなのよ」
「おいおい、次から次に疑い始めたらキリが無いだろ」
「例えばさっきのとか」
さっきの、と言われてアルは、今まで何度もいつもフルネームで呼んでくる男のことだと認識する。
「アル。アンタ、アイツの名前も知らないんでしょう?」
「えーっと……いやいや、別に名前を知らないくらいでそんな」
「でもきんきら抜きにしても、名前も知らないのはそれはそれでどうなのよ」
ツバキの指摘が図星だったアルは、ちらりとバルオーガに助けを求める。
「キヴァラル・X・オルス、だな」
「あの人そんな名前だったの!?」
「う、うむ。だがキーヴに限ってだな……」
しかしやはり件の品を持ち去っていないという証拠が無く、悩んだ末にバルオーガは絞り出すように言葉を紡いだ。
「アル君。彼女への協力を頼めるのは今のところ、君とコトハ君だけだ。しゅがーとあびすもいるにはいるが、変身前後、両方の姿まで把握しているとなるとやはり貴重な人材とみなしている。レイジ・オークの気配が迫っている今、これもまた早急に解決をせねばならない事態だ」
「……はい」
「ひとまずはサリエ君の妹とキーヴ。2人の周辺を調査してきてほしい」