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P.D.A. -Passing Dimension Assistant-  作者: ハイド
第二章
21/63

20

 家の外のログテーブルを挟んで座り、鍋からよそったボルシチにちぎったパンを浸してはちびちびと口に運ぶ。

 考えてみれば、まともな「料理」を食べたのは現実に戻ってから初めてのことだ。夕日を映した美しい湖や雄大な山々に囲まれ、ゆったりとした気分で食事をするのは、思っていた通り悪くなかった。むしろ最高だった。長い間放置されたログテーブルと椅子が湿気で腐りかけていることさえ、笑って許してしまえるほどに。

「しかし、これは本当にうまいな」

 タイマがそう言うたび、アルカは赤面して下を向き、自分の皿に盛られた赤いスープをしげしげと見る。

「お姉ちゃんが作ったら、もっと美味しいはずだよ。それこそ、オートクッカーなんて目じゃないくらいに」

「これだって十分、オートクッカーを超えてると思うぞ」

「そ、そうかな? まあ少なくとも、真心こめて作ったって点では、オートクッカーより勝る部分もあるのかもね。えへへ」

「……こんなものが食べられるのなら、もっと早く現実に戻っておけばよかったな」

「何か言った?」

「何でもねえよ」

 アルカがくすくす笑って、それから湖の方に顔を向けた。その顔が夕日に照らされて黄金に染まる。

「何だか、こうしてると老夫婦みたいだね、私たち」

 その言葉を聞いたとき、一筋の風がさっとテーブルの上を吹き抜けた。その瞬間、PDAなんてものがない世界で、タイマがごく普通の男として、アルカがごく普通の女として生まれ、生きて巡り会い、支え合いながら一緒に老いて、この別荘で余生を過ごす、そんな想像が走馬燈のように頭の中を駆け抜けていった。

 想像の中の世界はまばゆいばかりに輝いていて、美しかった。我に返ったタイマは、自分の両手の平を見つめた。その手は老人のそれではない。手探りでいくらでも運命を切り拓ける、十九歳の若々しい手だ。

 夢物語ではない。もう一度、生き直せる。そうしてもいいかもしれない、とそう思った。

 それは自分でも不思議な感情だった。これまでだってアルカとはずっとそばで暮らしてきたが、それはタイマにとっていつしか当たり前のことでしかなくなっていて、とりたてて幸せに思うようなことでもなくなっていた。だが、今は違う。変化と事件に溢れたたった数日をともに過ごした結果、タイマは今ここにアルカがいてくれることが奇跡であるかのように思えるようになっていた。仲間が離ればなれになってしまっても、アルカだけはそばにいてくれていることが嬉しかった。これからも一緒にいたいと思った。

 タイマはこの感情を何と呼ぶのか知らない。何となく、知ってはならないような気がする。それでも、幸せであるということだけは、決して間違いなかった。

どういうわけか、幸せを実感するのが随分と久しぶりであるような気がした。

 そんなはずはないのだが、と、これまで生きてきた日々をもう一度思い返す。六十七年前にPネットに永住して以降、タイマはタイトルさえ記憶できなくなるほど膨大な量のコンテンツをひたすら消費し続けた。それが人間にとっての最大幸福だと信じていた。だが、今思えばあの頃本当に幸せだったのかどうか、今となっては判断できない。何も後に残らない娯楽は、ただの無意味な暇潰しに過ぎなかったのかもしれない。そうであるとしたら、人間関係をないがしろにしてまで質の高い娯楽をひとつでも多く消費しようと躍起になり、時間にとらわれる必要のないはずのPネットでさえ時間にとらわれていたタイマは、いやPネットに住んでいる三百億の人々は、みんなまとめてとんだピエロではないか。

 考えれば考えるほど、それが正しいような気がしてくる。一度しかない人生のうちまるまる数十年を、自分たちはどぶに捨ててきたのだろうか。

 自分たちの他に、誰かそのような疑念を抱いた人はいたのだろうか、とタイマは自問した。おそらくほとんどいはしまい。奇跡的に現実に舞い戻り、ミハイルに追われてダーチャに駆け込むほどの刺激的な経験もせず、ただ娯楽がよりどりみどりの環境に置かれているのであっては、人間は所詮何も考えようとはしないのだ。

 やがて鍋が空になった。夕日も沈んだ。急速に暗くなる。空にはたちまちビーズを散りばめたような星が輝き始める。

「わあ!」

 アルカがただ一言感嘆詞を発する。タイマはそれに同調する。

「東京じゃ、到底見られない景色だな。星がこんなにたくさん、それもくっきりと見える場所なんて、まだあったのか」

「月も綺麗だしね。ほら」

 アルカが山の端の近くに浮かんだ三日月を指さした。

「本当だな。それにしてもアルカ、わかってるじゃないか。やっぱり完全無欠な満月よりも、今にも消え去りそうな三日月の方が風情があって美しいよな」

「そうそう。満開の桜より散りゆく桜の方を愛でる日本人的美的感覚に通ずるものがあるよ」

 月の好みが一緒なんて、つきあいが長くても知らないことはあるものだ。タイマは何度も頷きながら、三日月を眺め続ける。

「……天の海に 雲の波立ち 月の船 星の林に 漕ぎ隠る見ゆ」

 思わず呟いていたフレーズに、アルカが興味を示した。テーブルから身を乗り出してくる。

「何それ。素敵な歌」

「万葉集だよ。空が海だとしたら、流れる雲は波で、三日月は船、星々は林みたいだねって歌だ」

「よく知ってるね。暗記してたの?」

「どこかで聞きかじったんだ。何で覚えてたのか俺にだってわからん」

 現実には月は眺めている間は決して動きはしないけれど、月が宇宙という海原を駆け巡る幻想的な光景が目に浮かぶような、いい歌だ。とても千五百年も前の作品だとは思えない。

「うーん、でも、折角空を海に例えてるんだから、星々は林じゃなくて島にした方がいいんじゃないかな」

 アルカは至極もっともなことを言ったかと思うと、何か思いついたらしく口元を緩めた。

「となると、ここから見えているあの星のひとつひとつに、生命が息づいていて、それぞれ独自の世界を形成してるかもしれないんだね。その星の島々に、月の船が立ち寄っては去っていく。そう考えるとロマンチックじゃない?」

「……おいおい、突っ込みを待ってるのか? 恒星に生命が息づくかよ」苦笑しながら否定するが、同時にその話は確かに面白いな、と思う。「アルカ、宇宙人っていると思う?」

「宇宙人? あー、どこかにはいるだろうね。電波が発明されて数百年、いまだにそれへの応答がない以上、接触できるほどの距離にはいないんだろうけど」

「ふむ。俺は全宇宙を探したっていないと思うがね。生命誕生と進化の奇跡が起こる確率は、全宇宙の惑星の数如きでは太刀打ちできないほど低いというのが、俺の持論なんだ。でもまあ、アルカの宇宙人観も聞こうじゃないか。宇宙人がいるとしたら、どんな奴らだと思う?」

「身体がケイ素からできてるかもなんて話は聞いたことあるよね。でも、きっといかにも宇宙人って感じじゃなくて、見た目は人間と変わらないんじゃないかな」

「ほう。それで、その宇宙人たちはどんな暮らしを?」

「ヨーロッパ中世に良く似た世界で、剣でモンスターと戦ったり魔法を使ったりして暮らしているとか」

「なんだそりゃ。それって、ただの異世界ファンタジーじゃん」

「でもでも」アルカは目をきらきらさせて言った。「作者の妄想でしかないはずのそういう世界が、本当は虚構ではなくて、宇宙のどこかにでも実在するのだとしたら、それは素敵なことだと思わない?」

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