プレリュード ある事件について
二〇一×年六月十六日 羽邑市営広域自然公園にて
「………これで今年に入って四件目か」
「………酷い事をしますね」
公園の中は自動車の侵入が禁止されているので、さすがの警察と言えどもパトカーをぎりぎり近場で停車させてそこから歩く事になる。
空梅雨ですでに夏模様の陽気の中、鼠色のスーツを着た若手とベテランと言う風貌の二人の刑事が、鑑識係二人と共に現場を押さえていた。
殺害、ではあるが本来わざわざ刑事が出張る事件ではない。
犠牲者は犬である。ミックスの中型犬で牝だ。
「手口は同じ。首から下を地面に埋めて、チョッキンだな」
「………世の中も変わりましたよね。金属バットで動物を殴ったり、ボウガンで鴨打ったり。そうかと思えば犬の死体に警察がわざわざ出張る。連続殺犬事件、ってとこですか」
「文句はカラオケボックスの中で叫べ。一人でな。俺はともかく、署長にとばっちりを向けたら、また文句を言われる」
「すんません」
若刑事は注意されても少し不機嫌を覗かせていた。
今ではほとんど居ないが、やはり刑事に浪漫的な何かを求めている若者は多い。
刑事なんて退職までの七割を聞き込みやらなにやらで歩き回る仕事なのだ。それこそ営業のサラリーマンと大差無い。
現場の写真を撮り、スコップで亡骸を掘り返す作業に移ろうとしたところで、少し先の駐車場に車が停まるのが見えた。
「マスコミでも来たか?」
最近では動物虐待でも夕方のトップニュースだ。まして、今年に入って連続して起きている事件である。遂に警察が動く事になり、連鎖的にゴシップに飢えたマスコミが飛びついてくる事は想像できた。
「マスコミの連中は管理人に止めて貰ってる筈なんですが。あー、若いですね。大学生みたいだ。マスコミじゃないですね」
まだ二十五、六の若者が大学生を若造呼ばわりする姿は、奇妙にも思えた。
「ヤス、おまえも対して年は変わらんだろ」
「そりゃ僕とタケさんほどは離れちゃいませんよ」
年齢差と言う物は加齢とともに物差しが変わる。子供の頃は五歳の違いは雲泥の差だが、三十も半ばを過ぎるとさほど変わらなく見える。
昔からテレビの中で活躍する芸能人が、実は自分と三つしか違わないと知った時の感覚は独特の物だろう。
四十を過ぎたタケから見れば、若者は別の生き物にしか見えない。
駆け寄って来る青年の風貌はまさにイマドキの学生、と言う雰囲気だった。
肩に届くかと言う長髪に、小ざっぱりしたラフな服装である。女性に見られる事を意識したコーディネートであり、ルックスも含めて一言で言うなら軽薄そうなイケメンだった。
「動画投稿とかだったら厄介だけど、違うかな」
「………飼い主とかだったりしてな」
「うわ。どうします?」
「………俺も動物のホトケを飼い主に会せるかどうかなんて初めてなんだよ。止めてこい。ついでに身元確認」
「了解」
ヤスと呼ばれた若い刑事は、青年を止めて事情を聞き始めたが、すぐにその顔が渋くなる。
「何だよ、その捜査協力者ってのは!」
「だから、おたくらの署長さんに頼まれたんですよ。現場検証に」
「頼まれたって、あんた素人だろ。それが何で署長に」
面倒事みたいだな、と感じたタケは、作業を中断させて自分も側に向かった。
「お名前と職業は?」
「あ、僕はこう言う者です」
差し出された名刺を受取ったタケはちょっとだけ眉をひそめた。
「作家?」
「ええ。少女向けの恋愛小説ですが。あ、ペンネームと本名は同じです。編集部の意向で性別はボカされてますけど」
「確かに、名前は知ってます」
「タケさん、知ってるんですか?」
「娘が好きなんだよ。ちょっと怪奇系のシリーズが好きみたいでな。前に誕生日プレゼントでねだられたから覚えていた」
ヤスより若いかもしれないが、自分よりはるかに稼いでいる作家、と言うのはタケの心の中に押し込めた。
「へえ。って、少女小説家が何の関係あるんだ?」
「あー、実は歴史とかオカルト方面研究でも結構名前が通ってまして。僕の知己で大学教授の方が、今回の事件で協力させられないかと、県警本部長さんに提案したんだそうです。これ、紹介状」
署長よりも上の人間が寄越したと言う話に、タケは思わず天を仰ぐ。確認した紹介状には本部長の判も押してあった。
「オカルトお~? もー勘弁してよ! ほら、邪魔しないで帰った帰った!」
「ちょっと待った。この紹介状にある教授って、テレビにもよく出ている著名な心理学者か?」
「え? ええ、まあ。刑事さん、よくご存知ですね」
「バラエティ番組の知識が必須な職業なんだよ」
「意外ですね」
「よく言われる。しかし、あの教授と知り合いとは、ずいぶん顔が広いもんだな」
「いやー、たまたまよく行く骨董品店で会うようになって。いろいろお付き合いさせて貰ってます」
「まあ現場を見てもらうくらいならいいだろう。ただ、荒らさんでくれよ。あと、犬とは言え酷い死骸だ。吐く時は遠くまで行って、公園に迷惑をかけないように」
「大丈夫です。割と慣れてますから」
ヤスは納得していないようだが、タケは署長や本部長の面子を潰すよりはマシだと青年を現場に案内した。
「………地面に埋めて、首を切った、か。他の三件も同じだったんですか?」
「ああ。正直、殺すにしては手の込んだ事をする」
犬を連れてくる。穴を掘る。首を切る。どれも大仕事だ。
仮にストレスで気が触れた人間が犬を殺すとしたとして、こんな面倒な手口を使うだろうか? 人気の無い場所での凶行と言うだけではないのだ。凶器だって包丁やナイフのように手頃にありそうだとは思わない。
それこそ、綿密に計画された犯罪と言う臭いがする。
「………目的があった、と言う事でしょうね。ああ、何だよこれ。周囲を結構歩いてますね。参ったな」
「ん? 何かあるのか?」
「僕の考えが正しければ、近くに何か火を焚いた跡がある筈なんですが」
警察の人間が見てもかなり慎重に地面を見て回っている。むしろ犬ばかりに目が行く若手には無い気配りの様子だった。
「それならここだ。何かを燃やしたような跡があるから囲っておいた」
「おっと、さすが警察ですね」
「って言っても、大したもんじゃないでしょ。紙とか草とか、そんな感じでしょう。夜の灯りがわりにしたとか」
「懐中電灯なり、ランタンなりで代用できるのに、わざわざ火を焚くか?」
タケの指摘に、ヤスは返答できない。
「ああ、やっぱり。これは壇の跡ですよ。これは儀式の跡なんです」
「儀式?」
「オカルトの専門分野ですよ。間違いなく『犬神』です。おそらくここで焼いたのは切り落とした頭です。犬を殺す前に壇を作って護摩を焚き、切り落とした首を燃やして骨と灰にする」
「うえっ?」
「骨とかは残ってなかったが」
「回収したんです。そこまでが犬神の儀式ですから。この高さだと植木バサミや日本刀では無理か。もしかすると斬首用の大道具でも使ったのか」
佐々原の指摘通り、埋められていた胴はほぼ地面とフラットで、首を落とすには地面すれすれを刃が通る事になる。
包丁、ナイフ、日本刀は現実的ではないとして、山刀や斧では斬り難そうだ。
「わざわざ埋めなくとも支柱に縛るとか別の方法もあるのに。簡単な物なら、木箱だっていいんですよ。埋めるっていう事に拘ったのかな」
「………なるほどな。犬神ってのは? 察するに犬を使った呪いって感じか」
「丑の刻参りとはちょっと違うんですが、簡単に言うと使役霊です。平安時代の頃から記録にあって、主に西日本が主要舞台です。怨霊となった犬の霊を使って相手を呪殺をしたり病にしたりする。蠱毒法のバリエーションとも言われる民間呪術の一種ですが、恐ろしく強力と言われています。朝廷が禁止令を出しているほどです。専門家の陰陽師を抱えている殿上人が民間呪術を怖れたんだから、大したものですよ」
「オカルトはオカルトじゃないですか。どうだって言うんです」
「現代で見れば眉唾のオカルトかもしれませんが、これは記録も残っている歴史的事実ですよ。しかも犬神は一代限りではなく血筋に憑くと言われるんです。故に、犬神憑きの血筋は忌むべきものとされました。まあこれは現代の被差別問題の根幹に繋がる要因でもあるんですが」
「………それをこの時代に実践した奴がいる、か」
ヤスは「だから何?」と言う表情を素直に浮かべていた。
そりゃそうだろう。必要なのはオカルトのウンチクではなく、この事件をしでかした犯人のヒントだ。
しかし、同時に微かな手掛かりなのかもしれない。犯人像が絞れる。
「ええと、もう良いので亡骸を掘り返しても構いませんよ」
青年の言葉で我に返り、タケは鑑識に指示を出した。
程なく犬の胴体は掘り返されるが、それを見た青年が顔色を変えた。
「大丈夫か?」
「………ええ。ちょっと疑問だったんですが、謎が解けました」
「ん?」
「犬神をこの方法で作る時は、飢えさせる必要があるんです。餓死寸前まで飢えさせてから餌をちらつかせ、その隙に首を落とす。それが手順です。食に対する執念を利用するわけですが、そうだとすると犬を事前に確保して飢えさせなければならない。それは昔ならともかく、今やろうとすれば場所の問題などが山積みだった筈です。でも、この犬は違う」
そう。青年」の言うとおりだった。この犬は痩せ細ってはいない。むしろ腹部が大きく膨らんでいた。
「………妊娠している」
「そのために、喰う必要があった。つまり、飢えていた、か」
「………お腹の子犬も全滅でしょうね」
さすがの刑事二人も、その酷い有様に自分でも分かるほど顔色を変えていた。
「地面の中、だからな」
「動物愛護団体が知ったら大騒ぎだな」
「今でも十分騒がれてますよ。県や市に動物の一時預かり施設を作るように要請する一団が運動起こしてますから」
「………海外に飛び火したら厄介だな………。絶対現場の動画や写真は公表するなよ」
「わかってます」
一方、青年は首無しの亡骸を間近で観察し続けていた。
その落ち着いた姿は、たとえ犬の死体としても異常なようにタケには思えた。
稼いでいる小説家とは言え、二十歳を少し過ぎただけの青年が、まるでこんな事に慣れているかのようだ。
もっとも、タケはこの青年作家を犯人かもしれないとは思っていない。
伊達に刑事と言う人を疑う商売を続けていない。長年の刑事生活から、人間性をある程度見抜けるようになっていた。
何かを隠す人間は、ほとんどの場合ぼかそうとしたり態度に何処か力が入るものだ。自然体で悪事を隠せる人間は全体の三パーセントにも満たないだろうし、更に悪事を気取られないように完全風犯罪を執行できる人間となると、最早人類史に何人いるかと言うレベルになる。基本、悪事は露見する物なのだ。
タケから見た青年の態度は、深刻な事態に真正面から取り組もうとしている、責任ある人物の物だった。
例えば、大企業の謝罪会見を見ても、本気で取り組んでいる人間と、その場凌ぎの人間は同じように見えても差がしっかり出ている物だ。
「オカルトの歴史を見ても妊婦の死は化けやすい。それが畜生の類でもです。………でも、この紐は何だろう? ちょっと見て貰えませんか?」
指差したのは、胴体を縛っていた紐だ。ただでさえ妊娠中の犬は気性が荒い。そんな犬の手足を縛り暴れさせないためだろうと考えられるが、どうもそれが普通の紐に見えなかったのだ。
ビニールの手袋をはめたヤスがピンセットでそっと端を摘み上げた物を三人で見る。
「………一見すると細引きだけど、ところどころ黒い物が編み込まれているみたいですね。黒糸が使われている。………これは」
「………もしかして、髪だったりしません?」
青年がぼそっと呟いた。
「そうそう、女の子の黒い髪にそっくり………って、えええええっ?」
「………いかれてる」
「縄に髪を使う事は意外と昔からあるんですが、この紐はどうも気になるな…………」
「気になる、とは?」
「昔ながらの編み方じゃないんですよ。かと言って、最近の女の子がやるような物でも無い。この独特の紐の編み方は確か………そんな、馬鹿な………」
今度の顔色は、さっきとは比べ物にならないほど青かった。
額に脂汗まで浮かべている。まるで首無しの死骸よりも、この紐に恐怖を抱いたようだった。
「………ここら辺って、昔は土葬だったりしましたよね?」
「いきなり何言ってんの、あんた」
「そりゃまあ。確か昭和の三十年代くらいまでは土葬だったって話だ」
「タケさん、なんでそんな事知ってるんです?」
「いろいろとあったんだよ。昔は。人骨が出てきたんで、死体遺棄か!と思ったら実は昔の墓地だった、なんて話があってな」
「都市伝説みたいな話ですね」
「江戸の街は幕末には火葬が主流だったそうですが、基本は土饅頭、土葬です。東北の山村だと戦後まで結構あったそうです。漫画家の自伝に載ってました。確か法律で土葬が禁止されたんじゃなかったかな?」
人間の死体に関する法律はかなり厳しい。たとえ親子兄弟でも勝手な埋葬は死体遺棄罪になるのである。
死亡診断書は医者が発行し、それを見せないと火葬場は火葬ができないように法律で定められている。
「で、この紐と何か関係あるのか?」
「いや、気のせいでしょう。オカルトマニアなら知っていてもおかしくは無いし、こんな事をするのなら犯人は相当な大荷物を運んだ筈です。夜中である事を加味しても車は必須。高確率で成人男性ってところですね」
「はあ。そんな推理ならこっちだってとっくにできてるんだよ」
「もしかしたらそう言うオカルトマニアの男がいるのかもしれん。周囲の目撃を集めるしかないな」
「結局はそう言うオチっすか。じゃ早速行ってきます」
「おう」
ヤス刑事は駆け出していく。鑑識も引き上げる中、タケは青年の車に同乗したい旨を伝えた。
「それは構いませんが、一体何故です? これも捜査協力ですか?」
「聞きたい事が一つあるんで、車の中なら話しやすいんじゃないかと思ってね」
「いや、僕が答えられる事なら答えますが」
タケは助手席に座り、車は走り出した。
「紐を見た時、あんたは明らかに驚いていた。犬の死骸にも動揺しなかったのに、紐に。その理由を聞きたくてね」
「………言っても信じませんよ? 僕の証言が信憑性を失ったら、本部長さんとか署長さんに迷惑をかけるでしょうし」
「信じる信じないはこっちが決めますよ。はっきり言って手掛かりが一つでも多く欲しい。この連続事件、目撃証言が取れていない。今回も正直怪しい所だと思ってる。あんたの証言で、今回が便乗犯の可能性は低くなった。相手は、ストレス解消みたいなクズじゃない。もっと悍ましい内側を持った奴な気がする。勘だがね」
軽薄そうな印象の青年作家だが、あの紐を見た時の鬼気迫る表情がタケの脳裏に焼き付いたのだ。
刑事の訊問と言う事も有ったのか、青年は声のトーンを落とした。
「昔は注連縄なんかにも女性の髪を編み込んだと言います。女性の髪には霊的、神性があるとされてきましたから。でも、あの紐は違う。あれは実用性を持たせた物です。世界には毛髪を生活用具の材料にする民族もいますし、第二次大戦中のナチスドイツでは囚われたユダヤ人の毛髪で用具を作ったと言う記録もありますが、あの紐を造ったのは全く別の種族だ」
その言葉に、タケは違和感を抱いた。
まさかこの男が人種を区分けする主義を抱いているとは考え難い。
では、種族と言う言葉の意味は?
佐々原は暫く迷っていたが、独り言のように語り始めた。
「人の生活の裏側で、墓を漁り屍を食む連中がいる。連中は衣服を着ないが、道具は使う。人の骨、爪、髪を材料にして。あの縄は連中が使う物なんです。連中は人のようで人ではない手足を持っているから人間と同じような縄を作れない。独特の編み方になるんです。犯人がそれを偶然に手に入れたとは考えにくい。相手は………食屍鬼に関わる存在か、そのものかもしれない」
タケは青年の言葉を聞きながら、恐ろしい予感を抱かずにはいられなかった。
刑事と言う職業にどっぷりと浸かっていると、時折佐々原の言うような突拍子も無い話を信じなければならないような出来事に遭遇するのである。
例えば、行方不明になった子供が地面に埋められていた事件で、すでに子供の身体が三分の一ほど欠損していたとか。
例えば、複数のバラバラ死体がパーツの足りない状態で纏めて放置されていたとか。
例えば、人間の骨が、明らかに肉を解体された跡のようになっていたとか。
例えば、人間の脚が、まるで食肉業者の冷蔵庫のように吊るされていたとか!
「………今じゃこの国では土葬は御法度だ。その連中はどうなったんだろうな?」
「一部は大陸に渡ったと言われています。北朝鮮は平壌を除けばまともな埋葬施設が無いし、中国も貧しい農村部は似たようなものです。食屍鬼は社会に解け込むから、もしかしたら中国には共産党幹部に化けた食屍鬼が支配する人間牧場があるのかもしれません」
「………こっちに残った連中は、どうやって食い物を手に入れてるんだろうな」
「………世の中には、妙に行方不明者が出ている街があったりするそうです」
「………笑えねえ」
いつしか、天気は雨に変わった。現場は保存したが、正直維持できるとは思い難い。
運転席でハンドルを握る青年は、雨の道路を見つめていた。
「………でも一つだけわからない。なぜ『犬神』の儀式を行うんだろう? 食屍鬼と犬神に何か共通項があるんだろうか?」
「こうなると、できれば手錠をかけられる相手であってほしいと願うばかりだな」
タケは本気でそう考えていた。
質の悪い怪談話。ありがちな都市伝説。そう割り切れない何かを感じる。
得体の知れない何かが動いている。それは刑事に対応できないような物だと直感が訴えている。久し振りにニューナンブを持たないとダメかもしれないと、懐の隙間が疼く。
「………嫌な予感がする。こんな事じゃ終わらない。もっと何か大きな事件が始まっているのかもしれない」
青年の言葉は、まるで天啓を信じる予言者のごときものだった。