壱ノ四 兵士は嘔吐する。
ボルトンがロンバルテスの街の商業ギルドで、全ての用事を済ませたのは昨日の事だった。ギルドへの年会費の支払いや、臨時雇いの農夫の募集手続き、その他諸々の雑事のために農場を空けた二日間。それが彼の命を救うこととなったのだ。
だが、命を拾った代わりに、彼は耐え難い絶望を得ることになる。
翌日夕刻、ドルカンは再び街を訪れた。僅か一日で、それこそ何十年も過ぎ去ったを思えるほどに疲れ果て、恐怖と狂気を滲ませた眼をして。
彼は潰れかけた馬から飛び降り、フラフラとした足取りで門を潜ろうとした。
慌てて番をしていた兵士がボルトンを取り押さえると、彼は突如として叫び声をあげ、半ば狂ったように叫びだした。
死んだ! 死んだ! みんな死んだ! 殺された!
ノエリアも、ロルダンも、みんな、みんなだ! あああぁあぁあああ!
それだけ叫び、気を失った。
それはあまりにも異常だった。
ボルトンはすぐに【生と死の協会】の治療院へと運び込まれた。
適切な治療と投薬、そして鎮静の魔法を受け、ボルトンは意識を取り戻した。なかば強制的な施術ではあったが、少なくとも彼は、表向きには平静さを取り戻していた。
感情が抜け落ち、まるで人形のようではあったけれども。
そして齎された、ボルトン農場での惨事。
農場にいた者全員が殺されたということ。それも、そのほとんどが首を切断され、飾り立てられていたということ。
ボルトンの妻も、息子も。
この凶報を受け、治安維持隊は直ちに部隊を編成。準備が整うや、農場へ向け出発した。すでに陽は沈み、時刻は真夜中近くであるというのに、出発するという強行軍だった。
夜明け前に到着した部隊は、三つの班に分かれ、状況確認を開始した。
◇ ◆ ◇
「被害者のほとんどが首を切断されているようです。現在は、殺人現場の記録を取っています。なにぶん数が多いので、時間が掛かっていますが」
「……え? まさか、農場の全員が被害者なの?」
「確認が終了していないのでなんともいえませんが。逃げることが出来た者がいるかもしれませんし」
バルトロメの言葉に、マリアマリアは考え込んだ。
首を切断。手口は、いま自分が追っている殺人者のものと同じだ。でも、規模があまりにも違い過ぎる。
農場まるごとひとつ。
これまでは、多くても五人だった。街道沿いの安宿での殺人事件。被害者は宿の経営者夫婦とその息子、そして宿泊客の傭兵と行商人のふたり。
それが今回は農場に住んでいた者すべてだ。
犯行が増長するにしても、あまりにも一足飛びに拡大し過ぎている。
模倣犯だろうか? いや、それにしてもこの規模は異常だ。
あぁ、そうだ、それを確認する方法はあるのだ。
それに、例えこれが別口だとしても、放置するわけにもいかない。
輪廻を無為に加速させる存在は敵だ。
とにかく、今は現状をきちんと把握するのが先だ。
「男爵様、もしこの凶行を行った犯人が、あたしの追っている者と同一なら、生存者は絶望的ね。一応、生存者の確認は、あたしが魔法で捜査するけど。隠れおうせた者がいるかもしれないから。でも……まぁ、望み薄かな。
それと、あたしの追っている殺人者は、必ず誰かひとりを連れ去ってるわ。もしかしたら、行方不明となっている者がいるかもしれない」
「連れ去り、ですか? またなんの為に。足手まといにしかならないでしょう」
バルトロメが怪訝な表情を浮かべる。
「理由はわからないわね。でも連れ去った者を、次の殺人現場で殺しているのよ。これまでの数件でそれは確認できているわ。……逆に確認できていない数件は、それだけの数だけ、いまだ露見していない殺人あるってことかもしれないんだけど」
ふたりはゆっくりとした足取りで進み、兵士たちの馬でいっぱいになっている厩の脇を通り抜け、農場へと入った。
広場のように開けた場所。正面には二階建ての母屋。ここで農夫たちほぼ全員が寝起きしている。右手には鍛冶場と納屋が一体となっている建物。ここの二階部部分は、主に臨時雇いの農夫の宿泊所として使われている。
農地はこれらの建物の向こうに広がり、その一角に豚舎がある。
マリアマリアがまず真っ先に気が付いたのは、その広場中央あたりに倒れている女性の姿。見たところ、五体満足である。そして、右手の鍛冶場前に倒れている年寄り。こちらは首を切断され、仰向けに倒れた胸の上に、首が置かれていた。
雑……。
その様子に、ほんの少しマリアマリアは眉を顰める。これまでの事件現場に比べ、あまりにも雑だ。
これまで犯人は、首を非常に丁寧に扱っていたのだ。
場合によっては、それこそ芸術作品と思わせるような装飾をして。
もっとも異常であった、最初の殺人を除き。
だが今回は、ただ切り落とし、無造作に置いてあるだけに見える。
人数が多いからかなぁ。時間を気にした? それに、あの女性の首が繋がっているのは何故? なんで切断しなかったんだろ? できなかった? する時間がなかった?
これまでの現場と比べると、不可解な点が尽きない。
まぁ、いいか。悩むのは調べてからにしよう。まずは情報収集。
「それで男爵様。いまはどこに向かっているのかしら?」
「この事件の担当となっている警吏、フェルナンド殿の所へご案内します。ご安心を。彼はまっとうな男ですよ」
バルトロメの言葉に、マリアマリアは目を瞬いた。
「あはは。ご心配ありがとう。あの、あたしが他所で警吏ともめたの知ってるの?」
「いえ、ですが、腐敗している者が多いのは事実ですからね。更迭するにも、現場を押さえない事にはどうにも。使徒様も捜査を邪魔されましたか?」
「邪魔というか、完全に部外者扱いされたわね。さんざん侮辱もされてねぇ。挙句に騙りだって云われて協会員を呼ばれるまでになったわ」
バルトロメの顔が微かに強張った。
「それは、かなり大事になったのでは?」
「協会の人があたしを見て、直後に警吏のおじさんに掴みかかって大変だったよ。最終的に領主様まで呼び出されて、あたしみたいな小娘に頭下げる羽目になっちゃったし。あれは申し訳なかったな。領主様悪くないのに。あのクソ親父が悪いだけなのに」
【生と死の協会】の医療面における貢献度は、どこの国でも無視できないものとなっている。そのため、協会と敵対関係となることは、絶対に避けなくてはならないのだ。
もし領内の協会の治療院が閉鎖されようものなら、領民の生存率が目に見えて低下することになるのだから。いや、領内だけでなく国内すべてとなろうものなら、領主の責任問題にもなる。下げる頭が失くなるくらいなら、いくらでも下げようというものだ。
バルトロメの驚いたような顔に、マリアマリアは慌てて言葉を続ける。
「あ、あたしも領主様に謝ったんだよ。そんな大事になるなって思わなかったから。そしたら、なんだか領主様が顔を引き攣らせてたけど……」
ほんの少し、言葉が尻すぼみになる。
「きっと領主様、相当に怒ってたんだと思う。だってあの悪徳警吏、あっと云う間に処刑台送りになったし。まぁ、見せしめにはなったし、綱紀粛正にはなったと思うから、少しは治安が良くなったとは思うよ」
マリアマリアの話を聞き、バルトロメは考えていた。
その警吏が処刑台に送られた本当の理由は、領主に頭を下げさせる事態に陥らせたことではなく、この目の前にいる少女、【使徒】、神の奇跡の代行者たるマリアマリアに頭を下げさせたせいではないかと。
ふたりは広場を突っ切り、母屋の近くにまで来た。このまま母屋の左方にある台所へと向かう。約四十人、作付け時期には百人近くになる農夫の胃袋を満たす量の食事を作り出す場所だ。その規模はなかなかに大きい。
だがいまは、そこで働く女たちはおらず、調査にきた兵士たちばかりがいる。
歩を進めるにつれ、ふたりは異常に気が付いた。
台所の周囲で、兵士たちが壁に手をついたり、跪きながら嘔吐していた。
「なんだか大変なことになってるわね」
「いったい何事だ?」
ふたりは歩を速めた。
「ねぇ男爵様、ここに来ている兵隊さんたちって、もしかして実戦経験無し?」
「いえ、そんなことはありませんし、いまさら死体程度で使い物にならなくなる程、柔ではありませんよ」
だが目の前には、どう見ても損傷の激しい遺体を直視した、もしくは初めて殺人を犯した善良な者のような反応をしている兵士たち。
ふたりが台所に辿り着くと、ちょうど台所の入り口からふたりの兵士と黒づくめの制服を着た男が口元を抑えて飛び出してきた。