弐ノ二 少女は嫌悪する。
もしゃもしゃと芋を齧る。茹でたパドラケル芋に、ハーブをまぶして炒めただけの代物だが、マリアマリアにとってはご馳走だった。何しろ、肉より豆、豆より芋が好き、だが魚こそ至高という娘である。
これは血なまぐさい仕事をし続けてきた結果によるものではなく、単に、今まで食べてきた肉料理が、基本的にただ焼いただけのものであったからだ。生まれ……いや、拾われ育った【使徒】たちの里では、肉ではなく魚が食の中心であったため、肉になじんでいなかったというのもある。
故に、本当においしい肉料理を食べれば、このあたりの嗜好も大きく変化するかもしれない。実際、朝食に出されていた、ハーブを練り込んで作られたソーセージは、既に皿から姿を消している。
すっかり冷めきったキャベツで芋を包み、口に放り込む。
少女の顔は不快を示すもので固まっており、その目は手元の資料を睨みつけていた。
少女は、酷く不機嫌だった。
アロンゾの資料を読み始めたばかりだというのに、読むことに嫌気をさして、手を止めていた朝食を処理し始め、八つ当たり気味に芋を齧り潰すくらいには。
生命創造に関する試行実験結果とその考察。
それが延々と記されている。その実験素材に、各種生物が用いられている。
とはいえ、アロンゾは、いわゆる徹底した狂的な錬金術師ではなかったらしく、実験素材に関してはまともだった。
そう、街から孤児を拾ってきて、それを実験に使うというようなことはしていなかった。罪人を魔物の餌としているリンスベルト王国の住人としては、酷くまともに思える。
まぁ、リンスベルド王国そのものは、噂に聞くロクでもない話よりは、マシな国ではある。噂を鵜呑みにしてはいけない。とはいえ、噂よりマシというだけであって、ロクでもない国であるのは間違いない。
そしてアロンゾは、実験素材に関しては法に外れるようなことはしてはいなかったが、実験の内容は吐き気を催すモノでしかなかった。
命の徹底した軽視。それを【使徒】はもっとも嫌う。
どういうわけか、アロンゾはホムンクルスを生みだすことに成功していたようだ。
そして知性を向上させることを至上命題としていたと思われる。
なぜそこにアロンゾが執着したのかは不明であるが、とにかくそのためにホムンクルス作成技術の改良を続けている。
その過程で【美貌薬】なる副産物が開発され、アロンゾは研究費用を得るために、それを販売していたらしい。
……由来になっている素材を考えると、服用したいとは思わないわね。
そんなことを思いながら、最後の芋を口に放り込む。
お芋美味しい。
薬の素材は、生みだされたホムンクルス。殺したホムンクルスの体液、骨、皮膚、そして脳組織。それが材料だった。
アロンゾはホムンクルスの知性を測るために育成、同時に次の個体を、前回の失敗を踏まえ改良し作成していたようだ。
見たところ、自身の血液や精液はもとより、素材としてエルフの血液、精液や竜の血液に精液までも用いていたようだ。まぁ、エルフの素材はともかく、竜の素材は本物かどうか怪しいが。
だいたい、竜の精液など、どうやって採取したというのか。
由来はどうあれ、【美貌薬】のおかげか、貴族の伝手よりそれらを手に入れていたようだ。
資料を読み進めていく。
アロンゾは優秀な錬金術師であったといえよう。薬品の作成おいて、良好な結果をだし続けているといっていい。
ホムンクルス作成にもっとも重要な培養液の構成を、こうもいじくりまわしているにも関わらず、ホムンクルスを生みだし続け、さらにその改良に成功し続けているのだから。
失敗の記載がほとんど見当たらない。あるとしても、ホムンクルスの知性向上の失敗、現状維持というものくらいだ。
これは失敗とはいえない。
資料中ほどに記されているホムンクルス作成に関する記述は、今日伝わるソレとはかけ離れている。もはや新しいホムンクルス作成方法と云っていい。
だが、ここに至るまでに、会話を可能とするまでの知性をもったホムンクルスを、殺し続けているのである。
改良され続けるホムンクルス。それは結果として【美貌薬】の改良にもつながった。
これに関しては、事件現場を確認している時に警吏のひとりから話にきいていた。
なんでも、貴族の間では【不老薬】と呼ばれていたようだ。もっとも、アロンゾはそれを否定し続けていたようだが。
生産主が死亡したため、いまではその薬が異常な値で取引されているらしい。いったい、一錠いくらになっているのか。
おかげで、マリアマリアはこのアロンゾの研究書を確保するのに苦労したのだ。
暗殺者も三人ほど撃退した。
これに関しては正式に国王に抗議したことで止まった。これは【使徒】だからというわけでもなく、女神様のおかげだろう。
それは第三次神々の戦後、約二千六百年前の事。
地上で暴れていた混沌の神を亡ぼした女神様は、人々に対しこう云ったのだ。
決して私を崇めるなと。
にも拘わらず、女神様を祭神として宗教を興し、女神の言葉を謀る愚か者が多く現れたそうだ。それはそうだろう。なにしろ、宗教は金になる。
だが、それが彼らの命運を決めることとなる。命令を無視し、女神の名を用い欲を満たす者はもとより、主導した宗教家は皆、降臨した女神によって悉く斬り殺されたのだから。
だいたい女神さまは戦神、鬼神なのだ。一切の慈悲、容赦など無いことは、良く知っていただろうに。
これらのことより、冥界の神々の代行者である【使徒】の言葉を無視できなかったのだろう。先ごろ、女神様が再臨なされていたのも、大きいかもしれない。
女神さまと冥界の神々は無関係だが、同じ神であることには違いない。【使徒】は神の持ち物である以上、これを害することを神は許さない。事実、ある村が使徒長であるサーマを殺害(サーマは不老不死にして不死身であるため、串刺しとなっていた彼女は救出されるまでの間、延々と死に続けた)したことにより、神罰を受け壊滅している。
誰でも自分の命は惜しいものだ。
頁を進める。
同じような内容が延々と続く。なにしろ約二十年分の研究資料だ。行われた試行数が多い。
ぬぅ、代わり映えしないわね。作成殺害作成殺害の繰り返し。
改良され続ける手法、技術は、やがて魂錬成する方向に向かっていく。だがアロンゾは、それをホムンクルスの知性向上の為に行っており、魂を錬成しているなどとは思ってもみなかったのだろう。
少なくとも、それに関する記述は一切見当たらない。
だが、だからといってそれが罪にならないわけではない。もっとも、もうすでに殺されているので、いまさら罪に問うても意味はないが。
……あれ? そういえば、ホムンクルスはどうなったんだっけ?
そのことに思い当たり、アロンゾ殺害に関する資料を捜す。
ええと……あ、あった。
まとめられた資料に目を通す。
水槽に得体のしれない生物の死骸が二体あったと記されてある。
おそらくは、これがそのホムンクルスだろう。
ホムンクルスは死んでるわよね。うん、ホムンクルスが殺人犯の可能性は真っ先に気が付いて、その可能性は潰れたんだった。
むー、思い違いなのかなぁ。後半は錬金術というより、死霊術じみてきてたから、なにかしらやらかしてると思ったんだけどなぁ。死霊をおかしな具合に合成して、変な怨霊を生みだしたとか。
まぁ、一度目を通した資料だし、流石にそれを見落とすほど、あたしは間抜けじゃないか。
犯人を追い詰めるための手がかりが見つからない。
とはいえ、事件発生直後に現場に来ることはできた。犯人との距離は確実に縮まっているのだ。
できれば、次の事件が起きる前に捕らえたい。
だが、犯人を追うためのもっとも簡単な方法は、次の事件を待つことだ。
待つ? 被害者がでるのを?
そんな選択肢はクソくらえだ。
「むー」
マリアマリアは寝起きのままの髪の跳ねまくった頭を掻きむしった。
「使徒様?」
不意に呼ばれ、マリアマリアは飛び上がった。
声をした方に目を向けると、そこにはこの治療院の責任者であるエルヴィラの姿。
「あああ、ごめんなさい。いつまでたっても片付かないわよね。すぐに食べちゃうから」
マリアマリアが慌てて手つかずの目玉焼きに取り掛かる。
その様子にエルヴィラは慌てた。彼女は【使徒】であるマリアマリアを急かすつもりなど、毛頭なかったのだ。
「いいい、いえ、使徒様。食事はどうぞごゆるりとお召し上がりください」
「いや、ゆっくりもなにも、時間かけすぎだし、行儀もなってないよ。本当、ごめんなさい」
真っ青になっている年若い院長をよそに、マリアマリアは残った目玉焼きの処理に取りかかる。マリアマリアはいまもって尚、完全には自覚していないのだ。養母であるリアが、ほとんど協会を頼りにしていないこともあるのだろう、知識として、彼らが半ば狂信者であることは知ってはいても、その自覚がないのである。
もっとも、協会員が【使徒】を単に敬っているのか、それとも、それ以上に神格化しているのか、それは人それぞれだ。そして厄介なことに、このエルヴィラは【使徒】を現人神のごとく崇めている人物である。
彼女の頭の中は、自らが犯した罪(実際は罪でもなんでもないが)で一杯であった。
あああ、私はなんということを。こうなっては死して罪を注がなくて――あぁ、死ぬのはダメだわ。それは神々の意思に反することを。たやすく命を捨てることは許されない事。あああ、私はなんという、なんという……。
ぶつぶつと虚ろな目をして、エルヴィラは不穏なことを呟いている。
もはや完全な混乱状態だ。
そして食事を終わらせることに集中しているマリアマリアは、そのことに一切気が付いていない。
「ふぅ、我が糧と成りし命に感謝を」
ようやくのことで朝食を食べ終えたマリアマリアが、短く祈りの言葉を述べる。
マリアマリアが椅子から立ち上がり、空になった皿を載せた盆を手に振り向むくと、たちまちその顔を引き攣らせた。
少女の目に入ったモノ、それはいまにも絶望で死にそうな顔をしているエルヴィラ。
意図せず、口元がピクリと痙攣する。
えぇ、どうしてこんな有様になるの?
あぁ、これか、これだからお母さん、協会に寄り付かないのか。
うぅ、これをなんとか宥めないといけないのか、どうしよう。
する必要のない気苦労に、少女は内心泣きたくなった。