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猫は死ぬ  作者: 和田好弘
其の壱 ボルトン農場
12/17

※※※ 狩人は歌う。


 その日、インサムは上機嫌だった。

 カドマスは帝国南部にある小村、ウェニで狩人を生業としている。

 

 二年前、貴族間で突如として流行した黒鼬(くろイタチ)の毛皮のコート。いまではそれが定番の、正しいご婦人の装いとまでなっていた。そう、持っていない者は、ひそひそと陰口を叩かれるほどに。

 一気に増えた黒鼬の需要。元々たいした値段では売れなかった小さな毛皮は、いまでは同じ目方の金よりも遥かに価値が跳ね上がっていた。


 そのため、このあたりの狩人はこぞって黒鼬を狩っていた。そのせいもあってか、以前は村内にも出没していた黒鼬はめっきりその数を減じ、いまでは幻とまで言われる有様になってしまった。

 そう、ほぼ狩り尽くされてしまったのだ。


 インサムも他の狩人たちと同様、黒鼬を狩り、一攫千金を目指していた。黒髪痩せぎすの中年狩人、インサム。このあたりで活動する狩人は、誰も彼もまるで競うかのように髭を生やし、それを自慢としていたが、インサムはそうすることはなかった。もっとも、いつもいつも無精髭は生やしてはいたが。


 そのインサムが、嬉しそうに調子っぱずれな鼻歌を歌いながら村を歩いていた。

 このところと同じく、獲物なぞなにひとつ獲れなかったにも関わらず、その顔には、まさにご満悦ともいえる表情が張り付かせて。


 そう、獲物はなかったが、臨時収入はあったのだ。


 狩りに出たインサムは、病に難儀している旅人、いや、伝令者を見つけて、それを助けたのである。探していたものは違うが、結果として懐は潤ったのだ。

 それも、黒鼬一匹よりも多く。彼の雇い主は余程の金持ちか、余程の急ぎだったのだろう。いや、恐らくは後者か。病で判断を誤り、馬を潰してしまったようだから。


 時刻は夕刻。先月、なんとかやりくりして新調したブーツが汚れるのも構わずに、ぬかるんだ道を、ばしゃばしゃと水たまりを避けもせずに歩いていく。

 やがてインサムは目的の場所、酒場へと辿り着いた。

 インサムは酒場に入ると、どっかとカウンター席に腰かけた。


「親父! 酒だ! それと飯をくれ!」


 酔ってもいないのに、やたらとでかい声でインサムが注文した。


「うるせぇな。そんなでかい声を出すな。

 あぁ、インサムか。お前にゃ生憎だが、今日飯は、蕪と豚肉のシチューだ」


 筋骨隆々の禿げ頭の親父、この酒場の主兼料理人がインサムに云った。常連であるインサムの好き嫌いはもう知り尽くしている。


「蕪だ? いいじゃないか、それをくれ。蕪だ、蕪。蕪のシチューをくれ!」


 やたらと興奮した調子のインサムに、親父は胡散臭げな視線を向けた。


「いや、お前、蕪は大嫌いだったろ。こんなもの二度と出すな! とか、以前に大騒ぎしただろうが」

「む、そういやそうだな。あの時はもう、一生分蕪は食ったから、もう食いたくないと思ってたんだ。だが一生分は食ってなかったんだな、きっと。今は蕪が食いてぇんだよ。蕪が! 蕪って聞くまで、ちっともそんな気はなかったんだけどな! 蕪だ、蕪をくれ蕪を。親父、蕪だ蕪! とっとと蕪をよこせ! 早く早く早く早く!」


 インサムが蕪蕪蕪蕪と騒ぐ騒ぐ。


「お、おい、お前、大丈夫か? もう酔ってるんじゃないだろうな」


 インサムのあまりの様子に、さすがの親父もたじろいだ。


「いいから蕪を持ってこい! 俺に蕪を食わせろ!」


 インサムが、バンっ! と、カウンターに銀貨を置いた。枚数は二枚。十分以上の金額だ。

 親父はブツブツ云いながら銀貨を集めると、酒とシチューをとりに厨房に入った。


「ほれ、エールとシチューだ」


 木製のジョッキに並々と注がれたエールと、やや深めのボウルによそわれた蕪と豚肉のシチューがインサムの前に並べられた。

 ギトギトと脂の浮いたうすい琥珀色の汁の中に、ぶつ切りにされた蕪と豚肉が浮いている。豚肉はきちんと表面を焼いて処理しなかったのか、ところどころ毛が生えたままだ。

 そのシチューを見てインサムは顔を顰めた。


「おい、親父。これはシチューじゃねぇ。こういうのはスープっていうんだ!」


 インサムががなった。


「うるせぇ! ここじゃこれがシチューだ。もう出したんだ。金は返さねぇぞ」


 親父に怒鳴り返され、インサムはしぶしぶ木匙を手に持ち、蕪のシチューを睨みつけた。そして慎重に、そう、慎重に木匙をボウルに差し込み、蕪と豚肉を一切れずつ木匙に載せて掬いあげた。

 うまく掬えたことに、インサムはにへらっとした間の抜けたような笑みを浮かべる。

 そしてそれを一気に口に運ぶと、目を瞑り、ゆっくりと噛み締め、満足のいったところでゴクンと呑み込んだ。


「んーっ、うまい! クァーっはっはぁっ!」


 いつも陰気なインサムがやたらとやかましい。おまけになんだその叫び声は。

 親父の視線がますます胡散臭げなものを見るようなものになっていた。


「おい、お前、本当にどうしたんだ? 黒鼬でも獲れたのか?」

「はっ、黒鼬なんざ獲れるどころか、姿すら見当たりゃしねぇよ! おまけに今日は獲物はすっからかんさ! 牙兎すらいやしねぇ。だが、気分はいいんだな」


 インサムは一気にエールを飲み干すと、蕪のシチューをバクバクと食べだした。


 ……変な薬にでも手を出したんじゃないだろうな。

 

変わらず親父の目は、胡散臭いものを見る眼のままだ。


「親父、おかわりだ!」


 インサムは見る間に平らげ、再び銀貨をカウンターに叩きつけた。

 親父は諦めたようにひとつ息を吐きだすと、銀貨を回収し、エールとシチューの用意をするために厨房にはいった。


 インサムは気分が良かった。本当に良かった。

 黒鼬は獲れなかったが、今日の実入りは十分以上だ。

 新しいブーツも手に入ったし、上等な服も手に入った。特にあの銀製のナイフは素晴らしいものだった。自分で使ってもいいし、街へ持っていって売り飛ばしてもいい。


 そしてなによりも持っていた金。財布には銀貨はもちろんのこと、金貨まで入っていた。あぁ、そうだ、財布もいい加減ボロボロで、小さな穴も空いていたんだったんだ。このままこっちの財布を使うとしよう。前の財布には、もう銀貨数枚と銅貨と悪銅貨しか入っていなかったハズだ。あとで忘れずに移さねば。


 金貨? そんなもの、ここ十年はご無沙汰だった代物だ。

 その輝きを思い浮かべるだけで、自然と笑みがこぼれる。なにしろ、いまは自分の財布となったそれに入っているのだ。


 やがて、親父がエールとシチューを持ってきた。そして空になったジョッキとボウルを回収する。

 インサムはエールとボウルが置かれると、再びバクバクと猛烈な勢いで食べ始めた。親父はその様子に、なにかを諦めたように肩を竦めた。


「親父、おかわりだ!」

「まだ食うのかよ! それ結構な量だぞ!?」

「おぅ、食うぞ! 酒はもういいから、蕪のスープをおかわりだ!」

「スープじゃねぇ! シチューだ!」


 この点だけは、親父は絶対に譲らない。誰がなんと云おうと、これはシチューだ!

 だが、インサム同様、食事に来ていた他の狩人たちは皆同じ事を思っていた。


 シチューってのは、もっと具沢山だろうがよ。


 狩人たちが一様に目で語っているが、親父はそんな視線などものともしない。

 結局、インサムはその後三杯おかわりをした。

 あの細身のどこにそれだけ入るのか。

 これまでと違い、いつもの三倍近く食べていったインサムに、親父は呆れていた。


 すっかり陽が落ち、空に星が溢れる中、再びインサムは鼻歌を歌いながら歩いていた。伝令者が持っていた手紙はどうしようか? 宛先へ持っていけば、それなりの謝礼が手に入る筈だ。だが、宛先に関して記したものがあっただろうか?

 いや、下手に届けて、偽の伝令者とバレるのもまずいだろう。危険は犯せない。

 身ぐるみを剥いで埋めた。たとえ死体が見つかっても、どこの誰かなどわかるまい。あの手紙は焼いてしまえばいい。


 それで終わりだ。


 ぬかるむ道を、泥を跳ね飛ばしながらのんびりと歩いていく。

 上機嫌に、ときおり調子を外す鼻歌を歌いながら。


 そしてその日を境に、インサムはウェニの村から姿を消した。

 だが黒鼬狙いの狩人たちが数週間山に籠ることなど、よくあることであった。

 だから、村でインサムの姿を見かけなくなったところで、誰も気にも留めなかった。

 仲の良さそうに見えた酒場の親父でさえも。

 親父にとっては、インサムも所詮、ただの常連客のひとりに過ぎなかったのだから。



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