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猫は死ぬ  作者: 和田好弘
其の壱 ボルトン農場
2/17

※※※ ソレは嗤う。


 ソレが知性を持ったのはいつのことかは分からない。

 自我は大分前から発露していたが、結局は自律性のない、単なる生命活動をする肉塊でしかなかった。

 だが今は、自我に加え知性を得、周囲の状況を観察することをしはじめた。

 とはいえ、それはまだ芽生えたばかりで、得られた情報に対する反応を起こすことはしなかった。


 だからそれは、いつものように、殺された。


 幾度も幾度も殺された。


 ソレは痛みを知った。嫌という程に知っていた。それは死を伴う痛みではあったが、ソレが死を理解することはなかった。

 なぜなら、ソレは死ぬことがなかったからだ。いや、それは正確ではない。


 ソレは死ぬ。それは確かな事実だ。だが、次に用意された実験体が目覚めると、その実験体はいましがた殺されたソレとなるのだ。それまでの経験、知識、記憶を受け継いだ。

 故に、ソレにとって死は眠りと同一のものであったのだ。唯一の違いは、痛みを伴うか否か。ただ、それだけだった。


 だがその事実を男は知らなかった。知る由もなかった。なにしろ、そういった魔術は使っていなかったからだ。生まれ変わり、乗り移り、そういった言葉はあるが、それらは人が扱える範疇の術ではない。それこそ神の範疇にある御業。かつて、それをしようとした魔術師はいたが、たちまちのうちにその所在を突き止められ、冥界の神々に魅入られし者、冥界の神々の代行者たる【使徒】により粛清された。


 男はそれを知っていたからこそ、そういった魔術は一切使わなかった。いや、そういった魔術について、調べることもしなかった。

 男が行っていること。それは人造生命の創造だ。


 生命を生み出すことには成功した。だが、それは意図していたものではなかった。

 ただ生きている。

 それではダメなのだ。目指すのは知性ある生命体。そう、それこそ、人間に成り代わる可能性を持つほどの生命体。男はそれを目指していた。


 だから男は失敗と結論付けた実験体を殺し、処分した。

 そして新たな個体を起こす。

 男は気付いてはいたのだ。殺し、新たな個体となる度、実験体の知性が高くなっていくことに。なにも手を加えていないのに、なぜか高度になっていくことに。


 だが男はこのことを考察するために、あらたな実験を付け加えることはしなかった。下手に手を加えることにより、この状況を失うことを恐れたのだ。それに、せねばならぬことは、他にも大量にある。これに関しては後回しにしても問題ない。

 男はそう結論付け、実験体の、この異常な状態を放置した。


 ソレはじっと男を見ていた。

 自我が芽生えてより、ずっと観察してきた。

 そして殺された。

 そのうち、ソレはひとつのことに気が付いた。

 男の発する音。声。

 それに、ある一定の法則があることに。

 同じ音を、よく発していることに。


 そしてそれから、その場所から男がいなくなった時。その場所に自分ひとりだけとなったとき、その音を真似ることを始めた。

 何度も練習するが、上手く行かない。

 だが、諦めずに練習する。


 そして殺される。


 そして練習する。


 どれほどに時間が経過したのかは分からない。

 だが、ソレは、遂に自分でも満足できる音を発することができるようになった。


 そして、それが目標を達成したその日、男は鈎に引っ掛けた、肉汁滴る肉塊をその部屋に持ち込んだ。

 それはいつも見る光景だ。


 食事。


 いつもソレに渡される食事は、野菜と肉の煮込まれたシチューであることが常だった。

 野菜はいろいろと放り込まれたあったが、なぜか蕪だけは、毎回毎回、必ずそのシチューには入っていた。


 そして肉が出される日。

 それは、自分が殺される日の食事だった。


 男は無造作に肉を切り分けると、皿にべちゃりと載せる。そうやって三切れほど重ねると、男は皿をソレのいる檻に入れる。


 ソレは肉を掴むと、咀嚼する。ただ焼いただけの肉。味付けなどなにもしていない。

 シチューは単なる水煮。肉は焼いただけ。味の良し悪しの知識などない。

 これまでそれを食べてきた。だからこれからも食べる。それだけだ。


 目の前にいる男も、肉を切り分け齧っている。


 やがて食事が終わり、男は座っていた椅子からゆっくりと立ち上がった。

 そして壁に掛けてある、いくつもの道具のなかから、一際大ぶりで、肉厚のナイフを手に取った。


 これから起こることは分かっている。


 男が、ソレの胸に、心臓にそのナイフを突き立てるのだ。


 それを、ソレはわかっていた。だから、今回はこれまでと違うことをすることにした。

 男がいつも発している音を、自分が発するのだ。


 男が目の前に再び立った時、ソレは言葉を発した。


 言葉がもたらした変化は大きなものだった。

 ソレは殺されることを免れた。

 そして、生活に変化が訪れた。


 言葉の学習。


 男はソレに言葉を教えることを始めた。

 ソレの学習能力は、それは素晴らしいものだった。

 言葉に発音には時間が掛かったものの、言葉そのものの習得は一ヵ月と掛からず、合わせて文字も完全に習得していた。


 そしてソレは言葉を完全にモノにすると、書物を求めた。

 言葉を習得する過程で、書物こそ知識を得るにもっとも簡単な手段であると、ソレは気が付いたのだ。

 そして男は、求めに応じ、問題ないと判断した書物を無造作にソレに与えた。


 ソレは知識を得た。そして知識を求めた。それはそれは貪欲に。

 たとえ渡される書物が、とるに足らないものであったとしても。

 動物図鑑。植物図鑑。木工技術書。金属加工技術書。片付け指南書。料理のレシピ本。恋愛小説。冒険活劇。古今東西のジョークをまとめた本。どこかの頭のイカレタ、自身を魔術師と思い込んだ老人の日記。

 それこそ、無作為に、無節操に。


 そして新たな日課が加わった。


 それは男からの質問。


 その日の最後。その場所、その部屋から男が出ていく時にする質問。

 それは簡単なものだ。


 今日は、なにを学んだかな?


 ソレはその質問に正直に答えた。だが、すべては答えなかった。

 知識を得るごとに、ソレの知能も成長したのだ。

 故に、すべては答えなかった。


 そんな日々が数ヵ月。男は再びソレを殺し始めた。

 ソレの成長に失望したのだ。

 ソレが、その男を警戒し、観察し、そして、自分が何をすべきなのかを模索し始めていることに、かけらも気づかずに。


 ソレは、モノには名前が付けられていることを知った。その場所から見えるもの。

 床。壁。天井。扉。テーブル。椅子。水槽。棚。道具掛け。ナイフ。鋏。皿。肉。シチュー。針金。ランプ。本。そしてもちろん、檻。あぁ、それともうひとつ。檻を閉ざす錠前に鍵。

 それらが、ソレの知る全てだった。


 ある時。男が焼けた肉塊を持ってきた日。またソレが殺される日。その男は珍しくミスを犯した。

 肉切り包丁を忘れたのだ。

 男は金属製の皿の上に肉を載せ置くと、包丁を取りに部屋から出ていった。


 それは好機であった。


 ソレは檻から手を伸ばし、肉に突き刺さった鈎に手を伸ばした。

 その鈎の柄の部分には、針金がぐるぐると巻き付けてあった。恐らくは、道具掛けに引っ掛けるための針金だろう。

 ソレは柄から針金をほぐし、指の長さ程折り取った。そして針金を手に入れたことを知られないように、元のように、残りの針金で細工を施した。

 これで、柄に巻いた回数が減っただけで、見た目には変わらない。いちいち、針金を巻いた回数を数え、覚えている者などいない。

 いたとしたら、相当の変わり者か、なにかしらの強迫観念にでも捕らわれているかのどちらかだ。


 やがて男が戻って来た。

 針金が折り取られたことには、気づいてもいない。

 針金は与えられた書物に挟んで隠してある。大丈夫。見つからないハズだ。


 そしてその日、ソレは殺され。


 翌日、再び檻の中で本を読んでいた。


 錠前の構造をソレは知っていた。錠前に関する書物を読んだわけではない。だが、金属加工の書物のひとつに、基礎的な錠前の仕組みは記載されていたのである。


 そう、ソレは針金を用い、錠前を開ける練習をし始めたのだ。


 檻を閉ざすために着けられた、その南京錠を練習台に。

 読んだ冒険活劇では、いとも簡単に錠前破りをしていたが、現実はそううまくはいかない。

 なにしろソレは素人なのだ。それを専門に訓練をした玄人に勝てるわけがない。なによりあれは、小説だ。実際、どの程度の時間で錠前を解除できるのか、それに関しては見当もつかなかった。


 だが時間はいくらでもあるのだ。

 男が部屋から帰っていったあとに。


 暗い部屋の中で、それは鍵開け練習をした。

 数日後、初めて鍵開けに成功した。

 檻に使われている錠前が、南京錠であったのは、ソレにとって幸いだった。

 なぜなら、また直ぐに鍵を掛けて、練習することができるのだから。

 そんなことをソレは毎夜続けた。

 それこそ、針金を鍵穴に入れた瞬間に開錠できるといえるほどに。もっとも、それはその南京錠であれば、であったが。

 とはいえ、これでソレは、いつでも檻から出ることができるようになった。


 だがソレは、その部屋から逃亡することはなかった。

 なぜなら、この場所の外が、どうなっているのかまるで情報がなかったからだ。

 闇雲に逃げ出したところで、なにもわからず、なにもできずに殺されるのが目に見えている。

 だから、それは考えた。どうすれば、自らの絶対の安全を確保したまま、この場所から出ていくことができるのかを。


 そう、それはもう、結論付けていたのだ。

 もはや此処に、いるべき必要はないと。

 もはや此処で、学ぶべきものはないと。

 もはや此処で、得られる知識はないと。


 そして幾度か殺された後、それはひとつの策を思いついた。

 きっと上手く行く。そう考え、それは好機が来るのをまった。

 時間はあるのだ。慌てる必要もない。


 そして、ついに好機が訪れた。

 男がいつものように、鈎に肉塊をぶら下げ、部屋に入って来た。

 左手には皿と包丁が器用に握られている。

 男は檻の目の前のテーブルに皿を置き、肉を載せ置く。

 肉切り包丁を右手に持ち替え、切り分け始めた。


 ソレを殺す日。その日のための特別な食事。

 いつもの蕪のシチューのときは、鍋から椀によそうだけだ。その為、隙といえる時間はほとんどない。だが肉の時は、切り分けるのに時間が掛かる。

 ほんのわずかな違いだが、ソレにとっては大きな違いだった。


 ソレは即座に南京錠の鍵穴に針金を差し込み、いとも簡単に錠前を開く。

 南京錠を外し、檻の戸を必要なだけ開けると、その隙間から体をくぐらせた。

 男は、ソレが檻から抜け出たことにまるで気付かない。


 ソレは男の背後に立った。さすがにその気配には気付いたのだろう。男が背後に振り向いた。


 アロンゾ・ガルバーニは、恐怖に目を見開いた。見開き、あまりのことに飛び退こうとしてテーブルにぶつかり、転倒した。

 転倒したはずみに肉切り包丁は手から離れてしまっていた。

 もはや武器はない。距離は至近距離。魔法を使う間など取れるはずもない。


 その、アロンゾのこれまでと違う明らかな変化に、ソレは満足し、笑みを浮かべた。そして足元に転がる肉切り包丁を手に取った。

 そしてソレは云うのだ。アロンゾが、いつも自分を殺すときに云っていた言葉を。


「さぁ、実験をはじめよう」


 ピンク色の爬虫類めいた姿のソレが(わら)う。


「次に目覚めるときには、どれだけ賢くなっているかな?」


 そして、アロンゾは悲鳴をあげた。



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