自己矛盾。または、なろうの裾野を広げたいという話。
修行の途中経過として、我が身を振り返ってみる。
「わたしこういう人キライなんです」って特徴を上げるとそれが自分だったり、「こういうことされるのキライなんです」ってつらつら語ると自分も同じものになっている。
今回は自己矛盾について。
わたしヤバい人で~す。って大声で叫んでいるようなエッセイになってるな……。なんだこれ。
とりあえず、間違いなく相性の悪い(わたしが怒り狂う)タイプの人、そのまんま自分じゃん……。同族嫌悪だったのか。話を聞かない(聞いていないように見える)同士でけんかしても徒労に終わるよね。
このエッセイでは最初に、念入りに予防線を張りました。まともな人なら近づかない、怪しげな風体になったようだ。
まあわかる。わたしもこんなめんどくさそうなやつには近づかないわ。眺めることはあっても。
だれの味方にもならないし、自分のことしか語ってないし。
ほんと、自分は生身で勝負するのに向いてない。うっかり自分のことも第三者目線で話して「?」って顔をされたりするので、長年培った思考回路の癖なんだろう(客観視できているという意味ではない)。一人で書き続けている弊害なのかな? たまに頭の中が「地の文」だったり「モノローグ」だったりするし。
生身は地雷だらけだったのか、わたし。いや、ちょっと自覚はあった。人付き合いの距離はかなり遠め。というか、近づいてこられると耐えられなくて逃げ出す小心者。
読者でいる分には雑食なのに。(つまり距離が必要なのかな、と)
一話目で「読者を想定して書いている」と言っていますが、「どこが?」と言われそうな文章をつらつら書き綴っている自覚はある。ごめんなさい、『修行中』はあまり考えて作っていない。
「恥ずかしいことを叫んでいるやつがいるぞ。あんなのでも投稿していいのか」って、気軽に文章を書いて投稿してくれる人がふえたらいいなぁ、と思ってはいる。わたしの作品への反応はなくても。
本題。
なんか、ピラミッドの上の部分だけほしがって文句を言っている人、どこの業界でも一定数いらっしゃるじゃないですか。全体を見ればごく少数ですけれど。
例えばこの小説家になろうという投稿サイトなら、77万越えの投稿数があるからこそ、書籍化してもヒットする良作が生まれるんですよ! と、物書きとして言いたい。裾野を広げよう!
小説家になりたくて書いている人たち、小説を書きたいから書いている人たちだけでは、たぶん足りないです。好きなわけではないけれど書ける、才能のある人がいるんだと思っています。そういう人がふらりと立ち寄って書いてくれたら、次の大ヒット作が生まれるかもしれないんですよ?
新着小説を読んで「なんだこれは?!」って悶絶するような物語に出会えるかもしれないですよ。
そのためには、「あれはダメ」「これはダメ」ってダメ出しするだけでは、よくないと思うんです。自分の作品が伸び悩んでいるまじめな作者さんはきっと、一部読者の「あれヤダ」「これダメ」に反応してしまうでしょう。悩んでいるので。
気にしなければいいって言い放つ方はいらっしゃるけれど、作者も人間です。気になります。
それに、気にしない作者が増えれば増えるだけ、読者のことを考えていないように見える作者の比率、上がりますよ? 短編詐欺とか、人気落ちたからエタるとか、それこそサイトが衰退すると思いますよ。
作者が神とか、読者が神とか、上下を決める必要はないと思うんです。
おもねる必要もないし、誉めそやす必要もないし、自分を卑下する必要もないです。
「わたしはこう思っている」って考えを述べるのもエッセイです。書き方は自由です。
言いたいことがあるから書いた文章なので、傷ついた、ムカついた、という感情を削ぎ落すのは、まあ不可能に近いレベルで、むずかしいですが。
それでも、ムカつく、嫌い、って結論で終わってほしくないな、と思っています。
「こうしてくれたらいいのに!」
って意見で終わっていたらいいのになぁ、とわたしは思っています。
(ほら~……。モノ申す系はどうしたって自分の考えを押しつけるような文章になる~……。という自己矛盾の話)
エッセイのひとつの在り方という意味で書いています。
小説家になろう公式でのエッセイとは「個人的観点により思想や物事を論じている作品」です。