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猫は死ぬ  作者: 和田好弘
其の壱 ボルトン農場
7/17

壱ノ五 少女は調査する。


 飛び出してきた三人は倒れ込むように膝をつくと、嘔吐き、胃の中のものをぶちまけ出した。


「あー、これは酷いわね。【鎮静(サニティ)】で治るかな?」


 ぱたぱたとマリアマリアは酷い状態の男たちに駆け寄ると、【鎮静】の魔法を掛けて回る。


「う、うぷ。……あ、ありがとう、お嬢ちゃん。大分楽になった」

「どういたしまして。大丈夫? もう一回掛けようか?」

「い、いや、十分だよ……」


 黒づくめの青年はなんとか手をあげ、屈んで膝を抱える少女の申し出を断った。これ以上、少女に負担を掛けるのは、いい年をした大人としてはばかられる。命に関わるようなことならともかく、これは、単に気分が悪いだけなのだから。

 その青年の前に、バルトロメが膝をついた。


「フェルナンド殿、いったい何があったのだ?」

「あぁ、バルトロメ卿、これはなんとも情けないところを見せた」


 警吏、フェルナンドは左手で胸を抑えると、ゆっくりと立ち上がった。


「それで?」

「あぁ、この中――」


 云いかけ、フェルナンドはいましがた、自分を治癒してくれた少女に目を止めた。

 少女、マリアマリアは戦槌――槌の元の部分に、錫杖の如く円環のついた特殊なもの――を両手で持ち、かくんと小首を傾いでフェルナンドを見上げていた。

 この可愛らしい少女に、この台所での惨状を口にすることは、フェルナンドにはためらわれた。

 知らずに顔が強張るのがわかる。


 だが、なぜ年端もいかぬ少女がここにいるのか、そこに気づかぬことが、フェルナンドがいまだ混乱していることを示していた。

 そんなフェルナンドの心情を察し、バルトロメがマリアマリアを紹介した。


「フェルナンド殿、こちらはマリアマリア・パンサレス嬢、使徒様だ」

「はじめまして、フェルナンドさん。地獄の使徒、マリアマリア・パンサレスよ」


 一瞬、呆けたように少女を見つめたフェルナンドは、ハッとすると姿勢を正し、慌ててマリアマリアに自己紹介をした。


「こ、これは失礼しました。サンベール犯罪捜査官フェルナンド・タウレルと、申し、ま、す」


 半ば歯を食いしばるように、途切れ途切れに自己紹介するフェルナンドに、マリアマリアは心配そうな目を向けた。


「大丈夫? やっぱりもう一度掛けようか?」

「い、いえ、大丈夫です。これ以上、使徒様の手を煩わせるわけにはまいりません」

「それで、フェルナンド殿?」

「あぁ、中は酷い有様だ。こんなに酷い現場は初めてだ。とてもまともな人間がやったとは思えん。いや、イカレタ人間でもこんなことはすまい。ここで行われたことは、あまりにも異常だ」


 具体的な内容は聞けず、マリアマリアとバルトロメは顔を見合わせた。


「これは実際に見た方が早いわね」


 うん。とひとつ頷くと。マリアマリアはてくてくと台所へ入るべく歩き出した。

 フェルナンドは慌てた。


「ちょ、し、使徒様、お待ちください、中は本当に――」

「大丈夫だよー。あたしはこういうのが専門だから」


 へたり込み、使い物にならなくなっている兵士の間を抜け、入り口に持っていた戦槌を立て掛けると、マリアマリアは台所へと入っていく。

 慌ててバルトロメとフェルナンドが、少女の後を追った。


 台所に入りざっと周囲を見回すと、マリアマリアは眉を顰め、口元を歪めた。


「ぅわぁお。こいつはまた酷いわね」


 がたたっと、大きな音が聞こえ、マリアマリアは音のした方、すぐ後ろを振り向いた。みると、フェルナンドが慌てて飛び出していったところだった。どうやらまだ、ここに入るだけの耐性はつかなかったらしい。

 広がる光景も酷いが、なにより臭いが酷い。

 バルトロメは口元を抑え、呆然とした表情を浮かべていた。


「? あぁ、そっか。

 男爵様、一度、外へでましょ」


 マリアマリアはバルトロメの背を押し、無理矢理台所から押し出した。


 バルトロメは何事か考えるように、口元に手を当て俯き、フェルナンドは今にも倒れそうなほどに青褪めていた。


「大丈夫?」

「あの、使徒様は平気なので」


 バルトロメが問うた。


「え、うん。これより酷いのも何度か見たことあるしね。ほら、さっき云ったじゃない。あたし、生きている人より、死んでる人と会った方が多いって。

 それに地獄の使徒って、基本、こういうのが担当だからねぇ」


 苦笑しながら事も無げに答える少女に、バルトロメとフェルナンドは言葉を失った。

 目の前に佇むこの愛らしい少女は、本当に――

 否――

 バルトロメは軽く頭を振る。そして改めて目の前の少女を見つめた。


 いったい、この少女はどれだけの地獄を見てきたのか。


 この台所の惨状は、まさに『地獄のような有様』という表現を使ったとしても、なんの遜色もない有様なのだ。


「台所の調査はあたしがしてくるよ。状況はちゃんと書面にして渡すから、フェルナンドさんは休んでてよ。その様子だと、すぐには無理だよ」

「いや、しかし……」

「フェルナンド殿、私が同行するから問題はない。あなたは少し休んだ方がいい」


 バルトロメが云うと、フェルナンドは尻餅をつくように地べたに腰を落とし、うなだれた。

 やはり、精神的に限界に近かったようだ。

 マリアマリアはフェルナンドに、台所で働いていた者の人数を訊くと、バルトロメに向き直った。


「男爵様は大丈夫? ほかの人たちよりは平気そうだけど」

「えぇ、以前、似たような現場に立ち会ったことがありますから。もっとも、此処までは酷くはありませんでしたし、魔物による事件でしたが」


 緊張した面持ちの男爵を見つめ、マリアマリアはひとつ頷いた。


「うん。それじゃお願いするわね。でも無理はしちゃダメだよ。自分の常識が壊れたら、戻ってこれなくなるから」


 不穏なことを少女が口にする。


「やっぱり、人は人らしくないとね。それじゃ男爵様、行きましょう」


 そういってマリアマリアは再び台所へと向かって歩き始めた。

 ためらいなく、いや、まるでいつもの日常の如く、台所へと入っていく少女を目で追う。

 そしてその少女の姿に、フェルナンドは思い至った。


 あぁ、あの少女は、人として壊れていることを自覚しているのか――


 気付き、フェルナンドは額に手を当てると膝を抱えるように俯いた。

 なんとも、やるせない気持ちだった。




 再び台所へと入り、マリアマリアは改めて辺りを見回した。

 中央に大きなテーブル。左手奥に竈がみっつ。正面奥には大扉。きっと食糧庫だろう。右手には食器棚。だがいまは倒れ、辺りには砕けた陶器の皿や、木皿、カップが散乱している。竈近くの棚も倒れている。ここからだとよくは見えないが、恐らくは調味料の類が並べてあったのではなかろうか。


 普段は、調理台となっている中央の大テーブルの周りを料理女たちが忙しなく動き回っていたのだろう。だが今は倒れた棚のせいで、まっすぐ進むことはできない。


 そして、臭いが酷い。


 窓は開いており、扉も開け放たれているというのに。

 血と臓物、汚物の入り混じった臭い。獣の血抜きをする時などとは比にならぬ悪臭。

 だから狩人たちは、獲物の解体に細心の注意を払うのだ。しくじれば、この異臭を嗅ぐことになるのだから。


 足元に目を落とす。


 飛び回る蠅。

 転がる空っぽの遺体。

 五体満足なものはひとつもない。

 首だけではなく、手足も切断されていた。

 近くに置かれたみっつのバケツには、赤黒いものが詰まっていた。

 それはこそぎ落とされた(はらわた)


 この臭いの元凶。

 被害者たちの躰の中にあったもの。


 なるほど、フェルナンドさんが異常っていうわけだ。


 ここにあるのはまさに混乱。

 理不尽な暴力が吹き荒れたかに見える。

 だが、犯人はその後、人間を解体している。

 転がる臓物の無い遺体。

 調理台に綺麗に並べられた手足。

 こぼさずバケツに詰められた腸。

 これは、秩序だっている。

 犯人は冷静であったと云っていいだろう。


 まるで、最初の殺人のようね。


 マリアマリアが始まりの事件の資料を思い出す。

 その事件だけ、被害者は完膚なきまでに解体され、痛めつけられていたのだ。

 まるで、ここの惨状と同じように。


 いつまでもここで見ていても仕方ないわね。奥に進みましょう。

 それにしても――



 首 は ど こ に い っ た の ?



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