#156 さむがりアザラシと破滅の書
「アリュウル・クローズ。私とクエストに出てほしい」
ネラガでの使命を達成し、表向きはバルオーガによりツバキの世話係として雇われたアルは現在、寝食を保障されており、オルフィアからの人造人間の追加情報もまた落ち着いていて、別段変わり映えしない生活を送っていた。
そんなアルを訪ねてくる者があった。
客室でアルと向き合っている銀髪の男は『碧の原点』のゼールヴァと名乗る。
「はー……お姉さんの回し者か」
『碧の原点』はオルフィアが所属するパーティであり、そこには何らかの企みが隠れているのだと、アルはため息をつく。
そんなアルに対し、ゼールヴァはわずかに眉を吊り上げる。
その不愛想な態度がためにそうしたのも不思議ではなかったが、ゼールヴァは明確に特定の言葉に反応を示していた。
「お姉さん、か。オルキト様ならまだ理解できるが、オルフィア様をよもやそのように呼んでいるとは……」
「……様ぁ?」
「初めに言っておく。私の一族は代々このネラガのため、ギルドの運営に尽力してきている。現在もその精神は健在で、ギルドマスターたるバルオーガ様とそのご家族は尊ぶべき存在……だが最近、妙な人間が屋敷に住み着いていると耳にした」
「それは俺だけじゃあ……」
オルキトを頼って屋敷で生活しているのは、なにも自分だけでなく『星の冒険者』もいるとアルは返すが、ゼールヴァにとってそれは予想の内だった。
「中でもあのツバキまでが懐くのは異常なんだ」
「ああ、ツバキさんか……おっと」
ツバキを敬称をつけて呼んだことで、無意識にゼールヴァを挑発してしまったかとアルははっとした。
「いいや、私はきちんと心を通わせ合って初めてそう呼ぶと決めている。考え無しに、自分が秘めているであろう願望を押し付けることはしない」
嘘を自分に言い聞かせて、心を騙すことはしたくないとゼールヴァは彼なりの固い意志を持っていた。
「ただしこれは私の考えであり、アリュウル・クローズ。ツバキが実際に懐いていることから、そちらを非難しているつもりは無いことを理解してほしい。動物は嘘をつかないからな」
「……そうですね。それよりも、アルでいいですよ」
「ああ、承知した」
初対面だった時のオルフィアのように、比較的正常な感覚を持ち合わせていているのだとアルは見たが、その本性を暴いてみようとちょっかいをかけてみる。
「それで、クエストに同行とは俺の冒険者の実力をはかるつもりでしょう。ただご存知かどうかわかりませんが、俺はただの『何でも屋』ですよ? ツバキさんが懐いたのだってたまたまかと」
「ツバキについては『何でも屋』とは関係無いだろう。それに『何でも屋』と言っても、極端に言えばそれはギルドカードに書かれた文字列に過ぎない。冒険者ひとりひとりの個性や実力は文字列では表せない」
ゼールヴァの真剣な表情からその言葉は、例えば余計なトラブルを避ける当たり障りの無い社交辞令らしくないとアルは感じ取り、ゼールヴァは冒険者の役割への偏見にとらわれていない様子だった。
「現に、一部の役割は明記しない場合もあるらしい。広く世間に認知され有名になっては一流ではないという理屈だ」
『お姉さんの盗人のことだな』
アルは心の中だけでそう納得した。
「私の持論ではクエストでの活躍でこそ冒険者の力量がわかると考えている。なんとか話を聞いてもらえないか」
「あんまり危険なことは……」
「大丈夫だ。戦闘能力があればなおいいというだけで、安全で簡単なクエストだ。報酬の分け前も──アルが9割にする」
「報酬……」
ゼールヴァは遠慮をさせないよう、分け前をアルに決めさせなかった。
そのアルは、レジスタンスからの借金を抱えていたため、金銭の話題が出てきて少し気持ちが揺らいでしまう。
しかし理性はしっかりと残っており、簡単に飛びつくことは無かった。
「ちなみにクエストの内容は?」
「『破滅の書』に関する依頼だ」
「断ります」
危機に鈍感だと度々指摘されるアルだったが、今度はすぐにそれを勘づき、ゼールヴァを帰そうとソファから立ち上がった。
すると後方に人の気配を感じる。
「あら、いいじゃない。破滅の書」
「! お、オルフィア様……アル!? ええとオルフィア様、これは……」
その時ゼールヴァは、ソファの陰からオルフィアが現れたのでもちろん驚いたのだが、それ以上に悲鳴をあげて床を転がり回るアルにうろたえていた。
ゼールヴァはアルの奇行に驚きながらも、手を貸して起こしてやった。
「決めた。クエストなんて行きません。お姉さんが勧めるなんて、絶対ロクなものじゃない」
「何を気にしているのかはわかるけど、物騒なのは名前だけよ? 破滅の書は」
「はん、じゃあ『さむがりアザラシ』って題名を聞いて、過酷な砂漠のサバイバルを想像しろとでも?」
「あはは」
わざとらしい愛想笑いをされ、アルは顔を真っ赤にして怒りに震える。
「今のシチュエーション的には逆じゃないかしら。『砂漠の遭難体験記』と言われたら分厚い本なのかなと先入観がある。けど中身は寒がりのアザラシについての絵本なんだ。そう言われて信じるのは難しいんじゃないかって言いたいのでしょ?」
「よし、この話終わりましょう」
「ああ、待ってよ。アル君ってば」
オルフィアは扉の前に立ち塞がってアルを止めた。
「せっかくだからちゃんと説明を聞いておいたら?」
「断るので無駄になるんですけど、それでもいいなら」
「いいわよ。ゼールヴァ、よろしく」
「……言い出した本人だからって、面倒事を体よく押しつけたか」
承知です、とクエストの話を切り出した当の本人であるゼールヴァは、3人でソファに着席してから口を開いた。
「『破滅の書』と言うが、先ほどオルフィア様のおっしゃっていた通り、特別なんの変哲も無い古い書物に過ぎない。そしてそれは……いや、それらは世界各地で断片の状態にて、冒険者のみならず一般人の手の目につくようなところでも発見されている」
「それらしきものの情報があって、実際に確かめると。……で、そう名付けられるような、肝心の内容はわかっているんですか?」
「専門家による解読は日々行われていて、いくらかは内容が明らかにできているが、理解には至っていない」
「……どういうことですか?」
逆説の前後でなにがどう違うのか、わからなかったアルは首を傾げた。
「書物を作成した者の文明が我々と大きくかけ離れているのか、支離滅裂なことばかりが記されている。例えばになるが、水は燃え盛るものだとか、岩は人のように動き回るものだ、という風なことがぎっしりと」
「ああ、確かに破滅的……」
「いや、真に破滅の書と呼ばれているのは、その研究に従事している人間がその難解さに没頭するあまり、日常生活に支障をきたす事態がたびたび報告されているためだ。破滅の書が秘める魔性がためという噂も立っている」
「まあ俺にはどっちにしても関係の無い話になりますね。はい」
考古学に興味が無いことと同時に、アルは遠回しにクエストにも出ないことを伝える。
ゼールヴァがそれに気づいたのは、アルがソファで再び体勢を起こそうとした時だった。
「ねえゼールヴァ、報酬はいくらになるの?」
あくまで1つの情報として伝えます、と前置きするゼールヴァ。
報酬で釣ることにはあまり乗り気でなかったのだ。
「調査を引き受けた時点で一定の報酬が出されて、見つかった断片の数に応じて上乗せされることとなっています」
「……じゃあ私から特別に副賞をつけようかしら」
報酬が増える期待もできたがリスクも含んでいて、アルがそれによりごねると見抜いたオルフィアは相談を持ちかけた。