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P.D.A. -Passing Dimension Assistant-  作者: ハイド
第一章
9/63

8

 何て野郎だ、反省して深い改悛の情を示すならまだしも、二度までも殴りに来るとは!

 とはいえ、今度はタイマにもそれに対応するだけの余裕がある。一度は何もできずにぶっ飛ばされてしまったが、落ち着いてよく見てみると、リューは身体の軸がぶれているし、攻撃があまりに直線的で避けやすい。リューは形式的な武術、特に剣道などにおいては天性の才能を発揮するが、拳を用いた殴り合いは得意ではないようだ。

 タイマが身体を横に反らしてリューの拳をさっと避けると、よろめいたリューは怒りと恥辱とで凄まじい表情をし、まるで小学生のように悪口を怒鳴り立てた。

「腑抜け野郎! 現実から逃げるだと、もう一度言ってみろ! いつからおまえはそんな見下げた屑になり下がった!」

「何度でも言ってやるさ、俺は現実から逃げるとな!」

 タイマは殺気立ってリューを睨み付けた。残りの三人は気圧されて、おずおずとタイマとリューを止めようとタイミングを伺っている。リューにつられてこんな醜態をさらすなんて恥ずべきことだぞ、とタイマの理性的な部分が言うのだが、理不尽かつ非論理的であり、そして一度自分を殴りつけたリューの言動に対する怒りは、今や抑えきれないくらいに膨れ上がっていた。

「だいたいな、現実から逃げちゃダメだっていう言葉は、本当に逃げちゃダメだから言うんだろう。だが、教えてやるが、リュー、Pネットの存在下においては、現実から逃げたとしても誰にも迷惑をかけないし、何も悪くなんてないんだ。幸福最大化装置であるPネットを利用して幸せに生きることはな、リュー、人間の最終目的なんだ。その利益を享受できる身で享受しないっていうのは、ただのいかれた苦行主義者に過ぎない。おまえの方が異常なんだ。だから俺はこれ以上、異常な奴に手を貸したりしない」

 タイマが冷たく言い放つと、リューは信じがたいものを見るような目でこちらを見た。

「なっ……俺たちは真面目にこの地球のために尽くしているんだ。リスクを冒してPネットにまでおまえを迎えに行ったのも、おまえが心強い味方になってくれると思ったからだ。それなのに、何だその態度は……」

「よせ」そのとき、シャークがいつになく低い、真剣な声でリューを制止した。「今は何を言っても無駄だ。いったん頭を冷やせ」

 リューはシャークの手を振り払うと、両拳を固めた。また殴りかかってくるのではないかとタイマは身構えたが、リューは顔を歪めて歯を食いしばったまま、じっとこちらを睨み付けるだけだった。目が合うと後ろめたさがこみあげてきそうで、タイマはそっぽを向いて視線を反らした。向きを変える瞬間、アルカが捨て猫を見るような目でこちらを見ているのが目に入ったが、無視して左手を顔の高さに持ち上げ、PDAを起動した。Dゲートの赤いアイコンが自分を待っているように感じられる。だが、強い腕がタイマの右手を掴んだ。リューか、と思ってかっとなりかけたが、そこにいたのはデイタだった。

「客観的に見ても、いきなり殴りかかるリューの方が悪い。だが、異常だ、苦行主義者だなんて言ったのは言い過ぎだ。例えどう思っていたとしても、他人の生き方にとやかく言うことは、僕たちにはできないと心得るべきだ。タイマ、君は理性を失っている。この状態でPネットに帰ってみろ。そして、逃げ続けていた現実というものが完全に消滅するまで、ゆっくりと小説だのゲームだのをむさぼっていてみろ」デイタはタイマを強く睨み付けた。その眼鏡越しの目の中には強い意思と理性とが燃えさかっている。「死ぬことのできない君は、永遠に、後悔し続けることになるぞ」

 永遠、という言葉の響きが恐ろしく感じたのは初めてだった。デイタの言葉とその目は、タイマの怒りを急速にしぼませ、理性を取り戻させてくれた。

「わかったよ」

 タイマは地面に突っ伏したままのリューを冷静に見下ろした。あんなに短気な奴だったかな、と思った。若かりし頃のリューは、いつでも冷静沈着でいたように思える。老熟して人間的に成長するどころか、退化しているじゃないか。いや、老人になると短気になるという話も聞いたことがある。

 そんなことを考えていると、見下ろされていることに気付いたリューは、畜生、と呟くと、立ち上がってひざについたコンクリート片を払った。その頭を、シャークが大きな手で押さえつけ、無理に頭を下げさせた。

「すみませんねえ、ウチの子、癇癪を起こしやすくて。どんなに気分を害しても手だけは出すなと、普段から言い聞かせてるんですがねえ」

 それを見たタイマは、不意を突かれてつい気の抜けた笑い声を上げてしまった。シャークのぺこぺこした態度もリューの悔しそうな顔もそれっぽくていっそう笑いを誘う。「ほら、おまえも頭を下げなさい」とばかりに頭を押さえられてふて腐れているリューの方が、シャークより五歳は年上に見えるというのもなかなか面白い構図だ。だが、他の誰一人くすりとも笑っていないということに気が付くと、楽しい気分は瞬く間に雲散霧消した。

 タイマが真摯な態度を取り戻すのとほぼ同時に、シャークはリューの頭から手を離した。

「だがな、ずっと一緒にいた俺にはわかる。こいつはただ不器用で感情の整理がつかないだけなんだ。こいつはな、俺といるときもタイマのことをよく話しててさ。仕事中、俺が課題の山に愚痴をこぼすと『俺の好敵手と書いて友と読むタイマがこの場にいたとしたら、このくらい簡単に片付けてのけるぞ』なんて言ってくるくらいだった」

 リューは鳩が豆鉄砲を食らったような顔で、「そんなことは一度も言ったことがないぞ」と主張したが、シャークは「いや、それは誇張かもしれないが、それに近いことは言ってたな、うん」などとごまかした。

「要するに、六十七年もかけて熟成させたこいつの中のタイマのイメージが、本物のタイマと違いすぎたことにショックを受けているってだけのことなんだ。こいつのことも少しはわかってやってくれ」

 リューは決まり悪げにシャークの言葉を聞いていたが、シャークが「じゃあ俺は先に戻る」と言い残して去ると、無言でその後を追った。

 二人がいなくなると、張り詰めた空気がどっと緩んだ気がした。

「まるでお父さんだったねえ。まさかあのリューをあんな風にあしらえる人がいるなんて」

 アルカがあっけにとられたような顔で笑いながらそう言った。目はまだ少し赤いとはいえ、その表情に無理をしている様子は見受けられない。しばらくの間に、アルカの内面にも何らかの変化があったようだ。

「それにしても、口を開けばタイマタイマって」デイタも呆れた様子だった。「一応僕やアルカも同様に彼の友人のはずなんだが。君は彼に本当に愛されてるな」

「何言ってるんだ。よしてくれ」

 まあ、出生率がゼロとなって性差というものが意味を成さなくなったこの時代では、男に愛されようが女に愛されようが少しも関係ないのだが、感覚は何十年経っても変えられない。頬を緩ませた後で、デイタは高い空を見上げた。

「さて……どうしようか、タイマ」

「ん、何がだ?」

「僕は特に何の力もないから、ただ友人として君とともに行動することとして。君はリューに、以後も手を貸すか?」

 デイタの静かな口調に、タイマは大瀑布の水圧にも似たプレッシャーを感じた。そのことを口にすると、デイタは考えすぎだ、大げさな、僕は君の意思を尊重するさ、と笑って否定した。

「そうだな。とりあえず、モスクワであるとかいう会議には出てやるさ。そして、リューの望む通りの弁舌を振るってやる。その後のことは、その後で考えればいい」

「そうか。パーフェクトな答えだな」

「ああ。そうと決まれば」

 デイタとアルカとともに、シャークとリューを追って走り出しながらタイマは、お腹が減ったなあ、と現実世界に戻ってから初めて思い始めていた。

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