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9-5 こうやって思い返せば確かに

 第三資料室で、わたしは瞬きをする。目の前の長机にはゲームボードが広がっていて、そこにはさっきまで走っていたコースが描かれていた。

 赤い騎手を乗せた黒い馬は最後尾、川を越えてまだ煉瓦塀に辿り着いてない。その一マス先には緑の騎手、そのさらに先には煉瓦塀。

 煉瓦塀の先に黄色い騎手がいて、そのさらに先に青と白のハードル。

 ゴールを何マスか越えた先には青い騎手がいて、その一マス先の先頭には、黒い騎手を乗せた白い馬がいた。

 ついさっきの距離の近さで、わたしは動揺してしまっていたと思う。わたしは隣を見れないでいたし、どうして良いかもわからなくなっていた。それで、目の前の白い馬に乗った黒い騎手の駒を指先でつつく。

 ぱたん、と黒い騎手が白い馬ごと倒れてしまったのと、角くんが声をあげたのはほとんど同時だった。


「あ」


 まるで角くん自身が倒れてしまったかのような声だった。倒すつもりはなかったのだけれど、と罪悪感が湧き上がってそっと隣を見る。

 角くんは声を出したことを恥じるように口元に手を当てて、それからそっと、伺うようにわたしを見た。

 目が合って、なんだか角くん自身を突き飛ばしてしまったような気持ちになってしまって、素直に謝った。


「えっと、ごめん」

「大丈夫……この駒、倒れやすいんだよね。足のところに、倒れないように紙を噛ませるんだけど、それでも結構倒れちゃうから」


 少し早口で言いながら、角くんは倒れた白い馬を立たせて、それから落馬してしまった黒い騎手も隣に立たせた。そのはずみで、すぐ後ろにいた青い騎手まで馬ごと倒れてしまう。

 思わず笑ってしまったわたしを許して欲しい。悔しさとか、動揺とか、レースの緊張とか、そういうぐちゃぐちゃなものが今のでふっと(ほど)けたんだと思う。

 角くんはわたしの笑い声に小さく溜息をついてから、いつもみたいに微笑んだ。




 二人で「ありがとうございました」と頭を下げる。角くんは相変わらず姿勢が良いものだから、馬にまたがっていた姿をちょっとだけ思い出す。

 障害物の駒を箱にしまう角くんの隣で、黒い馬の駒を持ち上げて、触り心地の良い表面を撫でる。


「負けちゃった」


 わたしの声に、角くんがふふっと笑う。


「川の手前が大変だったよね、順番もころころ入れ替わってたし」

「角くん、あそこどうやって跳び越えられたの?」

「タイミングとしか言えないけど……俺も五のカードを一回無駄にしてるんだよね、あそこで。あれで抜けるつもりだったからできなくて焦ったし、そうじゃなくても五が無駄になるとか絶望しかないよね」

「え、どのタイミング?」

「池と川の間の、生垣が二つ並んでた……あ、一瞬大須さんに追い付いく前くらい」

「あのとき……」


 ずっと後ろにいると思っていた角くんに追い付かれて、あのときはびっくりしたんだった。


「え、追い付く前に動けてなかったの?」

「あのときはどの馬もお互い潰しあってくれてたから。おかげでそんなに遅れずに済んだって感じかな。すごく入れ替わり激しくて、みんなどこかでカードを無駄にしてたし」

「確かに、あそこ全然進めてなかった」


 角くんが指先で一つ目の川を指差す。

 川に辿り着く前に、わたしは後ろに退がることになった。また追い越して、追い付かれて、そのままわたしは最後尾になって、角くんは先頭に行ってしまった。


「そのあと……この辺りだと、俺は二番手だったから、他のプレイヤーは先頭の青い方を狙ってくれてて、だからその間に先頭に出た感じ」


 角くんの指先がコースを辿って、二つ目の川に辿り着く。


「まあ、その後また青いプレイヤーに抜かれたんだけど。でも、このゲームの先頭はきついから、二番手の状態でゴール手前まで進められたのは良かったかな。ゴール直前で手札が戻ったのもちょうど良かったし。まあ、それはそれで、めちゃくちゃ悩んだけどね」


 そのまま、指先がゴールに辿り着く。その指先が持ち上がって、近くにあったハードルを掴んで箱にしまう。


「角くんはやっぱり、他のプレイヤーが出したカード、全部覚えてるの? わたし全然覚えられなかったんだけど」


 わたしの質問に、角くんはまた片付けの手を止めてしまった。さっきから邪魔ばっかりしていて、わたし自身は黒い馬の駒を握っているだけで何もしていないし、少し申し訳ない気持ちになった。

 角くんはそんなことを気にした様子もなく、いつもみたいに穏やかに応えてくれた。


「全部まるごと覚えようとすると難しいけど、必要になったときに『一はまだ出てなかったな』とか思い出せる程度で良いんだよね。まあ、その辺りの覚え方は人によるし、慣れもあると思うけど」

「それって特殊能力なんじゃない?」

「え、そんな大袈裟なものじゃないよ。割と間違えたり忘れたりもしてるし。それに、ボドゲ遊んでるともっとすごい人いっぱいいるし。俺なんかたいしたことない方。それでも何度か遊んでると覚えられるようになってくるから、やっぱり慣れなんじゃないかな」

「できるようになる気がしないけど」

「んー……」


 角くんは考え込むように首を傾けていたけど、少しして口を開いた。


「このゲームの場合、そんなにはっきりと覚えられなくても、ある程度はなんとかなるんだよね。それぞれの位置を考えると出せるカードって結構限られるし、みんな基本的には先に進みたいわけだから、他のプレイヤーの次の動きってかなり絞り込める。だから、大きい数を出すときに退がることをどう織り込むかっていうのと。逆に、他のプレイヤーが大きい数を出しそうなら、自分は小さい数でしのいだりとか。そういうタイミングを見る感じかな。まあ、最終的にはそれの読み合いになるんだけど」


 なんでもないことのように角くんは言うけど、それを真似できる気持ちには、やっぱりこれっぽっちもならなかった。わたしは首を振る。


「全然できる気がしない」


 角くんはふふっと笑って、箱を差し出してくる。わたしは持っていた黒い馬の駒を箱に入れる。角くんはまた箱を長机の上に置いて、他の駒も全部しまって、ゲームボードを持ち上げて折りたたんだ。


「でも、スタートすごかったよね。初手で六を出せるの、さすが思い切りが良いなって、大須さんらしいなって思ってたよ。初手って割と様子見で三とか出しがちなんだよね。それで、その後もしばらく先頭を維持してたし。あれを追い越すの、楽しかったな。あ、それにゴール手前の追い上げもすごかったよね。あとちょっとで追い付かれそうで、あれめちゃくちゃ楽しかった」


 角くんの声は、負けたわたしを慰めているというよりも、本当にただ感想を言っているだけみたいだった。なんだか慰められるよりも恥ずかしい。わたしはうつむきがちに、視線を逸らしてしまう。


「結局、負けちゃったけどね」

「まあそれは……勝負だからね。勝つと嬉しいのも、負けると悔しいのも。でも、勝って嬉しいってのは確かにあるけど、それよりも俺は大須さんと走れて楽しかったよ」


 ちらりと隣を見れば、角くんはずいぶんと機嫌の良さそうな顔で笑っていた。その表情を見て、角くんが機嫌が良いのは勝ったからじゃなくて、きっともっと単純に、ボードゲームを遊べて楽しかったからなんだろうなって思った。

 きっと角くんは、負けてたとしても同じような顔をしてたと思う。あるいは、もし本当に馬になっちゃってたとしても、同じように「楽しかった」って笑ってたんじゃないだろうか。


 わたしは──わたしは、どうだろう。今日のゲームは一人で不安だった。終わったときも、勝てなかったからとても、悔しかった。勝ちたかったなって思うし、だから落ち込んでもいたし、正直に言えばちょっと泣きそうだった。

 でも、駆ける馬の背中から見えた飛び去る景色だとか、髪をなぶる風だとか、角くんの馬に追い越されたり、角くんの背中に追い付いたりしたこととか、こうやって思い返せば確かに楽しかったなって、思った。


 だから、もしかしたらわたしも、角くんみたいに笑えているのかもしれない。


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