壱ノ六 男爵は敬慕する。
マリアマリアはゆっくりと、足元に転がる遺体を踏まないように奥へと歩を進める。その後を、バルトロメが続く。
「なんというか、よくわからない状況ねぇ」
「よくわからない?」
マリアマリアの呟きに、バルトロメが訊いた。
「うん。一見、無茶苦茶に見えるけれど、被害者の解体自体は丁寧に行われてるもの。いわゆる、狂人の仕業というわけではないわ。
でも、まともな人間かというと、そんなこといえないでしょ、この有様を引き起こした奴が」
マリアマリアの言葉に納得する。
いったい、どういう神経、精神状態の人間ならば、このようなことができるのか?
調理台の端に並べられた腕と脚。
腕は十本。足は九本。
……一本足りない。
いや、台所を取り仕切っていた女衆は、全部で七人と聞いた。
とするならば、これは半端だ。
ここまで丁寧にしているというのに。
この調理台もいろいろとおかしい。
恐らくは丸太を縦に切って造ったであろう、大きなまな板。そこだけが整然としていた。大きな肉切り包丁が置かれたまな板。
だが、その周囲は割れた調味料の壺や、切りかけの野菜などが飛び散っている状況だ。調理道具も、床に転がっている有様。
にも拘わらず、まな板の上だけが綺麗であるのだ。
足元のバケツは転がり、中に放り込まれいた野菜くずなどの生ごみがこぼれている。
どう見ても、後からまな板の上を片付けたとしか思えない。
いつの間にか、臭いが気にならなくなっていた。
臭いに慣れたのか、鼻が馬鹿になってしまったのか、それとも――
竈の近くにまできて、マリアマリアはそれに気が付いた。
壁に飛び散る血の跡。
「あぁ、ここで殺されたのね。うん、床が黒っぽいのは血を吸ったからかな」
マリアマリアが足元を見て呟く。
台所の床は、剥き出しの地面のままだ。
「犯人は、真っ先に食器棚を倒して、女たちの逃げ道を塞いだのでしょうか?」
台所の導線を潰していた、入り口の食器棚の状態を思い出し、バルトロメが口にする。
「そうなのかな。抵抗しているうちに倒れた……っていうのは無いか。少なくともここに五人いたわけだし。武器になりそうな包丁なりすりこぎなりあるし。
道を塞いで追い詰めたんだろうね」
大テーブルの周りは、ふたりくらいなら余裕ですれ違える幅がある。だが戦闘を行うと考えると、この幅は狭いとしか云いようがない。
「逃げ場がないと悟って、決死の抵抗……にしてはなんか変な気がするんだよね。
このあたりに香辛料とか飛び散ってるから、きっと壺を投げつけたりしたんだと思うけど。でも、ここで五人が殺されるほどのことがあったとしたら、もっと……こう、派手に荒れてると思うんだよね。みんなが一丸となって抵抗したわけじゃないのかな?」
いや、抵抗できたか否か、は、もはやどうでもいいことだ。
ここにいた料理女たちは、無残にも殺されてしまったのだから。
呻くような声をあげると、マリアマリアは顔を顰めた。
うーん、どうにも思考があっちこっちに跳ぶな。ちゃんと集中しないと。
不意に、マリアマリアは、バルトロメがじっと自分を見つめていることに気が付いた。
「? 男爵様? なにかな?」
マリアマリアが首を傾ぐ。
「いえ、本当にこういうことに慣れてらっしゃるんですね」
「ん? あ、あー。あはは。地獄の使徒はこういう仕事がほとんどだからね。もっとも独り立ちしてからだと、連続殺人犯粛清はこれが初めてになるけど。お母さんについて歩いてた時とあわせても、三回しかないか。まぁ、連続殺人鬼が、そんなポコポコいるもんじゃないしね」
「こういった事件が担当なんですか?」
バルトロメが訊ねる。
「一応、役割分担的なものがあるのよ。【冥府の使徒】は不死の怪物討伐が主だった任務。あたしたち【地獄の使徒】は、こういった連続殺人犯とか、無為に輪廻を加速させる輩の粛清が主ね。もちろん、手の空いている時は不死の怪物の討伐をしてるけど。そして【奈落の使徒】は、普通じゃ手に負えないようなモノ、不死の王とか黄昏の支配者、魂狩りの悪魔の討伐が専門かな。もっとも、今は【奈落の使徒】は不在だけどね」
「不在? 確か、協会三賢者と称されるお三方は、それぞれのトップとなっていると聞いたことがありますが?」
「良く知ってるね。三賢者のことは聞いたことがあっても、なんの使徒かまでは知ってる人は少ないよ。【冥府の使徒】であり、あたしたち使徒のまとめ役、最初の【使徒】サーマ様。あたしの養母、【地獄の使徒】リア。そして【奈落】唯一の神である女神ナラカ様に選ばれし、【奈落の使徒】ナサニエル様の三人。
でもナサニエル様は五年前に、ウィランで起きた不死の王襲撃事件の際に落命されたからね。いまは【奈落の使徒】は不在なのよ」
そう云い、マリアマリアは胸元で印を結ぶと、短く祈る。ナサニエルが安らかに眠れるように。
「使徒様が命を落とされたのですか? 使徒様は不老不死にして不死身であるというのが、私たちの認識でしたが」
「あぁ、それでさっきあたしの歳を訊いたのね? うん、それも間違いじゃないけど、それはサーマ様とお母さんだけだよ。神様との契約で、後継者が見つかるまで、死ぬことができないの。『呪いみたいなものよ』って、サーマ様が云ってたっけ」
うーん。男爵様、事件外の話題に食いつく感じね。さすがにこれはキツいか。
まぁ、あたしも頭を抱えたくなるし。なんなのこれ?
混乱と秩序が凄い嫌な形で組み合ってる。いずれかだけだったら、まだ納得もできるんだよ。
でもここにはそれがない。絶妙に組み合ったその歪さが――
ひ ど く き も ち わ る い。
犯人はふたりいた? いえ、無理ね。どう考えても、イカレタ方が、秩序だった方を殺すとしか思えない。無秩序型の殺人鬼が、興奮状態で分別を保てるとは思えない。
ならば、秩序的な犯人がイカレタ者に見せかけた?
いえ、だったら、あんな整然としたことなどしやしない。手足を綺麗に並べ、臓物を溢さずに丁寧にバケツに納めるなんて。
そもそも、そんな工作などする必要なんてないハズだ。
これまでは、まるで芸術作品を作るかの如く振る舞っていたのだから。
屈みこみ、足元に転がっている四体目の遺体を検分する。
そして、今更ながらに気づく。
外傷がない。内臓を掻きだすために、縦に切り裂いた腹の傷、そして手足と首の切断。 それ以外の外傷が一切無い。
犯人はいったいどういう手口で被害者を殺害したのか?
一刀の下に首を刎ねたのだろうか? いや、それ以外に思い浮かばない。
なぜなら、これまでの傾向から、頭部が損傷するような攻撃は、最初の殺人以降は一切行われていないからだ。
首を一刀で落とすというのは、かなりの腕前だ。
最終的には対峙することになるのだ、こういう情報だけは確実に集めておかなくてはならない。
返討ちに遭うなどという、間の抜けたことになるわけにはいかない。
ふと、マリアマリアは屈んだまま振り返り、すぐ後ろにいるバルトロメを見上げた。
男爵の目は、半ば死んだように虚ろになっていた。
「大丈夫? 男爵様」
心配そうにバルトロメに訊く。
「その、使徒様はこの惨状が平気なので」
その問いにマリアマリアは、う~ん……と考え込むと、こう答えた。
「平気、というのとはちょっと違うかな」
マリアマリアは立ち上がると、台所全体を指し示すように左腕を広げる。
「確かにここは酷い有様よ。イカレタ殺人鬼が暴れたせいで、とっちらかってる。まさに混沌が吹き荒れたかのようにね。そして残虐な仕打ちを受けた被害者の遺体。
あたしにだって思うところはあるわよ。いくら慣れてるとはいってもね。
でも、彼女たちは憐れまれこそすれ、嫌悪されるようなものではないわ」
そしてすぐ近くにあるふたつのバケツを指差す。入り口近くにあったバケツと同様に、赤黒く変色した臓物の入ったそれを。
「この酷い臭いの主な元凶はソレよ。この臭いに顔を顰め、気分を悪くするのは仕方がないと思うわ。でも、それはあたしたちのお腹の中にも入っているものよ。決して忌避するものでも嫌悪するものでもないわ。そうでしょう?」
少女の言葉に、バルトロメはハッとした。
少女の云ったこと、それはまさにその通りであった。
忌避していたモノ。嫌悪を抱いていたモノ。それはそうすべきモノではなかったのだ。理不尽な暴力に殺された、被害者たちであるのだから。
それを少女に自覚させられた途端、この台所が、それこそ瞬きする直前とはまるで違う景色に見えた。
胸に生まれるのは、犯人に対する怒りと、被害者に対する憐憫。
そしてその事実に、バルトロメは自分を恥じるしかなかった。
「使徒様……」
「はい?」
「心から、尊敬いたします」
バルトロメの言葉に、マリアマリアは目を瞬いた。
「やめてよ。あたしは見た目通りのただの小娘なんだから。尊敬なんてされるような者じゃないわ」
そう云いながらも、マリアマリアはほんの少し顔を赤らめた。