壱ノ二 兵士は恐縮する。
ぼーっとした表情で兵士たちを見つめていた少女は、かくんと首を傾げたかと思うと、まるで糸の切れた操り人形みたいな調子で頭をさげた。
「おはよー」
どう見ても寝ぼけた様子の少女に、ふたりはまたも顔を見合わせた。
少女の頭がふらふらと左右に揺れている。
淡い金髪を三つ編みおさげにした、そばかす顔の可愛らしい少女。
この様子からして、少なくとも魔女や妖魔の類ではなさそうだ。
とはいえ、このまままた寝入られても困る。
兵士のひとりが恐る恐る魔獣に近づき、その背の少女に声を掛けた。
「おい、お嬢ちゃん、起きてくれ! お嬢ちゃん!」
「ほへっ!?」
びくんっ! と飛び上がるように震え上がって、少女は今度こそはっきりと目を覚ました。
「あ、あれ? ここどこ? んむ? あ……」
キョロキョロとあたりを見回し、ふたりの兵士が目に入ったところで少女は硬直した。
「あ、あの、おはよう、ございます」
「お、おう、おはよう」
なんだか非常に気まずい沈黙。
その沈黙に耐え兼ね、もうひとりの兵士が、少女に話しかけた。
「あー、お嬢ちゃん。いま農場は事件があって、閉鎖中なんだよ。それで、どんな用件でここに来たんだ? 農場主のボルトンなら、いまは町だぞ」
「あ、うん。知ってる。昨日知らせがあって、王都から夜通しかけてここまで来たのよ。えと、ここがボルトン農場、で、いいのよね?」
少女が確認すべく尋ねると、兵士がそうだと頷いた。
「あぁ、よかった。この子任せで来たから間違ってたらどうしよう――あぁ、ごめん、別にあんたを疑ってた訳じゃないよ。ほら、ここって初めて来る場所でしょ、だから迷うかもしれないと思っただけよ」
ゆらゆらと体をゆすった飛甲獣に、少女は慌てて謝罪し、ぽんぽんとその背を優しく叩いていた。
「あー、なんだ、この魔獣……か? これは、安全、なんだよな?」
「ん? ベルパローゼのこと? うん、大丈夫だよ、大人しい子だから」
恐る恐る訊く兵士に、少女は答えた。そして自分は安全ですよと云うかのように、ベルパローゼがゆらゆらと揺れる。
「と、それよりあたしのことか。あたしね、呼ばれたのよ。この農場で起きた事件のことで」
「呼ばれた? お嬢ちゃんが?」
「こういっちゃなんだが、お嬢ちゃん、なんのために呼ばれたんだ? 子供に頼むような仕事はさすがにないはずだぞ」
少女の言葉に兵士ふたりは半信半疑だ。なにしろ明らかに未成年である少女である。いささか普通の少女からは外れているようではあるが、少女であるには違いない。
「あー、確かにまだ未成年だしね。どうしようかな。……うん、やっぱりこれが一番手っ取り早いかな。
兵隊さん、いま降りるからちょっと待ってて」
少女はベルパローゼから飛び降りようとして――
「ぐぅぇっ! うぅ、そうだった、落っこちないようにロープで結んでたんだった」
体を固定していたロープを解き、少女は今度こそベルパローゼから飛び降りた。
「多分、これを見てもらったほうが早いと思うのよ」
そういって少女は兵士ふたりにくるりと背を向けると、フードを被る。
背に掛かっていたフードが取り除かれ、外套の背の部分に縫いこまれた刺繍が露わになった。
それは、戦槌と戦鈎が斜めに交差した意匠の紋章。
交差された上の空いた部分、そこには【地獄】と【伍】の文字。下には少女の名が金糸で刺繍されている。
それは、冥界の神々に魅入られし者、冥界の神々の代行者である【使徒】の紋章。
【冥府】【地獄】【奈落】の三界のひとつ、地獄の神の使徒であることの証。
「「し、しししし、【使徒】様!?」」
「あ、よかった。あたし見ての通りの子供だから、なかなか信用してもらえないのよね。地獄の使徒のひとり、マリアマリア・パンサレスと申します」
そういってマリアマリアがぺこりとお辞儀をした。
「あわわわわ、こ、これは失礼をしました。ロッコ、すぐに男爵様かフェルナンド殿を呼ばないと」
「任せろ、行ってくる!」
ロッコと呼ばれた、兵士が農場内へと走っていった。
「えーと……」
「使徒様、暫しお待ちください。すぐに責任者が参りますので」
「い、いや、そんなに畏まらなくていいよ。あたし、見ての通りだし」
「そうは参りません、使徒様」
兵士は鼻息も荒く答えた。それはそれは誉れ高き使命を得たかのように。
うわぁ、なんか大変な事に。誰かやらかしたのかなぁ。でもこのあたりで活動してるのって、ウィン姉とジル姉のふたりだよね? あのふたりがやらかすとは思えないけど。
お酒が入ったりしたら、ウィン姉はやらかしそうだけど、里でやらかしてからは、お酒は金輪際飲まないって誓ってたし。
なんでこんなに敬われているのか、マリアマリアにはさっぱりだった。
【使徒】。冥界の神々に魅入られた、神々の奇跡執行の代行者である。現在存在している使徒は二十四名。冥界の神々は魂の循環を司っており、これを無為に乱す者を、存在を決して赦しはしない。だが、神が直接手をくだすとなると影響が大きすぎるため、代行者として神々は時たま人を選ぶのである。
選ばれた者は神の代行者として、輪廻より外れし者どもを駆逐することとなる。所謂、不死の怪物の殲滅である。それこそ、活屍から不死の王に至るまで。また、連続殺人者など、輪廻を加速させる者の粛清も行っている。
他にも癒しの奇跡を用い、病や怪我に苦しむ人の救済もしている。
そのため【使徒】は人々から深く尊敬されているとともに、神の御使いとして、畏怖されてもいるのだ。
また、彼ら【使徒】を手助けすべく、有志が集まり【生と死の協会】という組織ができた。彼らは【使徒】のために不死の怪物の情報を集め、そして彼らが休めるための場の提供など行っている。活動資金のために、各地に治療院を開き、格安な値段で人々の病や怪我の治療もしている。
現在では、最初の【使徒】サーマ・サラスの下、【使徒】と【生と死の協会】はひとつの組織に統合されている。
うーん、そんなに畏まられても困るんだけどなぁ。ただの小娘だし。
マリアマリアは愛想笑いのまま固まっていた。いったいどうしたものかと。
少女は自覚していないのだ。ただの小娘は、神に魅入られなどしないということに。
「あ、ベルパローゼ、降りていいよ」
マリアマリアが傍らの魔獣をぽんぽんと叩くと、彼女は畳んでいた足を伸ばし、ずしんと地面に足を下した。
「よし、それと……あ、そうだ。これを聞いておかないといけないな」
ポンと手を叩き、直立不動の姿勢を取っている兵士にマリアマリアは向き直ると、にっこりと笑みを浮かべた。
「ねぇ、兵隊さん、いくつか教えてほしいことがあるんだけど、いいかな?」
「は、なんでしょう、使徒様」
「さっき男爵様って云ってたけど、なんで貴族様がいるの? あとフェルナンドって誰?」
マリアマリアが兵士に訊ねた。
「あぁ、男爵、バルトロメ卿は、ここクアドラード地方の領主様ですよ。もっとも、クアドラードは大いなる平原への入植試験のための領地ですので、領民はこのボルトン農場だけですが。それと、ロンバルテスを拠点としたこのあたり一帯の治安維持部隊の隊長をしておられます。
そしてフェルナンド殿は今回の事件担当となった警吏です」
「あぁ、この農場、かなり外れにぽつんとあるものね。それで町の管轄になった感じなのかな。で、治安維持隊の隊長さんが男爵様と。なんというか、領主様直々に治安維持って凄いわね。でもロンバルテスは隣の領地? ってことになるんでしょう? 大丈夫なの?」
「えぇ、隣はバルトロメ卿の御父上であるサンベール伯爵が統治していますから」
なるほど、親子なのね。
「ふたつ目。ここの治安維持隊ってどんな構成なの? 騎士団の直轄? それとも軍団兵だけで動いてるのかな?」
「あー、うちはかなり珍しいと思いますよ。下級騎士と軍団兵の混成です。まぁ、トップがバルトロメ卿なので、サンベール伯爵直轄といっていいかもしれません」
「え、大丈夫なの? それ。貴族と平民の混成って」
「ミラクスでは、下級騎士は爵位というよりは、公務員資格みたいなものですから」
「なるほど? ん? もしかして、だから下級ってついてるの?」
「えぇ、そういうことになりますね」
いまひとつよくわからないが、きっとそういうものなのだろう。と、マリアマリアは納得することにした。
そして最後。一番確認しなくてはならないことを少女は尋ねた。
「それじゃ最後。ここにきている警吏のフェルナンドさんってどんな人? えーと、どう聞いたほうがいいかな……」
マリアマリアは口元に手を当て、首を捻る。そして改めて兵士に訊ねた。
ほんの少し声を潜めて、囁くように。
「フェルナンドさんって、まとも?」
兵士はその質問に、ほんの少しだけ顔を引き攣らせた。