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猫は死ぬ  作者: 和田好弘
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少年は思惟する。


 アレン少年の毎朝の日課は、父の仕事の手伝いをすることから始まる。


 ここはボルトン農場。農場主ボルトンの下、二十六名が働いている。作付けの時期には臨時雇いの農夫を集めるため、四十人以上にもなる農場だ。育てているのは、人参に蕪に玉菜に芋、そしてもちろん麦だ。それに加えて鶏に山羊、豚を飼育している。


 鶏の産む玉子や、山羊の乳は農場で消費されるが、豚はハムへと加工され、出荷される。そしてボルトン農場産のハムは、この地方で一番の出来であると評判の品だ。

 毎年王都で行われるハムの品評会では、かならず入賞し、最優秀賞もこれまでに三度も手にしている。そしてその評判のハムを作っているのが、他ならぬアレンの父、アントニーだ。


 アレンは父とふたりきりの家族であったが、ちっとも寂しいと思うことはなかった。母のことは朧気ながらに覚えている。だが母を恋しいと思ったことは一度もなかった。なぜなら母は、ある日突然、臨時雇いの農夫の男と共に消えたのだ。アレンと父を捨てて。


 農場主のボルトンは公明正大で、農夫たちをよく気にかけてくれていたし、それに、農場には、母代わりともいえる女性がいた。


 農場の台所を取り仕切っているエミリア。そして彼女と、彼女の助手として台所で働いている五人の下働きの女たちが、アレンたち子供たちの母のような存在であった。なにしろ子供たちは、農場の仕事が手伝える年齢になるまでは、台所で鍋を磨くのが仕事であったのだから。

 やって良いこと、悪いことは、すべてが彼女たちに躾られた。


 そして八歳となり、アレン少年は台所から解放され、父アントニーの手伝いを始めた。アントニーの仕事はハムを作ること。だがそれ以上に、そのハムの材料となる豚を飼育することに手を掛けていた。


 父の手伝いを初めて約一年。最初の頃は何をするにもおっかなびっくりであったが、いまではもう慣れたものだ。豚を潰す作業も、もう慣れてしまった。情の移った豚を殺すことは、最初はとてもためらいのあることだったが、それがあの美味しいハムに代わる。そのことを知っているアレンは、六頭目が終わった頃には慣れてしまっていた。


 もしかしたら、殺す、という行為に心が麻痺しているだけかもしれないが。


 そして今日。朝の最後仕事、豚を豚舎から出し終えた後、アレン少年は先ごろ疑問に思い、聞きたかったことを、父に尋ねた。


「ねぇ、お父さん。お父さんの作るハムは、どうしてあんなにおいしいの?」


 それは先月、道具や調味料などのもろもろの買い出しに行く、鍛冶職人のエドにくっついて町にまで行った時に思ったことだ。

 宿屋で食べた食事に入っていたハムは、あまり美味しくはなかった。

 それが、アレン少年の正直な感想だった。


 別に、質の悪いハムが出されたわけではない。単に、農場で出される、アントニーの作ったハムが、最高級品であるというだけのことだ。

 だがそれが、アレン少年には不思議でならなかった。

 なぜなら、ハムを仕込む手順など、どこもさして変わらない。アントニーにしても、いまは亡き祖父から作り方を仕込まれただけだ。

 だが、祖父はハム作りの名人ではなかった。


 アントニーは息子の素朴な質問を聞くと、得意そうにニヤリと笑った。


「そりゃあ、父さんの腕がいいからさ」


 アントニーが答えた。


「それにもちろん、豚がいいからさ」

「豚がいい?」

「あぁ、そうだ」


 息子の頭を撫で、アントニーは言葉を続ける。


「美味いものを作るには、材料はいいものであればあるほどいい。


 考えてもみろ。

 エミリアのシチューは絶品だろう?」

 父の言葉に、アレンはうんうんと頷いた。

 エミリアの作るシチューは沢山の野菜と豚肉が入っていて、アレンの大好物の一品だ。


「だが、いくら料理名人のエミリアだって、萎びた人参とか、腐りかけのキャベツとかで美味しいシチューが作れると思うか?」


 アレン少年はぶんぶんと首を振った。

 いくらエミリアだって、そんなクズ野菜から、あの絶品のシチューは作れやしないに違いない。


「ハムだって同じさ。美味しいハムを作るには、いい豚でないとな。病気なんてしてない、健康な豚でないと。病気の豚から作ったハムを食べたいと思うか?」


 アレン少年は再びぶんぶんと首を振った。

 どう考えても病気の豚から美味しいハムができるとは思えない。それよりも、なによりも、そんなものを食べたら、豚の病気がうつってしまうかもしれないじゃないか!

 美味しいハムを作るには、健康な豚。

 それは当たり前のこと。当たり前のことじゃないか!


「それにだ。豚を健康に育てるのはもちろんだが、食わせる餌も美味いものにしないといけない」

「美味しいもの?」


 アレンは首を傾いだ。


「あぁ。いい餌を食わせてやるんだ。美味いものを食って、健康的で、大きく豚を育てる。これがハム作りの一番重要なところだ。美味い材料があれば、美味いハムを作るのなんて簡単だろう? 美味いものを食って育った豚が、不味いわけがないからな」


 父の答えに、アレンは目を輝かせた。

 美味いものを食べて育つから、美味しい豚になる。

 もっともだ。しごくもっともなことじゃないか!

 そしてアレン少年は考えた。


 美味しいものを食べるから、美味しくなる。


 それじゃ、この世でもっとも美味しいものを食べているモノは?


 少年は首を慌てて振ってその疑問を打ち消した。

 それは、父に訊いてはいけないこと。

 疑問に思ってもいけないことだ。

 もしそんなことを訊いたら、父に殴られるに違いない。


 だが、一度、生まれた疑問は消えることはない。


 芽生えた好奇心が消えることもない。


 それは、時を経るごとに、徐々に増大していく。


 この世でもっとも美味しいものを食べているモノは?


 その答えを頭の中で求めつつ、少年は父の後について、食堂に向かって歩いていく。

 食堂では、もう皆の朝食が並べ始められているだろう。エミリアたちが腕を振るった、美味しい朝食が。

 少年は右手でお腹をさする。


 あぁ、今日も水汲みに汚物掃除に、朝の仕事は大変だった。

 子豚たちが豚舎からでなくて、ずっと追いかける羽目になった。

 あぁ、本当に、お腹が空いた。


 少年は、空腹だった。


週一(水曜正午)更新予定。

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