壱ノ五 少女は調査する。
飛び出してきた三人は倒れ込むように膝をつくと、嘔吐き、胃の中のものをぶちまけ出した。
「あー、これは酷いわね。【鎮静】で治るかな?」
ぱたぱたとマリアマリアは酷い状態の男たちに駆け寄ると、【鎮静】の魔法を掛けて回る。
「う、うぷ。……あ、ありがとう、お嬢ちゃん。大分楽になった」
「どういたしまして。大丈夫? もう一回掛けようか?」
「い、いや、十分だよ……」
黒づくめの青年はなんとか手をあげ、屈んで膝を抱える少女の申し出を断った。これ以上、少女に負担を掛けるのは、いい年をした大人としてはばかられる。命に関わるようなことならともかく、これは、単に気分が悪いだけなのだから。
その青年の前に、バルトロメが膝をついた。
「フェルナンド殿、いったい何があったのだ?」
「あぁ、バルトロメ卿、これはなんとも情けないところを見せた」
警吏、フェルナンドは左手で胸を抑えると、ゆっくりと立ち上がった。
「それで?」
「あぁ、この中――」
云いかけ、フェルナンドはいましがた、自分を治癒してくれた少女に目を止めた。
少女、マリアマリアは戦槌――槌の元の部分に、錫杖の如く円環のついた特殊なもの――を両手で持ち、かくんと小首を傾いでフェルナンドを見上げていた。
この可愛らしい少女に、この台所での惨状を口にすることは、フェルナンドにはためらわれた。
知らずに顔が強張るのがわかる。
だが、なぜ年端もいかぬ少女がここにいるのか、そこに気づかぬことが、フェルナンドがいまだ混乱していることを示していた。
そんなフェルナンドの心情を察し、バルトロメがマリアマリアを紹介した。
「フェルナンド殿、こちらはマリアマリア・パンサレス嬢、使徒様だ」
「はじめまして、フェルナンドさん。地獄の使徒、マリアマリア・パンサレスよ」
一瞬、呆けたように少女を見つめたフェルナンドは、ハッとすると姿勢を正し、慌ててマリアマリアに自己紹介をした。
「こ、これは失礼しました。サンベール犯罪捜査官フェルナンド・タウレルと、申し、ま、す」
半ば歯を食いしばるように、途切れ途切れに自己紹介するフェルナンドに、マリアマリアは心配そうな目を向けた。
「大丈夫? やっぱりもう一度掛けようか?」
「い、いえ、大丈夫です。これ以上、使徒様の手を煩わせるわけにはまいりません」
「それで、フェルナンド殿?」
「あぁ、中は酷い有様だ。こんなに酷い現場は初めてだ。とてもまともな人間がやったとは思えん。いや、イカレタ人間でもこんなことはすまい。ここで行われたことは、あまりにも異常だ」
具体的な内容は聞けず、マリアマリアとバルトロメは顔を見合わせた。
「これは実際に見た方が早いわね」
うん。とひとつ頷くと。マリアマリアはてくてくと台所へ入るべく歩き出した。
フェルナンドは慌てた。
「ちょ、し、使徒様、お待ちください、中は本当に――」
「大丈夫だよー。あたしはこういうのが専門だから」
へたり込み、使い物にならなくなっている兵士の間を抜け、入り口に持っていた戦槌を立て掛けると、マリアマリアは台所へと入っていく。
慌ててバルトロメとフェルナンドが、少女の後を追った。
台所に入りざっと周囲を見回すと、マリアマリアは眉を顰め、口元を歪めた。
「ぅわぁお。こいつはまた酷いわね」
がたたっと、大きな音が聞こえ、マリアマリアは音のした方、すぐ後ろを振り向いた。みると、フェルナンドが慌てて飛び出していったところだった。どうやらまだ、ここに入るだけの耐性はつかなかったらしい。
広がる光景も酷いが、なにより臭いが酷い。
バルトロメは口元を抑え、呆然とした表情を浮かべていた。
「? あぁ、そっか。
男爵様、一度、外へでましょ」
マリアマリアはバルトロメの背を押し、無理矢理台所から押し出した。
バルトロメは何事か考えるように、口元に手を当て俯き、フェルナンドは今にも倒れそうなほどに青褪めていた。
「大丈夫?」
「あの、使徒様は平気なので」
バルトロメが問うた。
「え、うん。これより酷いのも何度か見たことあるしね。ほら、さっき云ったじゃない。あたし、生きている人より、死んでる人と会った方が多いって。
それに地獄の使徒って、基本、こういうのが担当だからねぇ」
苦笑しながら事も無げに答える少女に、バルトロメとフェルナンドは言葉を失った。
目の前に佇むこの愛らしい少女は、本当に――
否――
バルトロメは軽く頭を振る。そして改めて目の前の少女を見つめた。
いったい、この少女はどれだけの地獄を見てきたのか。
この台所の惨状は、まさに『地獄のような有様』という表現を使ったとしても、なんの遜色もない有様なのだ。
「台所の調査はあたしがしてくるよ。状況はちゃんと書面にして渡すから、フェルナンドさんは休んでてよ。その様子だと、すぐには無理だよ」
「いや、しかし……」
「フェルナンド殿、私が同行するから問題はない。あなたは少し休んだ方がいい」
バルトロメが云うと、フェルナンドは尻餅をつくように地べたに腰を落とし、うなだれた。
やはり、精神的に限界に近かったようだ。
マリアマリアはフェルナンドに、台所で働いていた者の人数を訊くと、バルトロメに向き直った。
「男爵様は大丈夫? ほかの人たちよりは平気そうだけど」
「えぇ、以前、似たような現場に立ち会ったことがありますから。もっとも、此処までは酷くはありませんでしたし、魔物による事件でしたが」
緊張した面持ちの男爵を見つめ、マリアマリアはひとつ頷いた。
「うん。それじゃお願いするわね。でも無理はしちゃダメだよ。自分の常識が壊れたら、戻ってこれなくなるから」
不穏なことを少女が口にする。
「やっぱり、人は人らしくないとね。それじゃ男爵様、行きましょう」
そういってマリアマリアは再び台所へと向かって歩き始めた。
ためらいなく、いや、まるでいつもの日常の如く、台所へと入っていく少女を目で追う。
そしてその少女の姿に、フェルナンドは思い至った。
あぁ、あの少女は、人として壊れていることを自覚しているのか――
気付き、フェルナンドは額に手を当てると膝を抱えるように俯いた。
なんとも、やるせない気持ちだった。
再び台所へと入り、マリアマリアは改めて辺りを見回した。
中央に大きなテーブル。左手奥に竈がみっつ。正面奥には大扉。きっと食糧庫だろう。右手には食器棚。だがいまは倒れ、辺りには砕けた陶器の皿や、木皿、カップが散乱している。竈近くの棚も倒れている。ここからだとよくは見えないが、恐らくは調味料の類が並べてあったのではなかろうか。
普段は、調理台となっている中央の大テーブルの周りを料理女たちが忙しなく動き回っていたのだろう。だが今は倒れた棚のせいで、まっすぐ進むことはできない。
そして、臭いが酷い。
窓は開いており、扉も開け放たれているというのに。
血と臓物、汚物の入り混じった臭い。獣の血抜きをする時などとは比にならぬ悪臭。
だから狩人たちは、獲物の解体に細心の注意を払うのだ。しくじれば、この異臭を嗅ぐことになるのだから。
足元に目を落とす。
飛び回る蠅。
転がる空っぽの遺体。
五体満足なものはひとつもない。
首だけではなく、手足も切断されていた。
近くに置かれたみっつのバケツには、赤黒いものが詰まっていた。
それはこそぎ落とされた腸。
この臭いの元凶。
被害者たちの躰の中にあったもの。
なるほど、フェルナンドさんが異常っていうわけだ。
ここにあるのはまさに混乱。
理不尽な暴力が吹き荒れたかに見える。
だが、犯人はその後、人間を解体している。
転がる臓物の無い遺体。
調理台に綺麗に並べられた手足。
こぼさずバケツに詰められた腸。
これは、秩序だっている。
犯人は冷静であったと云っていいだろう。
まるで、最初の殺人のようね。
マリアマリアが始まりの事件の資料を思い出す。
その事件だけ、被害者は完膚なきまでに解体され、痛めつけられていたのだ。
まるで、ここの惨状と同じように。
いつまでもここで見ていても仕方ないわね。奥に進みましょう。
それにしても――
首 は ど こ に い っ た の ?