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高文脈文化の功罪

 エッセイと小説。の章で、同じ言葉でも違う意味で使っている人がいるかもね、という話をしたので、やはり言葉についても語りましょうか。言語学者じゃないので、ただのわたしの考えですが。



 日本人の言葉の伝わらなさについて。


 ”高文脈文化のコミュニケーションとは、実際に言葉として表現された内容よりも言葉にされていないのに相手に理解される(理解したと思われる)内容のほうが豊かな伝達方式であり、その()()()な言語として()()()を挙げている。一方、低文脈文化のコミュニケーションでは、言葉に表現された内容のみが情報としての意味を持ち、言葉にしていない内容は伝わらないとされる。最極端な言語としてはドイツ語を挙げている。” Wikipedia高・低文脈文化

【傍点はあきのがつけました】



 察することを第一とする文化。

 メンタルやられていると、悪い方へ、ネガティブな方へと想像を広げていくというのに。

 人間の心理の話です。


 他人に不寛容な状態、精神的にも経済的にも肉体的にも余裕がなくてぎすぎすした現代には、明らかに向いていない文化です。

 おおらかさと礼節と自律心と、あとは(たぶん)村社会が支えていた、高文脈文化。

 村社会というのは、村を越えての行き来が少なく、価値観を同じくする仲間(村人)だけで作られた社会、というニュアンスです。価値観の違う人間を村八分とかで排除すれば、明確に言語化しなくても目配せで伝わる、適応できる人間にとっては『楽な環境』ではないでしょうか。息苦しいと感じる人にはたまったものではないけれど。

 そして現代、国外すら何時間かで出掛けられる時代です。価値観の異なる人間が身のまわりに溢れている。


 受け取り手がネガティブ思想だと、発し手がそう思っていなかったとしても、ネガティブな意味で読み取られる可能性がじゅうぶんあります。価値観が違うなら、なおさらです。単に違う家庭で育っただけでも、価値観は違ってきます。なんなら世代の違いだけでなく、兄弟の間だって。

 文脈の想像で完全に理解し合うのは難しい。お互いが言葉にしない部分を察しろと思っているかぎり、すれ違いは埋まらない。とはいえ、言葉にして発しても、伝わらないときには伝わらない。相手は違う価値観で生きているんだ。違う価値観で生きているんだから、発し手の希望が叶わないことも、伝わらないことも、当然あります。

 あなたが相手の願いを叶えるかどうかは、あなたが決めていい。相手があなたの願いをかなえるかどうかは、相手が決めていい。どちらも強要しない。


 希望が叶わなかったとき、自分の中で自分の感情をどう処理すればいいのか。自己肯定感を損ねない方向で、家庭で学ぶことができた人は、かなり幸運だと思います。自己肯定感すりつぶす方向で学ばざるを得なかった人は、大変でしたね。まずは生き延びた自分を褒めてあげてください。



 しかしこの空気読め文化、あたし/俺の気持ちを察しろ案件、社会的にはそろそろ減ってきたよねと思っていますが、どうでしょうか。減らそうとしているよね、というか。

 少なくとも、片方にしか言葉を発する権利がなかった時代は、過去に置いていかれようとしています。発する方も受けとる方もまだ下手くそだから、軋轢は生まれていますが。

 まだまだなのは仕方がない。日本がそういう文化なのです。地道にがんばっていきましょう。



 高文脈文化を完全否定したいわけではありません。相手を気遣って行なわれたなら、良い方向にはたらくことだって多いでしょう。けれど、高文脈文化のせいで、あなたの気持ちはあなたの意図するように伝わっていないかもしれません。あなたが受け取ったネガティブな意見は、もしかしたら言葉の扱いが(まず)かっただけなのかもしれません。



 あれはダメ、これはダメと断定的に語る文章が巷に溢れています。自著を売るために刺激の強いタイトルを使う自己啓発本とか新書とかたくさんありますけど、あれは売るための戦略ですからね。マナー講師は失礼クリエイター、くらいのとらえ方でじゅうぶんです。いちいち真に受けていたら、自分の軸を見失ってストレスになるだけでしょう。

「それは犯罪」「それは倫理的にまずいのでは?」って意見だけは気にしてください。それ以外は「あなたは気に食わないんですね。わたしは違う意見です」って思っておけばいいんです。「カッチーン(ケンカなら買うが?)」ってなりますけど。ええ、わたしとか未熟者なので。


 つぶやく青い鳥がしばしば炎上するのも、そういうところがありますよねぇ。文章にない部分を妄想してその妄想部分へ激怒している人とか。



 妄想力のたくましいわたしは、「なにかで叱られたときには、『叱られた部分』だけ修正すればいいんだよ、余計な想像ふくらませないで」と諭されたことがあります。

(え、だって、常日頃から××って思ってなかったら、そのセリフは出てこなくない?)とか、

(その理屈でこれがダメならあれもダメなんじゃないの?)とか、

(その人が過去に言ったことと矛盾していて困るから、自分を納得させる理屈を探してるんじゃん)とか、

(人ってそんなピンポイントで、反射みたいなすばやさで、「あなたのその行動はダメです」って言っちゃうの?)とか

(今そういう行動になっているのは△△って事情がある様子だけど、って配慮しつつ、「それは○○ってした方がいいかな」とか、指導するものなんじゃないの?)とか、

 余計な想像を膨らませただけでした。ええ、余計な想像ばかりですがそれがなにか。

 指導なら筋を通してくれ、納得できなくてもそのやり方に合わせるくらいはできる。犯罪じゃなければ。


 これ、「文章にない部分を捏造」している状態なんでしょうかねぇ……?

 とはいえ、その想像、妄想を根拠にして、「わたしが不快だと感じる人の行動を変えてやろう」なんて独善的に行動する気は、ひとかけらもありません。

 だって私はその人の人生に何の責任もないし、持ちたくもないし。



 何の話でしたっけ? 高文脈文化についてですよね。言葉にされない意図を読み取らなきゃいけない。

「うん、ムリ」

 空気なんて読めるか~、って主張をする表現物、増えてきましたよね。マンガとかラノベとか。ドラマはどうなのかな、見てないからわからない。とりあえず、みんな苦しんでるんじゃないのか?


 高文脈文化をなくすべき、とは思いません。

 ただ、多様性をめざしている現代には、あまりそぐわない文化かもしれません。誤解があるな、と感じたら、感情的にならないで話し合いましょうよ。

 なんかコレムカつくと思ったら、「わたしはあなたの言葉を○○と受けとりましたが、あっていますか?」って確認してから、「わたしはこう思います」って伝えるとか。


 世の中のすべてにムカつくんだとしたら、その原因は世の中じゃなく、あなたの中にあるフィルター、色眼鏡のせいかもしれません。一呼吸置いて、言葉の意味を文字のとおりに読んでみたら、なにか違うものが得られるかもしれません。


 まあ、わたしも修行中ですが。





(およそ三千文字。うーん、テーマが行方不明になったぞ。主題が二つになっちゃったのか……?)

修行中なので! とりあえず上げてみる。

投稿する(他者の目にさらす)のと、自分だけで何度も読み返すのでは、客観視できるまでの時間がぜんぜん違うんですよ…。

(もちろん投稿前にめちゃくちゃ何度も読み返して改稿している)

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