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伏見城は三日で落とすのよ!(弐)

いよいよ、歴史もの(と言って歴史SLGもの)のジャンルらしく、(これ、学園物か恋愛ものじゃないか!と一部言われているかもしれませんが)史実を織り交ぜながら、関ヶ原の戦いのゲームが進行していきます。歴史といっても、ゲームですから、史実とは異なる展開もあります。それは違う!と思われる歴史通の方、どうぞ、寛大な気持ちで読んでくださいませ。

(これはダメじゃ…)


 島津維新入道こと、伊集院教経いじょういんのりつねは、一日目の戦闘を終えて、西軍の未熟さに呆れてしまっていた。確かに伏見城を取り囲む西軍は、総勢で4万と2千足らずの城方に比べて圧倒的な戦力だが、総大将の浮竹栄子(宇喜多秀家)や早川秋帆(小早川秀秋)が大軍にも関わらず、ゲームのやり方が素人のために、効果的な指示ができていないのだ。


(それに毛利軍の動きが悪い…。ゲーム巧者の吉川専務がしきっている割には、ここぞという時の攻撃をためらっているようにしか見えない)


 寄せ手の中のベテランゲーマーでレベルが高いのは、長宗我部と毛利なのであるが、この2軍が消極的なので全体として苛烈な攻めにつながっていないのだ。

維新入道としては、歯がゆいばかりだが、自分は孫のIDで参加しているので、レベルが低く、兵数も史実と同じで現時点では800人もいなかった。これでは、全軍に命令することもできないし、自分だけ突出するわけにもいかない。


 西軍のこの動きは、史実でも同様であった。全軍、様子見の戦いに終始し、わずか2千の鳥居彦右衛門の守備隊に10日かけても落とせなかった。急遽、石田三成がやってきて、叱咤激励してやっと落とすことができたのだ。


ゲーム上の西軍はこの状況に似ていた。


 中核の宇喜多勢、小早川勢を筆頭にゲーム素人が多く、城攻めのやり方を知らない。ベテランの毛利勢と長宗我部勢は、何故かやる気を見せないのだ。それでダラダラとした膠着状態が続いているのだ。


(これでは、3日どころか、10日でも伏見城は落ないぞ。どうする、美鳴ちゃん)


維新入道は、遠く、東の美濃に進出している石田美鳴の方をマップで確認した。


 石田美鳴は、自軍の石田勢だけで美濃に進出していた。狙いは東軍の主力が来るまで、決戦の場になるこの地方を固めておこうという作戦である。これは、今は側にいない、家老の島大介(左近)と前から、相談していた作戦の一環であった。東宮院の東軍が、美濃に集結するまで、西国の東軍拠点は早々に叩いておこうというのが、最初のミッションであった。美鳴としては、大介がいない現在、以前から相談していた作戦を忠実に実行することだけが精一杯できることであった。


 それにより、西軍主力は伏見城に、小谷吉乃(大谷吉継)は、北陸に、立花瑠璃千代は近江の大津城に向かっていた。


(大介、舞、どこにいるのよ。もう関ヶ原の戦いは始まっているのよ)


 美鳴は西軍の動きを確認しながら、次にどういう指示をすれば良いのか考えるだけで不安でいっぱいであった。自分が取る一手一手で、敗北にも勝利にも近づいているのだ。


 キャンペーン開始からすでに2日が経っていた。スタートは上杉景勝の反乱鎮圧に徳川家康が討伐軍を動員して、会津に向かうところから始まる。初日は、直江愛ちゃんのおかげで、サラリーマン景勝が、予定通り反乱を起こして順調なスタート切ることができた。

家康によって、会津討伐軍が組織され、彼は江戸に去った。シナリオ通りである。


 今頃は東軍は5万余の軍で、江戸を出発し、会津に向かっているはずだ。史実なら、会津征伐はブラフで、大阪での西軍の旗揚げを待ち、一気に西進してくるだろう。だが、今はシュミレーションゲーム。史実の通りにはいかないことも期待できる。美鳴にとっては、上杉との2正面作戦がありがたいのだが、ゲーム巧者の東宮院がそのような愚を犯すとは思えなかった。


「美鳴、西軍が旗を挙げたら、伏見城は三日以内に落とす。これは勝つために絶対に必要な条件だ」

ゲームが始まる少し前、島大介こと、島左近は、


「関ヶ原の戦いの敗因は、城攻めに時間がかかって、分散した兵力を美濃に結集できなかったことがある」


そう美鳴に言っていた。


 確かに、西軍はこの伏見城、近江の大津城、丹波の田辺城、伊勢の安濃津城など城攻めに手間取り、主戦場に十分戦力を集められなかったことが、敗因の一つに挙げられていた。


史実では、西軍は伏見城攻略からつまずいたと私は思っています。田辺城攻略や大津城攻略も結局、戦力を分散ささせただけ。効果があったのは大谷吉継の北陸遠征ぐらいですか?さあ、石田美鳴ちゃんのゲームはどうなる?

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