第24話 世界の澱みvs最強の段取り
「エギス、報告を。……今の『嫌な予感』、私の事務処理センサーが過去最大級のアラートを鳴らしています」
成層圏を優雅に滑空し、地上のゴミを一掃したはずの可動宮殿『カナン自由行政センター』。
だが、その安堵の空気は一瞬で凍りついた。
宮殿の背後、巨大な吸引ノズルが吸い込んだ「数千万人分の負の遺産」――すなわち、行き場を失った魔力の残滓が、貯蔵タンクの中で異常な共鳴を始めていた。
『――緊急警告。……吸引した「魔力の澱み」が臨界点に到達。……これは単なるエネルギー体ではありません。……人々の執着、後悔、そして旧王国の官僚たちが溜め込んだ「未処理の書類」に対する怨念が閉ループを含むネットワークを形成して、一つの擬似的な意志を創発しています』
「……なんですって? 書類の怨念?」
私が叫んだ直後、宮殿の外部装甲を内側から突き破るようにして、巨大な「黒い影」が宇宙空間へと溢れ出した。
それは、数キロメートルに及ぶ巨大な人型。
歪んだ王冠を戴き、数千枚の「督促状」をマントのように翻し、その顔は――あの草むしり王子、セドリックの絶望した表情を模していた。
『……ハラ……エ……。……ショルイ……。……シメキリ……ハ、……マモレ……ッ!!』
地響きのような、いや、宇宙の静寂を切り裂くようなノイズが響く。
それは魔力ゴミの塊が生み出した幻影、いわば「行政の負債」の化身だった。
「リシア殿、下がって! これは実体を持たない概念の魔物だ! 斬っても斬っても、人々の怠惰がある限り復活する!」
ユリウス様が、真空の宇宙空間でも輝きを失わない聖剣を抜き放ち、宮殿の防衛障壁の最前線へと躍り出た。
「やれやれ。宇宙にまで来て『締め切り』の亡霊に追われるとはな。……リシア、君の段取りでも、この『巨大な未処理ボックス』は片付けられないんじゃないか?」
レオン王子が、帝国の秘術である「極光魔法」を両手にチャージしながら、不敵に笑う。
だが、私は笑えなかった。
「……ユリウス様、レオン王子。……あんな不潔なものに、一ミリも触れてはなりません。……あれは、私の管理が行き届かなかった『世界の残業代』の集積体です。……事務官リシアの名にかけて、ここで完全に精算して差し上げます!」
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巨大な「影のセドリック」が、その巨大な腕を振り下ろした。
一撃で都市を消滅させるほどの質量の暴力。
しかし、私は魔法端末をキーボードが火を噴くような速さで叩き、宮殿の全システムを「最適化」モードへ移行させた。
「エギス! 相手を『敵』と見なすから勝てないのです。……あれを『膨大な未分類データ』として定義。……属性ごとに、細かく分類しなさい!」
『――了解。……フィルタリング開始。……執着、八%。……嫉妬、十五%。……残りの七十七%は……「締め切り直前に逃げ出したくなる衝動」と判定』
「……やはり。……なんて不真面目なエネルギーなの。……よし、ユリウス様! その剣で、相手の『分類タグ』が剥がれた箇所をピンポイントで突いてください!」
「了解した! リシア殿の指示通りに……ハァッ!」
ユリウス様が光の矢となって飛び出した。
巨大な影の腕が、ユリウス様の剣筋に触れた瞬間、そこだけが「整理済み」の白い光に変わって霧散していく。
「レオン王子! 貴方は『極光』を照射して、相手のデータの解像度を上げてください! 輪郭がボケているせいで、削除プログラムが通りにくい!」
「お安い御用だ! ……さあ、目立つのが好きな王子様を、もっと明るく照らしてやろうじゃないか!」
レオン王子の放つ眩い光が、巨大な影を炙り出す。
影は苦しげに悶え、さらに禍々しい紫色の稲妻を宮殿へと放ってきた。
『……ムリダ……。……ニンゲンハ……。……カタヅケ……ラレナイ……。……コンランコソガ……セカイノ……ホンシツ……!』
「……いいえ、違いますわ。……混乱とは、単に整理整頓の『段取り』をサボった言い訳に過ぎません」
私は、管理者の紋章を天空へ向けて掲げた。
可動宮殿から放たれた無数の光の糸――それは今、巨大な「シュレッダー」の刃へと変貌する。
「……私の母は言いました。……『この世に無意味なものなどない。ただ、置き場所が間違っているだけだ』と。……貴方も同じ。……貴方は悪でも、呪いでもありません。……ただ、行き場を失った『やるべき事』の集まり。……なら、私がそのすべてに、適切な『置き場所』を与えて差し上げましょう!」
私の指が、最後の一鍵を叩き込んだ。
「全自動・ファイリング・バースト、起動!!」
――ズドォォォォォン!!
宮殿から放たれたのは、熱線でも衝撃波でもない。
それは、宇宙そのものを一枚の巨大な「整理棚」に変えるほどの、圧倒的な秩序の波動。
巨大な影のセドリックは、その光に包まれた瞬間、叫び声を上げる暇もなく分解されていった。
暴力的な怨念は、微細な「純粋魔力」へとフィルタリングされ。
汚い言葉は、無機質な「歴史ログ」へと変換され。
残された負の感情は、すべて私の宮殿の「予備電源」へと、きれいにパッキングされて収まっていった。
数分後。
宇宙空間には、先ほどまでの禍々しい影など微塵も残っていなかった。
あるのは、星々の光を反射してキラキラと輝く、清浄な魔力の粒子だけ。
『――クリーンアップ完了。……貯蔵タンク内、全ての「淀み」を資源化に成功。……宮殿のエネルギー充足率、六百%を突破しました。……世界が、かつてないほど「清潔」な数値を示しています』
「……ふぅ。……これでようやく、窓の外が見えるようになりましたね」
私は、浮かんでいたお気に入りの万年筆を胸ポケットにしまい、額の汗を拭った。
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「……リシア殿。貴女は今、人類が数千年以上抱えてきた『業』を、一瞬で片付けてしまいましたね」
ユリウス様が、宇宙の塵を払うように剣を鞘に納め、畏敬の念を込めて私を見つめる。
「……リシア。君は『整理整頓』と言ったが。……今のは、神話にある『救済』そのものだぞ。……まあ、君がそれを事務処理と呼び続けるなら、私はその事務に一生ついていくまでだが」
レオン王子も、呆れたように、けれど愛おしそうに肩をすくめた。
窓の外では、地上の雲が晴れ、世界中の人々が「空がきれいになった!」と歓喜の声を上げているのが見えるようだった。
だが。
すべてのゴミを消し去ったその中心で、私の魔法端末に一つの「最終通知」が届いた。
『――おめでとうございます。……全大陸および大気圏の環境負荷を「ゼロ」にしました。……これをもって、リシア様。貴女をこの星の「真の管理者」――すなわち、新しき神として登録します』
「……神?」
私の前に、宮殿のメインフレームから黄金の光の輪が降りてきた。
これを受け取れば、私は不老不死の存在となり、永遠にこの星を管理し続ける「神の座」に就くことになる。
ユリウス様が息を呑み、レオン王子が固唾を呑んで私を見守る。
しかし。
私は、その黄金の光を一瞥し、即座に「×」ボタンを押して拒絶した。
「……リシア殿!? なぜ拒否を!」
「……管理者になどなりません。私は事務官ですから」
私は、窓の外の青い地球を愛おしそうに見つめて言った。
「……神様なんて、休みもなさそうですし、責任だけ重くて誰にも相談できないなんて、非効率の極みです。……私は、自分の手が届く範囲の不便を、ユリウス様やレオン王子、ミレーヌやガストンさんたちと一緒に、喧嘩しながら片付けていく……。そんな、不完全で騒がしい日常の『段取り』が大好きなんです」
黄金の光は、私のあまりの「やる気のなさ」に戸惑うように揺れ、やがて粒子となって霧散していった。
「……さて。……エギス、地球へ戻りましょう。……あ、ハネムーンの……いえ、次の拠点の設計図、修正しておきました。……これからは、神様にお願いするのではなく、私たちで世界を運営する番です!」
可動宮殿が、輝く尾を引いて大気圏へと再突入する。
世界の淀みを片付けた事務官。
彼女のペンが次に描くのは、神の不在を寂しがらせないほどの、完璧で幸福な「日常のスケジュール」だった。




