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P.D.A. -Passing Dimension Assistant-  作者: ハイド
第一章
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1

 ところ変わって、遙か彼方の未知なる宇宙。

 数十年にも亘って身体の機能を完全に停止させて眠り続けていたその男は、ある日、ある時間に、突然目をぱっちりと開いた。

 目の前に見えたのは、メタリックで質感のある、冷凍睡眠カプセルの内壁だった。どんなことがあっても絶対に破られたり外気が混入したりしないよう、厳正に作られたチタン製の壁だ。何かに似ている。男は考えた。そうだ、水銀だ。水銀のような灰色をした壁に、四方八方を囲まれている。水銀の有毒性はよく知っている。何となく嫌な感じだった。

 それにしても、まだ眠い。

 寝過ぎた後で目を覚ますと、逆に眠たくなるようだ。

眼前のコントロールパネルで、現在のカプセルの状態を確認する。冷凍モードでも解凍モードでもなく、生命維持モードになっていたので、男は安心した。カプセル内の酸素濃度は十分だ。これならまだまだ眠っていられる。

 目を閉じて、少し考えた。俺は誰だ?

 いくら冷凍睡眠を行っていたとはいえ、数十年の眠りには弊害があったようだった。いくつかの記憶が曖昧だ。そのいくつかの中に、自分の名前などという重大な個人情報が含まれているというのは、やはり良い気分ではなかった。

 考えるな。考えると頭が疲れる。今は寝よう。どのみち、これまではずっと寝ていたんだ。あと数日寝ていたところで、たいした違いがあるものではない。自分の名前だって、その後で頭がもっとはっきりとすればすぐにでも思い出せるだろう。

 ところが、男は再度の眠りに入りかけていたところを叩き起こされた。突如、目の前のパネルが異様な警告音を鳴らし始めたのである。

 男はため息をつくと、頭を軽く振って眠気を振り払い、肘を曲げて手のひらを目の前に持ってきた。手のひらを包む船内服の白が視界のほとんどを覆う。冷凍睡眠の影響で筋肉や神経がいくらか衰弱していたのか、それとも久しぶりのことなので感覚がまだ戻っていないのか、男の指はぎこちなくふらふらとさまよったが、それでもなんとかパネルに触れて操作を行うことはできた。

 数分の気圧調節の後、カプセルは空気の抜けるような音を立てながらパカッと割れた。警告音が鳴り止む。男はカプセルから這い出して立ち上がり、歩き始めようとした。その瞬間バランスを崩しそうになり、慌ててカプセルの外壁にしがみついて身体を支える。その不自然な体勢のまま部屋を見回すと、自分が窓のない殺風景な部屋にいることがわかった。


冷凍睡眠中は意識がないのだから、体感時間で言えば最後にこの部屋を見てから本来幾許もないはずなのだが、不思議なことにそうは感じなかった。やはり、数十年ぶりに帰ってきたというような懐かしさの方が先に来る。部屋の外がどうなっているのかも早く見てみたい。

 しかし、まずは物にしがみつかなければ立っていられないのを何とかしなくては、一生この部屋からは出られそうにない。

 男は覚悟を決めると、長らく連れ添ったカプセルから手を離した。その途端に、二本の足が奇妙奇天烈に動き、あえなく頭から地面に突っ込んだ。床に積もっていた数十年分の埃がもうもうと吹き上がる。

 予想はついていたことだが、自分の足だけで体重を支えることすら難しく、とても扉の方へと歩いていける状態ではない。それでも男はもう一度立ち上がろうとしたが、今度はダルマのように転がって仰向けに倒れ込んでしまった。それでわかったことだが、どうやら床ずれで背中側の皮膚が硬質化しているらしく、仰向けに転んでもちっとも痛みを感じない。不幸中の幸いではないか、と男は皮肉に笑った。

 まず始めたのは、必ず背中を下にして転ぶ訓練だ。体勢を変え、重心を移動しさえすればよかったので、この技能を身につけるのにたいして時間は必要なかった。あとは立ち上がろうとしては転び、転んでは再び立ち上がるという作業を繰り返すだけだ。三十分の苦行を終えた頃には、彼は立って歩くことはおろか、軽くならば走ることさえできるようになっていた。

 万全を期して扉の前に立つ。扉は手動だ。男は腕に力を入れて、取っ手を強く引いた。すると、突然目の前に広大な宇宙が広がった。廊下のガラス越しに闇の中できらめく星々。懐かしい光景だった。それを見た瞬間、男は忘れていたことの全てを思い出した。

 宇宙戦艦アードラーの艦長であるところのこの男、タイマは、本来自分のいるべきところである司令室へと急いだ。そこに、先に目覚めているはずのクルーが集まっているはずだ。

 角を数回曲がり、司令室にたどり着く。扉を開けると、黒縁眼鏡をかけた知性的な男と、柔和そうな顔をした茶髪の女がソファでくつろいでいるのが目に入った。この戦艦のクルー、アルティとアルカだった。

「ようやく入ってきたね、艦長」

 クルーの男の方、デイタが親しげに声をかけてきた。この船では、艦長とクルーとの間に上下関係がないのだ。

「さあさあ、早く席についてよ」

 もう一人のクルーであるアルカがタイマを急かす。タイマは慌てて部屋の後方の艦長席へ向かった。席に着くと、戦艦をコントロールするためのパネルが低い音を立てて作動し、現在位置、戦艦の損傷情報、近くを航行中の他艦の方向と距離、食料の備蓄量などがずらりと表示された。

 最も目を引く情報は、二隻の宇宙船がかなり近い位置にいるというものだ。パネルをタッチして詳細情報を呼び出す。味方の駆逐艦が一隻、後方六十万キロ。そして前方四十万キロのところにいるもう一隻は、敵性宇宙ギルド《D.N.C.》に所属している輸送艦だ。

「タイマ、どうするの?」アルカがくつろいだ格好のまま顔を上げ、そう聞いてきた。「護送されていない輸送艦なら、墜とすのは簡単そうね。加速して独り占めする? それとも、万全を期して駆逐艦と協力体勢を取る?」

「そうだな……。後ろの奴はまだ離れていることだし、そいつには悪いが先に潰させてもらうとするか」

「わかった。なら、私はレーザー砲の整備・点検に行ってくるから」

 アルカが走って出て行くのを見届けたデイタは、「それなら、僕はいつでも砲撃できるように照準を合わせておくよ」と言い、部屋の前方のパネルに向かうと細かい作業を始めた。

クルーの二人が仕事を始めたのだ。艦長も何かしないわけにはいかない。タイマもまた、パネルを使った進行方向と速度の微調整に入った。

 そう時間をおかずに、戻ってきたデイタが「レーザー砲、いつでも発射できるから」と報告してくる。タイマは満足げに頷き、このままやれば成功は確実だな、とほくそえんだ。

 ところが。

 パネルから、冷凍睡眠から叩き起こされた時から数えて二度目の警告音が鳴った。タイマが鬱陶しげな表情を作るより先に、衝撃がきた。

 船体ががくっと揺れる。タイマはすんでのところで椅子に捕まり、何とか体勢を保ったが、デイタは椅子から滑り落ち、立っていたアルカは見事に転んで、そのまま床をゴロゴロ転がっていき、壁にぶつかって止まった。

「おい、せっかく敵に向けていた照準がずれたじゃないか」デイタが悪態をついた。それから愕然とした。「タイマ、撃ってきたのはどこなんだ」

 タイマは慌ててパネルを確認する。そしてすぐに、デイタと同じ表情を浮かべた。

「後ろの奴だ」

 タイマは歯ぎしりしてパネルを見直した。駆逐艦の詳細情報には、確かに《D.N.C.》という船籍表示がある。偽装だったのか、と気付いたときにはもう遅い。二隻で非力な輸送艦を追っていると思い込まされていたが、その実敵の軍艦二隻に囲まれていたというわけだ。

「艦長。早く対処を」

 デイタがこちらが怖くなるほど落ち着いてそう言った。彼は再びレーザー砲の照準を合わせる作業に戻っていた。タイマはふっと気持ちが緩んで苦笑した。彼は、ずっと昔からそういう男だ。危険な状況に陥るほど冷静になる。考えてみれば、これほど合理的な性格もないだろう。

 タイマは彼を見習って、パニックを起こしてパネルを手当たり次第に弄るようなことはせず、この場で最も合理的であろう行動を取った。すなわち転がって目を回していたアルカに手を差し伸べることである。アルカは微笑んでそれを手に取った。

「ごめん。でもタイマ、状況が変わったね。今度はどうする?」

 三人の命運は艦長である自分に委ねられているというわけか。二隻を相手にするのは相当難しい。かといって、前の奴はともかく、高性能のエンジンを積んでいる後ろの奴から逃げ切るというのも至難の業だろう。こんなときにどうすればいいかは、心が知っている。

「よし!」タイマは迷わなかった。「両方、沈めてやる。できるか、デイタ?」

「やってみるさ」

 デイタの苦笑交じりの言葉を聞いて安心すると、タイマは急いで操縦席に戻った。間髪入れずに後ろの戦艦の詳細情報を確認すると、主砲に出力が集中していることがわかった。どうやら今にも再びレーザー砲を放とうとしている様子だ。それも、最初の一発で当ててきたところをみると、狙いは恐ろしく正確だ。まだ数万キロも離れているが、光速のレーザー兵器を相手にしては距離など関係ない。だからタイマはこう叫ぶしかなかった。

「アルカ! 頼む!」

 アルカは既に動いていた。パネルを操作すると、戦艦の後方に鏡のようなバリアが発生してレーザーを防ぐ。

「でかした!」タイマは調子づいた。「さあ、デイタ、まずは前の奴からだ」

 デイタは無言で頷いた。その刹那、目の前に光の束が現れ、そして消えた。タイマはレーザーの軌跡をパネル上で追い、着弾したのを確かめた。

「やっ……いや、バリアを張っていたか」

 さっきアルカは見事にレーザーを防いで見せたが、その程度のことはどうやら敵方にとっても朝飯前であるらしい。タイマは歯がみしたが、「もう一発装填だ」とデイタに指示した。輸送艦は進行方向を変えないので、レーザーを当てるのは簡単だった。何度バリアを張られても、同じ場所を攻撃し続ければ必ずそれを破ることができる。デイタは根気強くレーザーを打ち続けた。

 何度目かのレーザーの後、タイマは困惑した様子でこう言った。

「後ろの奴に追い抜かれるぞ」

 何かトラブルでもあったのか、駆逐艦から放たれるレーザーはしばらく止んでいたため、タイマは輸送艦だけに集中していたのだが、流石に真横を通過されるとどういうつもりなのかと勘ぐってしまう。主砲は艦の前方にあるのだから、敵を追い越すのは自殺行為でしかない。

 相手の意図を探っている間に、駆逐艦は輸送艦に追いついてしまった。駆逐艦は速度を落とした。

「アルカ、この状況はあれだ。あれをやるぞ」

「ええ」

 アルカは例によってパネルを弄り始めた。すると、艦内のスピーカーから、電波を受信できなくなった二十世紀のテレビを思わせる雑音がうるさく流れ初めた。しかし、アルカが作業を続けていると、やがてそれは消え、代わりに敵艦同士のやりとりがはっきりと聞こえてきた。

「助けてくれ。同志よ、あの戦艦を追い払ってくれ。私の艦は国に帰るところだ。ギルドに惑星カナン産のダイヤモンドを届けなければならんのだ」

 ここで何故か、三度目の警告音。

「ほう、それはありがたい」

 やりとりはそれでおしまいだった。後には耳をつんざくような轟音だけが残された。また冷凍されたかのように身を固める三人の前で、輸送艦の艦橋がぽきりと折れた。

 間髪入れずに、クルーの誰でもない男のくぐもった声が、司令室の中に響き渡った。

「どうせ傍受してるよな、そこの新参。そうだとしたら、ま、何だ。横取りして悪かった。まあ、ここではよくあることだ。気にすんな」

 アルカが叩きつけるようにパネルを操作して回線を切った。男の声や雑音がもはや聞こえなくなっても、アルカは顔面を蒼白にしたままだった。

 駆逐艦は宇宙ボートを数隻出して相手の積み荷を根こそぎ奪い取ってしまうと、もはや戦艦アードラーなど無視してあっという間にどこかへ去ってしまった。後には輸送艦の残骸を前にした、三人の間の奇妙な気まずさだけが残った。

 四度目の警告音が鳴り響く。流石に妙に思ったのか、デイタが声をかけてきた。

「タイマ。さっきから何回か鳴っているその音は何なんだ?」

「あ、これな」タイマは説明をためらった。だが、横取り騒動が終息していささか興ざめしたこの雰囲気なら構わないだろうと判断した。「どうやらメールみたいだ。流石にそろそろ確認しないとな……。悪い、ちょっと落ちるわ」

「えっ、ちょっと。艦長がいなくなったら私たち……」

 アルカが慌ててタイマの腕を掴もうとしたが、彼は既に「後はよろしくな」と言い残してその場から姿を消していた。

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