第4話:とうとう「王宮」が物理的に追いかけてきました
その日、グラン・ゼニス王国の王都は、物理的な意味で「終わりの予感」に震えていた。
かつて栄華を極めた王宮の廊下には、今や高貴な香水の代わりに「生ゴミと絶望」の芳香が充満している。
「……ありえない。こんなことがあっていいはずがない!」
第一王子セドリックは、自室の金色のソファ(三日間掃除されていないので謎のシミがついている)で頭を抱えていた。
昨夜、彼は空腹のあまり自分でお粥を作ろうとした。だが、魔導コンロのスイッチの入れ方がわからず、うっかり厨房の壁を一つ爆破したばかりだ。
さらに、彼を支えるはずの側近たちはといえば。
「殿下! 書類が! 書類が勝手に増えていきます! これ、どこにハンコを押せばいいんですか!?」
「殿下ぁ……お腹が空きました……。昨日のパンは石よりも硬かったです……」
泣きついてくるのは、リシアがいた頃は鼻を高くして「実務なんて下々の仕事だ」と豪語していた貴族の坊ちゃんたちばかり。
リシアがいなくなって、わずか数日。
この国は、行政という名の複雑な時計仕掛けから「メインスプリング(主ぜんまい)」を引き抜かれた状態に陥っていた。
「……ええい、こうなったら奥の手だ! 我が王家に伝わる守護秘宝――『可動宮殿』を起動させる!」
セドリックは、脂汗を流しながら立ち上がった。
それは、初代国王が「民が危機に瀕した際、王宮ごと避難するために」遺したとされる伝説の古代魔導建築だ。
この宮殿そのものが巨大な自律魔導体であり、王の意志一つでどこへでも移動できるという。
「これさえあれば、逃げ出した不届き者どもを物理的に踏み潰しに行ける。リシア! 貴様を無理やり連れ戻し、一生このゴミ溜めを掃除させてやる!」
セドリックは、薄暗い地下の最深部にある「制御の間」へと駆け込んだ。
中央に鎮座するのは、巨大な水晶の球体。
彼は迷わず、その球体に自らの手を押し当てた。
「我が名はセドリック・グラン・ゼニス! この国の正統なる後継者だ! 目覚めよ、可動宮殿! 裏切り者リシアの元へ、私を運ぶのだ!」
――ズズズ……。
地底から、重低音の唸りが響き渡った。
王宮全体が、巨大な生き物のように身震いを始める。
「ははは! 動いたぞ! やはり私は選ばれし太陽なのだ!」
セドリックが狂喜の声を上げた、その時だった。
制御の水晶が、不気味な「真っ赤な光」を放ち、エラー音が部屋中に鳴り響いた。
『――認証、拒否。……現操作者の「民の信認ポイント」が、規定値のマイナス一千万を突破しています』
「な、なに!? ポイントだと!?」
『――システム診断開始。……王宮内部に致命的な「不潔」および「管理放棄」を確認。……真の管理者を検索中……。検索終了。……ターゲット「リシア」を検知。これより本宮殿は、正統なる管理者の元へ【全速前進】を開始します』
「え……? ちょっと待て、私は乗っているんだぞ! おい、止まれ! ぐわあああぁぁぁ!」
轟音とともに、王都の象徴であった巨大な白亜の城が、地面からスッポリと引き抜かれた。
そして、逃げ惑う市民たちの頭上を飛び越え、空に浮かび上がると――音速を超えて、西の空へと消えていった。
後に残されたのは、王宮が建っていた場所にポっかりと開いた、巨大な「クレーター」だけだったという。
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### 一方、その頃の「カナン領」
「……よし。これで下水処理の自動化プログラム、バージョン2.0のデバッグは完了ね」
私は、仮設の執事室でホログラム画面を閉じ、満足げに伸びをした。
隣では、サフィア帝国のレオン王子が、信じられないものを見るような目で私の手元を覗き込んでいる。
「リシア。……君は今、サラサラと書いていたが。それは帝国の魔導技師が三百年かけても解明できなかった『空間冷却の演算式』じゃないのか?」
「え? あ、これですか。ただのゴミ処理の熱効率を上げるためのメモですよ。目立たない程度の工夫です」
「君の『目立たない』は、もはや辞書から消去すべきだな」
レオン王子が溜息をつく。
その後ろでは、ユリウス様が「リシア様に近づきすぎです、帝国王子」とでも言いたげな鋭い視線で、銀のティーポットを握りしめていた。
「リシア様、本日のおやつはガストン特製の『辺境産イチゴのミルフィーユ』で――」
ユリウス様が言葉を切り替えた、その時だった。
突如として、快晴の空が真っ黒な影に覆われた。
「な、なんだ!? 雲か!?」
「いえ、違います! 空から……建物が降ってきます!」
偵察に出ていた騎士たちの悲鳴が響く。
見上げれば、そこには。
昨日まで私たちが「おさらば」してきたはずの、あの巨大なグラン・ゼニス王宮が、空を割って落下してくるではないか。
「えっ、嘘でしょ!? あんなの、どうやって動かしたのよ!」
私は思わず椅子を蹴って立ち上がった。
王宮は、凄まじい風圧とともに、新都市のちょうど「公園予定地」として空けておいた広大なスペースへ、まるで吸い込まれるように着陸した。
ドォォォォォン!!
大地が揺れ、土煙が舞う。
驚きで固まる私たちの前で、王宮の正面玄関が「バタン!」と勢いよく開いた。
中から転がり出てきたのは、目を回して泡を吹いているセドリック殿下と、その無能な側近たちである。
「お、おい……リシア……。貴様、よくも私を……こんな乱暴な……」
セドリックは、這いつくばりながら私を指さそうとしたが、そのまま力尽きて顔面から地面に埋まった。
静寂が訪れる。
すると、王宮のスピーカー(魔導式)から、妙に明るい合成音声が流れた。
『――正統なる管理者リシア様。お待たせいたしました。現地の「不潔な居候」一名およびその取り巻きを、ゴミとして自動排出したことを報告いたします。本宮殿、これより貴女の新しい都市の「本庁舎」として接続・同期を開始します。……同期完了。おかえりなさいませ、マスター』
「…………」
私は、目の前に建つ「物理的に追いかけてきた職場」を見上げて、こめかみを押さえた。
「リシア。……これ、どういう段取りだ?」
レオン王子が、面白そうに首を傾げる。
「……私の段取りではありません。これは、ええと……」
私は震える指先で、魔法端末を操作した。
王宮が勝手に接続したおかげで、街の電力網、通信網、さらには防衛システムが一気に「神の領域」まで跳ね上がっている。
「……リシア様。どうやら、もう『王宮ごと引っ越し』というタイトルに、誇張はなくなったようですね」
ユリウス様が、呆れたように、けれどどこか嬉しそうに微笑んだ。
私の足元には、追放したはずの側近たちが「お願いです、掃除させてください!」「ご飯を食べさせてください!」と縋り付いてきている。
どうやら、私の計画していた「静かな辺境開拓」は、この瞬間をもって完全に終了したらしい。
空から王宮が降ってきた新都市。
そこに、超大国の王子と、最強の騎士団と、泣き叫ぶ元主君。
「……よし、皆さん。とりあえず――」
私は、かつての自分の居室(だったはずの場所)を見上げて、大きく息を吸い込んだ。
「まずは、あの追いかけてきた建物の『大掃除』から始めましょうか! 順番に、片付けますよ!」
リシアの「人望」が、ついに物理法則と不動産の概念さえもぶち壊した記念すべき日。
伝説の「移動式国家」が、本当の意味で産声を上げた瞬間だった。




