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帰還  作者: 中崎実
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帰還【後篇】

サイバネティクス外科用パワーサポートユニットを外し、ミア・シャフィラはひとつ息をついた。

 下肢交換術を終えた患者が手術室から運び出されるのを横目に見ながら、ロッカールームに戻ると術衣を着替え、ロッカーに置いてあった指輪をつける。


「ミア、それ結婚指輪じゃないの?」


 同じように手術を終えたばかりだった同僚のジャネットが、ミアのシンプルな金の指輪を見て首をかしげていた。

 ジャネットの指輪は、手術中にはチェーンに通して首から下げられている。ロッカールームも完全な安全は保証されていないのだから、無理も無い。


「そうよ。でも、手術中には付けたくないのよね」

「どうして?」

「貰った状況が最悪だったから、不運を呼び込みそうで」

「なにそれ」

「遺言状使ってプロポーズしたのよ、うちの旦那は」


 ばたんと乱暴にロッカーの扉を閉めたミアに、ジャネットが目を丸くした。


「え?遺言状って」

「文字通りよ」

「ああそうか、ジャネットが入ってきたのって最近だものね」

 くすくす笑いながら口をはさんだのは、サンディ・ノートンだった。

「けっこう有名な話だから。誰でもいいから聞いてみなさいよ」

「なにそれ、笑うような話なの?」


「うちの旦那がバカやったって意味でなら、そうよね」


 笑顔のサンディとは対照的に、ミアの眉間には皺が寄っていた。

「ミア、まだ怒ってるの?」

「あいかわらずバカやっててうんざりしてるって言った方が正しいかしらね?……ちょっとごめん」

 院内通話機が小さな電子音を立てたのに気付き、ミアは発信元が外傷外科であることを確認して、スイッチを入れた。

「シャフィラです」

『ミア、トーゴがまた受診してるよ』


 相手は外傷外科医のリチャード・ディクソンだった。


 そのディクソンが連絡してくるというのはつまり、負傷したということだ。

 ミアも無論、夫が強制捜査に同行したのは知っていた。出立前夜の振る舞いから判断して、それが最も過激な部類に入る作戦だということも、理解はしていた。

 しかしそれでも、負傷を聞いて心拍数が跳ね上がるのは、避けようが無かった。


「今度は何?」

 引きつりそうになる声帯をそれでも何とかコントロールできたのは、職業柄だろう。

『肋骨折と頭部外傷。入院の必要はないけど、帰宅前に説明しなきゃいけない』

 手放しで帰せるほど軽い傷ではないが、入院させて経過を見るほど重症でもない、という意味だった。

『そんなわけだから、仕事が終わったら君も説明を受けに来てくれないか』


 急いで駆けつける必要はない。それに、仕事も残っている。


「わかった。終わり次第行くから、大人しく待ってるようにトーゴに伝えてくれる?」

『良い子にしてろと言ってた、と伝えておくよ』

 少しの笑いを含んだ声でディクソンが答え、通信が切れた。


***************************************


 研修医の出した術後指示を確認し、患者家族に説明を終えて手術記録をつけると、ディクソンの通信から一時間以上が経過していた。


「ミア、あとはやっておくよ」

 雑用の監督を同僚が引き受けてくれたので、一足先に職場を出る。

 通常診療時間の終わった外傷外科外来はすでに閑散としていて、患者らしい人影は数人しか見当たらなかった。


 その中で、ヒトは一人しかいない。


 明らかに居眠りしているが、戦闘直後だという事を考えると、下手に刺激しないほうがいいだろう。背側から接近する方が近かったが、ソファーの列を回り込んで遠回りし、正面から近づく事にした。


 保安部員の灰色戦闘服の胸に、強制捜査課員であることを示す金流星章。襟には観測官章がついている。単純に死亡率だけ考えるなら最も過酷な職場にいるのだと、局員の誰もがすぐに理解できる姿。いつもは温和な寝顔も、服装に相応しくどこか厳しさが残っていた。


「トーゴ」


 離れたところから声をかけると、予備動作無しに顔を上げた。

「ん、あ、ミアか。呼び出して悪いね」

「仕事はもう終わったから。……すごい顔になってるわね」


 顔面にべたべた貼られた外傷治療テープはかなりの面積だが、それでも内出血痕は隠しきれていない。あと一週間もしたら、顔の左半分が青と黄色のまだらになりそうだ。


「そんなに酷いかな」

「迫力はあるんじゃないの?」

「ゼロに何を掛けても、ゼロにしかならないと思うけどね?」


 自分の平凡無害な外見を弁えた答えを返して、トーゴはにやっとしたが、瞳孔径は全く変化しなかった。


「今の恰好なら、ゼロよりはいくらかマシよ?」

「そりゃまずいなあ、私のモットーは『人畜無害』なんだけど」

「言ってなさい」


 いつもどおりにあしらって、ミアは夫の隣に腰を下ろした。


 無駄な軽口を叩くのも、本人がそう呼ぶところの『通常モード』にまだ戻っていないせいだろう。元に戻るためのデブリーフィングは受けているはずだが、完全に頭が切り替わるまではしばらくかかるはずだ。

 それからしばらく二人とも沈黙していたが、やがてトーゴが黙ったまま、ミアの手をとった。

「……小さい手だな」

 ぽつっと言って、トーゴは自分の両手でミアの手を包み込んだ。

「心配、かけたかな」


「当然でしょ。……おかえりなさい」

「……ただいま」


 ぼそりと言った夫の手を、ミアが握り返したところで、診察室へ入るよう呼び出す声がかけられた。

トーゴこと御舘藤吾郎雅之、実は既婚者ですの巻。

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