第12話
「あ、あれ? 足が……」
安心すると同時に、足から力が抜けていく。気がつくと私は、その場にへたり込んでしまった。力が抜けるのは足だけではなく、もはや自らの体を真っすぐに保っているのも難しい。そのまま草原に倒れ伏しそうになる私を、馬から颯爽と下りた黒髪の青年が抱き留めた。
「危ないっ」
頭から倒れてしまわないように、力強く、それでいて優しく抱えられる。初対面の男性だというのに、その慈愛に溢れた所作からは心からの誠実さと頼もしさが伝わってきて、私はそのまま彼に身を任せた。
黒髪の青年は私の顔を心配そうに見つめ、静かに言葉を紡いでいく。
「きみは、なんて無茶をするんだ。正気を失った馬の前に立つなんて、自殺行為だぞ。……でも、おかげで命拾いしたよ。きみがいなければ、僕は今頃生きていないだろう。僕の名はブライス。きみの勇敢なる行為と善意に、心から感謝する」
至近距離で見ると、黒髪の青年――ブライスが高貴な身分であることが、遠目に見ていた時よりさらにハッキリと分かった。しかし今、ブライスは名前こそ名乗ったものの、自分の家名を述べることはしなかった。……それで私は悟った。彼は自分の身分や出自について、秘密にするとまではいかなくても、なるべく語りたくないのだと。
私も一応は貴族の端くれなので、その気持ちがわかるのだ。貴族の一生には、良くも悪くもずっと家名がついて回る。誰が相手であっても、家の名を出した途端に、私はただのクリスタではなく『フォーリー家の長女クリスタ』となり、普通の人々がするようなコミュニケーションとは一線を画した付き合いをすることになる。
ブライスはきっと、高名なる貴族である。その『高名なる家名』を言ってしまえば、私が普通に接してはくれないと思っているのね。ならばその気持ちを汲んで、追及するのはよしましょう。それに私も『フォーリー家の長女クリスタ』ではなく、『目的もなく草原で時間を潰していたクリスタ』として、ブライスと話がしてみたい。
私は微笑し、ブライスに言葉を返す。
「私はクリスタと言います。えっと、『勇敢なる行為と善意』とまで言われちゃうと、少し照れちゃいます。……それに私にとっては、まったくの『無茶な自殺行為』ってわけでもないんです。これでも馬の扱いには慣れていますから」
本当のことだった。領地は小さく税収入も少ないフォーリー家だが、他の貴族に誇れることがひとつだけある。それは、国王陛下から軍馬の調練を任されていることだ。
『馬糞の世話が仕事の田舎貴族』と侮辱する者もいるが、誰が何と言おうと国王陛下から預かった軍馬を管理することはフォーリー家の誇りであり、我が一族は男女関係なく、幼いころから馬の扱いを覚えるのである。
ブライスは感心したように頷き、言う。
「クリスタ。きみはもしかして、厩舎の娘なのかな? なるほど、怒り狂ったノームの心を静めたあの手際。素人のものではないと思ったけど、そういうことだったのか」




