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1-4 楽しかった?

「ここにしようと思ってるんだけど」


 わたしはそう言いながら、切手を貼ったポストカードをかざした。

 そうやって、その空間にその建物があるかのように眺める。


 そのポストカードの向こう、少し先の青い夜の空気の中に、まるで絵の具を置いたように色が現れた。

 その様々な絵の具の色は鮮やかに増えていって、ポストカードに描かれていた風車の形の建物の姿になった。

 その建物は、まるで人を吸い寄せるように明るく輝いていた。


 その姿をぽかんと眺めていたら、わたしの手の中のポストカードが誰かに奪われた。

 いつからいたのかわからないけど、女の人だった。

 胸元が大きく開いた、たっぷりとしたロングスカートのドレス姿。

 女の人はポストカードを手に、艶々と赤い唇で笑った。


 賑やかな音楽が流れ出す。

 この曲はなんだったっけ──運動会とかで聞く──そう、天国と地獄。


 建物の入り口に立った女の人は、その音楽に合わせて、ロングスカートを両手で持ち上げて足を高く蹴り上げた。

 黒いタイツの足がペチコートの隙間から奥まで見えてしまう。

 明るくて陽気で、だけどとても扇情的なダンス。


 ふと気になって(かど)くんの方を見る。

 角くんはぽかんと口を開けて、その踊りを眺めていた。


 声をかけて良いかもわからずにぼんやりと見上げていたら、角くんが小さく「あっ」と声を上げて、そっとわたしの方を見た。

 目が合って、突然謝られた。


「ごめん」

「なんで謝るの?」

「いや、そうじゃなくて、そういうつもりじゃなくて」


 いつも穏やかであまり慌てることのない角くんにしては珍しく、うろたえている。

 頬を染めて、目を伏せて。


「そういうつもりってどういうつもり?」

「いや、今のは不可抗力で、事故みたいなものだから」

「何が?」


 瞬きをして見上げれば、角くんは小さな呻き声のようなものを漏らして、俯いた。


 なんだか聞き覚えがあるような気がするけど『ムーラン・ルージュ』ってなんの建物だっただろうか、と考える。

 思い出せはしなかったけど。




 対戦相手は、次は建物タイルを置かずに『画家』のポストカードを使ったらしい。


 わたしが持っているポストカードの束の中から『画家』の一枚が消えてしまう。

 そして不意に、背後で敷石を蹴る靴音が響いた。


 振り返ると、キャンバスを抱えて手提げの鞄を持った男の人が、こちらに歩いてくる。

 その人は、わたしたちの後ろにあった街灯の下で立ち止まって、それからそこで絵を描き始めた。

 どうやらその人が画家みたいだ。


「ああ、『画家』を取られちゃった。まあ、仕方ないか」


 キャンバスを前に絵を描き始めた男の人を見て、(かど)くんが悔しそうに呟く。


「何か強いカードなの?」

「うまくいけば、ね。『ムーラン・ルージュ』と同じだよ」


 『画家』は確か、建物で遮られていないマスにある街路灯が点数になるんだったっけ。

 『ムーラン・ルージュ』の周りには建物を置かないから、確かにその向こうの街路灯まで、ずっと遮られないスペースが続きそうだった。


 そっか、さっき『ムーラン・ルージュ』を選んでしまったけど、もしかしたら『画家』の方が良かったのかもしれない。




 『サクレ・クール寺院』と悩んだけど、結局『空中浮遊』のポストカードを使うことにした。

 せっかくなら建物タイルを街に並べたい。


 五マスのT字の建物タイルを四マスのL字のタイルと交換する。

 得点は一マス分減っちゃうけど、マイナス三点よりはマシ。

 そしてそれを二つの街路灯の脇に置く。

 街路灯に挟まれたその空間に、見えない絵筆が絵の具を置いてゆく。


 絵の具は建物の姿になって、最後に青い月のマークの煙突が描かれて、街路灯の光の中でその姿が浮かび上がる。

 この青い月のマークはわたしの建物だっていう印らしい。


 相手は次に『サクレ・クール寺院』のアクションを使った。


 『植物園』のカードを先に使ったのは、それで邪魔をされたくなかったから。

 オレンジ色の中にぽつんと二マスだけある青いマスに、それを置いた。

 たくさんの植物とガラスの温室が夜の中に描き出される。

 二つの街路灯に挟まれているから、これで四点。


 相手は五マスの建物タイルを二つの街路灯に接するように置く。

 今ので負けちゃったのかな、勝ってるのかな、ちゃんと計算すればわかりそうだけど、頭が追い付かない。


 わたしはそれから『大街路灯』のアクションを使った。

 大きな灯りを囲む小さな灯り。

 その足元には彫像の天使たちが、天上からの灯りを受けて輝いている。


 街全体がキャンバスだった。

 何もなかった夜の空間に灯った光、その中にどんどん建物が浮かび上がって、街がどんどん賑やかになってゆく。




 全部の建物タイルを置き終わって、アクションカードも全部使って、ゲームが終了した。


 最初の、暗くてがらんと何もなかった風景が嘘みたいに、明るくて賑やかな街になった。

 わたしや(かど)くんと同じような服装の人たちが、笑ったりお喋りしたりしながら、街を行き交っている。


「点数、数えに行こう」


 紳士然とした格好の角くんが、そう言って肘を差し出してくる。

 どういうことだろうと瞬きしていると、角くんは山高帽のツバに手を置いてちょっと俯いた。


「時代設定的に、エスコートが必要な気がして」


 わたしはそっと角くんの腕に手を添えて──淑女然としていたかはわからないけど──エスコートされることにした。

 角くんはわたしの方を見ないまま、風車のような建物を指差した。


「『ムーラン・ルージュ』は十四点だって」

「それってわたしの点数、だよね?」

「そう、大須(だいす)さんの点数だよ」


 そして、歩き出す。

 角くんは歩幅の違うわたしを気遣って、ずいぶんゆっくりと歩いてくれた。




 街路灯の隣に置かれた考える人の像の前を通り過ぎる。

 『考える人』は対戦相手に四点。


 その先には画家の人がまだ絵を描いていて、後ろに回って覗き込んだら、街路灯で輝く街並みだとか、街路灯が浮かび上がらせる陰影だとか、そんな色合いがキャンバスの上に描き出されていた。

 『画家』も対戦相手の点数。十二点。


 そこから街路灯が並ぶ道を進む。エスコートされていたので大人しく歩いていようと思ったけれど、街路灯の灯りで影が伸び縮みするのが楽しくて、だいぶはしゃいでしまった、ような気がする。


 川に突き当たって曲がれば、そこには古本屋があった。

 これは『セーヌ川の露天古本屋』だ。

 ということは、この川はセーヌ川なのかな。

 古本屋の建物には太陽のマークの煙突がついてるから、これは相手の点数。

 それでも、古本屋の店先を眺めるのは楽しかった。


 そこから曲がりくねった道の先に、ひときわ立派な街路灯。

 その灯りは、道を挟んだ先の月の煙突の建物にまで届いていた。

 そんな風景が全部、どこを切り取っても、まるで絵の中みたいだった。


 その『大街路灯』の向こうに、木々に囲まれたガラスの温室が見える。

 あれは『植物園』で、あれもわたしの点数。


「勝ってるみたいだよ、大須さん」

「え……?」


 (かど)くんに言われて、わたしはゲームボードを広げる。

 わたしの点数は五十一点。対戦相手は四十八点。


「『大街路灯』を置いて、それで四点増えてる。『植物園』でも四点。ああ、それと『ムーラン・ルージュ』と『画家』が反対だったら、きっとここが塞がれただろうから……ぎりぎり負けてたかもね。あの時に相手より先に『ムーラン・ルージュ』を取れてたのが良かったみたいだ。置いた場所も」


 角くんがわたしの手元の地図を覗き込んで、指差しながらそんなことを言う。

 その声が思っていたより近くから聞こえて、わたしは角くんの方を見る。


 角くんもわたしの方を見て、わたしたちは、帽子のツバがぶつかるような距離で、見詰め合ってしまった。


 その距離で、角くんが微笑む。


「諦めずに頑張って考えたからだよ、おめでとう」


 何か応えなくちゃ。でも何を。




 言葉が出てこない間に、気付けばわたしたちは、第三資料室に戻ってきていた。


 目の前の長机には、今しがた遊んでいた『パリ─光の都─』のゲームの中身が広がっている。

 夜のパリを上から見下ろすゲームボード、その上に並ぶ建物と煙突。

 周囲に散らばる色とりどりのポストカード。


「ああ……楽しかった」


 隣に座っていた(かど)くんが、溜息をつくようにそう呟いた。


 わたしは、『ムーラン・ルージュ』のポストカードを手に取って眺める。

 夜の街に輝く風車のような形の建物。灯りに溢れた夜の街並みを思い出す。


「大須さんは? 楽しかった?」


 声をかけられて隣を見上げれば、角くんはいつものように穏やかに微笑んでいた。

 いつも通りに制服を着た、クラスの中だとどちらかと言えば目立たない方に分類される男子。


 わたしはポストカードを机に戻して、そのまま俯いてしまった。

 それでも、ちゃんと伝えなくちゃと思って口を開く。


「楽しかった……です」

「それは良かった」


 角くんはふふっと笑って、それから真面目な顔をして頭を下げる。


「今日はありがとうございました」


 角くんはいつも、ゲーム終わりの挨拶を欠かさない。

 わたしも慌てて頭を下げる。


「あ、はい、ありがとうございました」


 頭を上げるとちょうど角くんも頭を上げて目が合って、それでわたしは街路灯に照らされたパリの街並みと、そこを二人で歩いたことを思い出して、笑ってしまった。


 角くんも笑っていたから、きっと同じようにあの街並みを思い出したんだと思う。






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