壱ノ九 少女は殲滅する。
「ふぁっ!?」
身を震わせてマリアマリアは目を覚ますと、キョロキョロと周囲を見回した。
月はまだ天空高くあり、辺りは暗い。
少女は見回し、ある一点で目を止め、凝視する。
「使徒様? どうなさいました?」
すぐ隣を進んでいたバルトロメが問うた。
「男爵様、すぐに隊を止めて!」
云うや、マリアマリアはベルパローゼから飛び降りようとし――
ぐぅぇぇ。
また縄を腹に食い込ませて呻いた。
何回同じことすれば学ぶのあたし! とぶつぶつ文句を云いながら縄を解くと、今度こそベルパローゼから飛び降りた。
既にバルトロメの号令で隊列は停止している。
「聞いて! 近くを不死の怪物が群れを成して移動してるわ。きっと、農場の死の匂いに惹きつけられたんだと思う。ちょっと始末してくるわね」
それだけ云うと、マリアマリアはくるりと回転させるように戦槌を振り、その石突を地面に突き立てた。
シャン! と遊環が鳴り響くと、突き立てたその場から眩い金色の光が放射状に広がり、隊を囲うように円を描いた。
「この輪からでないでね。不死の怪物避けだから」
「使徒様、我々もお手伝いいたします!」
「却下! たぶん死霊の類だから、みんなの武器じゃ役に立たないわよ。大丈夫、あの手の不死者なら、あたしたちは負けようがないから。すぐに片付けてくるから、ちょっとまっててね」
いうや、マリアマリアは草原へと駆け出して行った。
後を追うようにひとりの兵士が走り出し――
ばぢっ!
光の環を越えようとしたところで、見えない壁に弾かれ、押し戻された。
「な、これは……」
尻餅をついた兵士が、呆然とする。
別の兵士が見えない壁に手を当て、確かめている。どうやら、ゆっくりと体を押し付けるように進むなら、この見えない壁を抜けることはできるようだ。兵士の右腕が壁を突き抜けていた。
「バルトロメ卿……」
「不死避けだけでなく、護りの結界も兼ねているのだろうな」
バルトロメが悔し気に表情を歪ませる。
「残念ながら、我々の武器では霊の類は斬れぬからな。使徒様の云われた通りに、ここで待つしかできまい。無理矢理結界を抜け、行ったところで、邪魔にしかならぬよ」
「団長……」
バルトロメの言葉に、兵士たちが己の無力さに俯く。
「予算があれば、魔法の武器のひとつでも申請するんだが、現状では難しいな」
バルトロメは、少女の走り去った方に視線を向けた。
肌を刺す風が渡り、草原がさざめく。
やがて、草原の彼方で、瞬く光が幾つも生まれては消えるのが見えた。
◇ ◆ ◇
見つけた。
マリアマリアは正面に群れを成して移動している死霊共を確認し、気を引き締めた。
だけど珍しいな。大抵は喰いあって、巨大な怨霊と化してるんだけど。なんでここまで群れてるんだろ?
まぁ、これなら楽だからいいか。
にたりと、歯をむき出すような笑みを浮かべる。
肉食獣の如き凶悪な笑みを。
マリアマリアは両手でしっかりと戦槌を握ると、走る速度を緩めぬまま、死霊共の群れの中へと突っ込んだ。
突然の乱入者に、死霊共は慌てていた。だが、乱入して来たのがただの人間であると確認すると、その生命をかすめ取ろうとマリアマリアへと殺到する。
ぶん!
群れの中央で足を止め、無造作に戦槌をぐるりと一回振り回す。
戦槌に触れた死霊はいとも簡単に弾き飛ばされ、少女の周囲に戦槌一本分の空間が出来上がる。
この距離で時間稼ぎは十分。
しゃん!
遊環を鳴らし、戦槌を地面に突き立てる。
そして発動するは【使徒】が行使せし奇跡。
「【衝破】」
マリアマリアを中心に衝撃波を周囲に撒き散らされる。この衝撃波は、生者だけでなく、死者にも効果をもたらす。
いや、死者にこそ、絶大な効果をもたらす。
衝撃波を受けた死霊共が吹き飛ばされ、そのうちの何体かは、白色の光に包まれ――
爆発した。
その爆発した死霊を中心にまた衝撃波が周囲を走り、新たに死霊を爆発させる。
つぎつぎと爆発が連鎖していき、たちまちの内に死霊の数が減っていく。
だがその様子に、マリアマリアは顔を顰めていた。
あー、そういうことか。ひとつになれなかったのね。まったく、ロクでもないものに変質してるなぁ。これも土地の影響なのかな。
死霊共は半ば、怨霊へとなりかけていた。
死霊は生者に取り憑き、その命を喰らうものだが、怨霊はそれに加え周囲を祟るのだ。
この土地『大いなる平原』は暫く前までは、永らく不毛の地であった。そう、二千六百年前、混沌の神が数柱、この地で斃されたために。
神の無念、怨念が色濃く残っていた土地であるのだ。
噂では、神ウィルヴィアードが放った御業の爆心地には、混沌の女神の遺骸がいまも当時の姿のまま残っているといわれている。もっとも、そんな場所、神の悪意と殺意の中枢になど人の身で辿り着くのは不可能だ。
まったく、神の怨念なんて相手にしたくないわよ。というか、人の身じゃ無理でしょ。
爆発の連鎖を逃れた死霊を一体一体、戦槌で殴り潰していく。
まぁ、無理だから先人の【使徒】たちも放置してたんだろうけど。
死霊をすべて叩き潰して浄化し、最後に残ったそれを睨む。
「あれは、劣化吸血鬼……だよね?」
そこには、五歳くらいの男の子が蹲っていた。死霊の爆発を受け、麻痺しているのか、動きを止めていた。
とはいえ、本当に麻痺しているのかは分からない。
マリアマリアは慎重に観察する。
子供だからといって、殊更思うことなどなにもない。そういった情など、とうの昔に消え失せた。目の前にいるアレは、ただの亡ぼすべき不死の怪物にすぎない。
むー。これ面倒だな。こいつがいるってことは、どこかに【成りあがり】がいるってことだよね。
【成りあがり】。吸血鬼が血を吸い、吸血鬼化させた人間のことだ。そして劣化吸血鬼は、吸血鬼に一滴残らず血を吸いつくされた人間が成る、いわゆる吸血鬼の出来損ないのようなものだ。吸血鬼の活屍とでもいえばいいだろうか。まともな吸血鬼であるならば、このような出来損ないを生みだすことを恥として忌避している。故に、これら劣化吸血鬼を生みだすのは、吸血鬼化したばかりの、自尊心が増大化した莫迦者だけなのだ。
吸血鬼の捜査なんて、正直、そっちまで手が回らないよ。どうしよ。吸血鬼の対処はウィン姉に丸投げするしかないかな。
マリアマリアの姉貴分であるブロンウィンは、結婚の関係でミラクスに居ついている。とはいえ、いまは式の準備等で忙しいはずだ。聞いた話だと、年単位で準備が掛かるとか云っていたはずだ。簡素に済ませようとしたら、家臣総出で大反対されたとかなんとか。どうにも貴族様の結婚式は面倒なようだ。
ジル姉がいればそっちのがいいんだろうけど、ジル姉、拠点はウィランなのにあっちこっち行ってるみたいだからなぁ。
もうひとりの姉貴分の行動範囲を考え、マリアマリアはため息をつく。
ロンバルテスの協会に言伝を頼めば、誰か手隙の【使徒】に連絡してくれるだろう。とにかく、いまはコイツを始末しなくては。
死霊の爆発の余波により動きを止めていた男の子は、その濁った眼にマリアマリアの姿を捕らえた。
劣化吸血鬼にとって、人間は餌でしかない。飢えを満たす、ただそのためだけの存在。血を啜り、肉を喰らうだけ。それこそただの獣、いや、それ以下の知性しか持ち合わせていない。
男の子が弾かれたようにマリアマリアに向かって走って来る。
それこそ、吸血鬼特有の驚異的な身体能力を以て。
だがマリアマリアは面白くもなさそうに、手の戦槌を突き出しただけだ。
戦槌の正しい使い方。それは槌の部分を叩きつけることだが、マリアマリアはそんなことは一切せず、それこそまるで槍を突き出すかのように、戦槌を突き出しただけだった。
どすん!
凄まじい衝撃が戦槌を持つ手に掛かり、躰を浮かされ、そのまま十数ザスほども後退させられる。
子供の劣化吸血鬼でも、ほんと、力はとんでもないわね。でもこれで終わり。
「【不死解呪】」
人が吸血鬼に至る方法はふたつ。ひとつは禁忌たる邪法を用い、吸血鬼となる方法。そしてもうひとつが、吸血鬼に血を吸われることで、吸血鬼となることである。
後者は、いわゆる【血の呪いの病】によって吸血鬼と至る。
本来であれば、この【血の呪いの病】は【不死解呪】の術では解くことはできない。だが、劣化吸血鬼は血を吸い尽くされた状態から吸血鬼化した存在である。血の全くない状態での【血の呪いの病】は不完全であり、吸血鬼と同様の能力は有するものの、明らかに吸血鬼としては出来損ないとなるのだ。その上に、知能も獣並みに落ちてしまう。
故に、劣化吸血鬼のみ、例外的に【不死解呪】が効くのである。
まるでつっかえ棒のように胸に戦槌を突き付けられ、距離を詰められずにいた男の子が急に走る速度を落とし、惰性で数歩進み、やがて脚を止めた。そして、いまにも掴みかからんとしていた両腕を、だらんと下げた。
首がかくんと傾く。
浮き上がっていたマリアマリアの脚が、すとんと地に着く。
男の子はがくりと膝をつき、そのまま糸の切れた操り人形のように倒れた。
たかが魔法ひとつで、劣化とはいえ、吸血鬼が完全に死んだのだ。
それは、あまりにもあっけなかった。
ふぅ。それじゃ、これで終わり。
「【聖炎】」
倒れた子供の躰が青白く燃え上がる。
そしてそれは、たちまちの内に灰と化してしまった。昼間荼毘にした遺体と比べると、あまりにも簡単に燃え尽きてしまった。
「ほんと、劣化だとこんなによく燃えるのに」
以前、養母親と共に粛清した『黄昏の支配者』を思い出し、あまりのあっけの無さに気が抜ける。あの時は、取り巻きの吸血鬼共を近寄らせないだけで精一杯だったのだ。半ばパニックを起こし、泣きながら魔法を乱発していたのだ。死にたくない一心で。
それは、マリアマリアが八歳の時の事。
『燃えないゴミは燃えないから燃えないゴミなのよ。そんなのに【聖炎】なんて撃ってどうするの』
呆れたように養母親に説教されたことを思い出す。
すっかり灰となった劣化吸血鬼に、少女は自嘲気味に乾いたような笑い声をあげた。
【聖炎】で焼かれた吸血鬼は復活することはない。このまま灰を放置しても、まったく問題はない。きっと、この呪われた地の肥料くらいにはなるだろう。
少女は周囲を見回し、すべて始末し終えたことを確認すると、皆の待っている街道へとむかって走っていった。




