13-3 『高い建物を目指して歩いて』『歴史の跡を探してみよう』
ファーストフード店で向かい合って期間限定のハンバーガーを食べながら、わたしと角くんは次の『おつげ』を受け取った。
今度はわたしが『どこで』のページをめくった。出てきたのは『高い建物を目指して歩いて』。角くんがめくった『なにをする』は『歴史の跡を探してみよう』。
「『高い建物』って、いっぱいあるよね、この辺り」
「そうだね。どこか行きたいところある?」
角くんに聞かれて、困って黙ってしまう。行きたいところと言われても──高層ビルは多いけど、別に行きたいと考えたこともなかった。
ストローを咥えたまま黙ってしまったわたしに気を悪くした様子もなく、角くんも黙って考え込む。その指先が、ととん、とテーブルを軽く叩いていた。ととん、ととん、と電車のようにリズムを刻んでいた音が、不意に止まる。
「そうだ、都庁はどう?」
わたしには特に考えもなかったから、角くんの提案に頷くだけだった。それで、二人で都庁を目指して歩くことになった。
「『歴史の跡』ってどういうものかな」
高層ビルや雑多な建物の中を歩きながらそう言えば、角くんは首を傾けた。
「歴史を感じられるならなんでも良いと思うけどね。例えばさ、新しい建物ばっかりに見えて、道なんかは意外と古いものが残ってたりするらしいよ。川の跡があったりとか」
角くんの言葉に、周囲を見回す。行き交う車、人。ファーストフードやドラッグストアのお店、色とりどりの看板。高いビル。情報量が多すぎて、どれが新しくてどれが古いのかもわからない。
「わかりやすいものがあると良いんだけどね。石碑とか」
そんなことを言って、角くんは賑やかな道を見回した。
「ああ、石碑。観光地とかにはよくあるよね」
「歩いてると結構見かけたりするよ、なんてことない場所にも。あとは、歴史豆知識みたいな看板が立ってたりとかもあるし」
「そっか、普段あんまり意識しないだけで、思ったよりもあるのか」
ちょうどその時見上げたのは、コクーンタワーという名前の丸みのある形の高いビルだった。高いビルが多くて、つい上ばかり見てしまう。
交差点で立ち止まる度に空を見上げる。青い空がビルの形にでこぼこと切り取られているのが見える。
「大須さん」
呼びかけられて、ビルを見上げていた気分のまま、角くんを見上げてしまった。
青い空と高いビルを背景に、角くんが心配そうにわたしを見下ろしている。
「退屈してない? さっきから歩いてるだけだから」
わたしは慌てて首を振る。
「あ、ごめん、なんか黙って歩いちゃってて。高いビルを見上げて歩くの、なんだか面白いなと思って。『歴史の跡』は見付からないけど」
わたしの言葉に、角くんはふふっと笑った。
「大須さんが楽しいなら良いけど。まあでも、上を見てても見付からないかもね、『歴史の跡』は」
「それは、そう思ってるんだけど。でも、高いものってつい見上げちゃうから」
そう言って、ふと、角くんをつい見上げてることに気付いてしまった。慌てて視線を降ろす。角くんの背の高さを意識してしまって、自分でもなんでかわからないまま動揺してしまった。
「あ、ごめん、角くんをビル扱いしてるつもりはないんだけど」
自分の言葉が、何に対して言い訳してるのかもわからない。なんでこんなことを口走ってしまったのかも。
何が面白かったのか、角くんは吹き出して、笑い出してしまった。
都庁の建物は、聳え立つ一対の塔。周囲にもたくさんの高いビルがある。その中の一つ、三角ビルと呼ばれる建物の滑らかな石の中に、唐突に木が二本生えていた。
その二本の木の向こうに、白木のお社が見える。ビルに使われている滑らかな石の中で、木の質感が妙に目についた。そんなところにあるお社なんて、なんだか由緒がありそうで『歴史』っぽさを感じる。
小さなお社の足元の御由緒書きには「出雲大社」とあった。「出雲大社」ってあの出雲だろうか。どうしてこんなところに「出雲」なんだろう、と不思議に思ってその御由緒を読む。
出雲大社の分祀、ということらしい。それがどういうことなのか、実はよくわかってないけど。「大国主大神」という神様と、「龍蛇神」という神様を祀っているのだそうだ。
大国主大神は「だいこくさま」──これはあの「大黒天」だろうか。七福神だったよね。縁結びの神様というのも、初めて知った。
龍蛇神は、十月に出雲に集まる神様を先導する神様なのだそうだ。火難除け、水難除け、災難除け、そんな言葉が並んでいる。
「せっかくだし、お参りくらいはしておこうか」
角くんに言われて、二人で並んでお参りする。「二拝四拍手一拝」だと御由緒書きにも書いてある。二回お辞儀して、四回手を叩いて、最後にもう一度お辞儀。
頭を上げて、そっと隣の角くんを見上げる。角くんもちょうどわたしを見下ろして、目が合ってしまった。角くんは何も言わずに、そっと目を伏せる。
角くんの視線が何かをためらうように揺れて、そこで見付けた何かを指差した。何かを誤魔化すように「あっち」と小さい声で言って、歩き出してしまう。角くんが何を誤魔化したのか、それとも気のせいなのか、わからないまま角くんの後を追い掛けた。
お社の正面に、向かい合うようにあったのは、不思議なオブジェだった。黒い石を削って作られたオブジェは、下に詩のようなものが刻まれている。
多分だけど「恋弁天」というのが、その詩のタイトル。オブジェのタイトルもそれなのかもしれない。
弁天様というのも「弁財天」で七福神じゃなかったっけ、と思いながら詩を読む。「恋はみづもの 水あれば 心が狂い 花が咲く」と始まっていた。新宿には沼や池がたくさんあって水の多い土地だった、それで弁天様を祀った、というように読める。
どうしてそれが「恋には 水をささぬ」に繋がるんだろう。
「弁天様って女の神様で、上野公園だと弁天堂のある不忍池で恋人がボートに乗ると、弁天様が嫉妬して別れることになるって話があるんだよね」
相変わらず角くんは、変なことをよく知っている。角くんはきっと、なんでも面白がって楽しんでしまうからなんだろうな、なんて思う。
「それが、最後のこの言葉にどう繋がるの?」
「多分だけど、普通の弁天様は恋人に嫉妬するけど新宿の弁天様は恋人の邪魔はしないよ、みたいな意味じゃないかな。『恋弁天』なんて名前だから、邪魔しないだけじゃなくて助けてくれたりもする……のかも」
恋、と口の中で小さく呟いて、目の前の角くんを見上げる。
目が合って、角くんはちょっと頬を染めて俯いた。そして、スマホを取り出して「恋弁天」の写真を撮り始める。その横顔を見ながら、なんで角くんと並んでこのオブジェを見てるんだっけ、と考える。
今はボードゲームを遊んでいて、一緒に遊んでいるから。でも、なんで休みの日に一緒にゲームを遊んでいるんだっけ。角くんに誘われて、なんでわたしは頷いたんだっけ。
オブジェの写真を撮り終えたらしい角くんが、スマホをポケットにしまって、わたしの方を振り返る。それでわたしは、自分が角くんをじっと見ていたことに気付いてしまって、とっさに俯いた。足元の「恋弁天」の詩を見る。意味もなく「花が咲く」という文字を眺める。
いつもはボードゲームの世界に入り込んじゃうのに今日はそうじゃないから、やっぱりなんだか混乱している気がする。いつもだったら、ゲームを遊べば元に戻れる。ゲームの終わりもはっきりしている。でも、今日のこのゲームはどうなったらゲームが終わるんだろう。
わたしは今、何をしてるんだっけ。この状況、なんだっけ。
「こういうのも『歴史』ではあるよね」
角くんの言葉の意味がすぐにわからなくて、わたしは瞬きを返す。
「『歴史の跡』が見付かったのかなって思ったんだけど、大須さんはどう思う?」
そうだった、と『さんぽ神』の『おつげ』をようやく思い出した。『高い建物を目指して歩いて』『歴史の跡を探してみよう』──都庁を目指して歩いて、わたしたちは恋弁天を見付けた。
昔の新宿に池や沼がたくさんあって、それで弁天様が祀られるようになったというのは、確かに歴史なんだと思う。それを伝えるこのオブジェは、確かに『歴史の跡』かもしれない。
いつも楽しそうにしてる角くんが、今はなんだか不安そうな顔でわたしを見ている。わたしはなんだか角くんの顔が見られなくなってしまって、また俯いてしまった。