第19話 新大陸の使節、効率に腰を抜かす
カナン自由行政区の港。
水平線の向こうから現れたその巨体は、これまでの「船」という概念を根底から覆すものだった。
鋼鉄の装甲を纏い、巨大な煙突からは魔力を帯びた黒煙が吐き出されている。風に頼らず、水の魔力で巨大な外輪を回して進むその姿は、まるで海を渡る鉄の要塞だ。
「……ほう。帝国の戦艦とも、旧王国の商船とも違う。あれが新大陸の技術か」
ユリウス様が、バルコニーの手すりを掴みながら鋭い眼光を向ける。その隣では、レオン王子が「帝国の魔導技師たちが泣いて喜びそうな設計だな」と、好奇心に満ちた笑みを浮かべていた。
しかし、私の注目は別のところにあった。
「……ユリウス様。あの船、入港角度が三度ズレています。あのアプローチだと、接岸までに余計な旋回が必要になり、燃料が五パーセント無駄になりますね」
「リシア殿、初手からそこですか」
「段取りの悪さは、私の平穏な午後の敵ですから」
私は手元の魔法端末を叩き、管理AIエギスに接続した。
「エギス。あの船の誘導を。カナン標準の『爆速自動着岸システム』のガイドラインを送信して。……あ、ついでに煙突の排煙。環境基準に抵触していますので、浄化フィルターの設置を勧告してちょうだい」
『了解しました。……ガイドライン送信完了。……相手船より返信。「我が国の流儀を侮辱するな、自力で接岸する」とのことです』
モニター越しに、新大陸の船の甲板で、仰々しい礼服に身を包んだ男たちが大声を上げているのが見えた。
彼らは複雑な手旗信号と、人力による巨大な舵取りを開始した。
一時間後。
ようやく、本当にようやく、その巨大船はカナン第一港への接岸を完了した。
私はストップウォッチを止め、深く溜息をつく。
「……着岸までに五十八分。エギスの誘導に従えば三分で済んだはずなのに。やれやれ。この五十五分で、どれだけの事務処理が片付いたことか……」
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船のタラップがゆっくりと降りてきた。
そこから現れたのは、金糸の刺繍がこれでもかと施された真っ赤なコートを纏い、三角帽子を被った髭面の男だ。
新大陸の特使、ボルドー閣下。
彼は数十人の従者を引き連れ、石畳を闊歩して私の前に立った。
そして、おもむろに巨大な巻物を取り出し、高らかに読み上げ始めた。
「日の沈まぬ黄金の新大陸、大太陽帝国が皇帝の名において、この辺境の地の主へ告げる! 我が国の威光を――」
「あ、すみません。その口上、あと何分続きます?」
私が魔法端末を操作しながら尋ねると、ボルドー閣下は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。
「……は? い、今のはまだ序文だ! これより皇帝の系譜を遡り、建国の歴史を四十分かけて語った後、正式な名刺交換に入るのが我が国の――」
「四十分!? 却下です。そんな暇があるなら、入国審査を済ませてください。はい、一列に並んで。エギス、バイオメトリクス認証開始」
『承認しました。……入国希望者一名、スキャン完了。……前科なし。……伝染病なし。……事務処理能力:極めて低。……入国を許可します』
ボルドー閣下の目の前で、透明な魔導障壁がシュンと消えた。
閣下は、まだ巻物を広げたまま、呆然と立ち尽くしている。
「……な、なんだ。今の光の雨は。儀礼は? 歓迎の舞は? 名産品の献上式はどこへ行ったのだ!」
「そんな非効率な儀式、カナンのスケジュールには入っていません。……閣下。貴方のその巻物一ページ分の情報は、このQRコード一つに集約されています。スマホ……いえ、魔導端末をお持ちですか? なければ、今すぐそこにある自動発行機でカナン・パスを作ってください」
私は、ゲートの横に設置された二十四時間稼働の「自動入管システム」を指差した。
そこでは、他の乗組員たちが次々と端末をかざし、一秒で審査を終えて街へとなだれ込んでいた。
「バ、バカな……。我が国では、入国手続きには最低でも三日かかるのだぞ! 七つの部署でハンコをもらい、最後に大臣の承認を――」
「三日!? 三日もあれば、私なら隣国を二つ併合して経済特区に作り変えられます」
私は、ボルドー閣下を置いてけぼりにして、彼が乗ってきた巨大船へと歩き出した。
目的は、表敬訪問ではない。……積載効率の確認だ。
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「……これは、ひどい。ひどすぎます」
船倉に足を踏み入れた瞬間、私の「段取り魂」が激しい拒否反応を示した。
巨大な空間の半分が、スカスカの状態で放置されている。樽は乱雑に置かれ、隙間には正体不明の藁が詰め込まれていた。
「閣下。この船、最大積載量の三割しか使っていませんね? このデッドスペース。これを活用すれば、あと三千人分の食料が運べますし、帰りにカナンの特産品を山積みにして帰ってもお釣りが来ます」
「な……! これは『威厳』のための空間だ! 隙間なく物を詰めるなど、労働階級のすること――」
「その『威厳』のせいで、海の上でどれだけの機会損失が生まれているか、数字で見てみますか?」
私は空中に、この船がいかに「非効率の塊」であるかを、真っ赤なグラフで投影した。
運搬コスト。燃料の浪費。腐敗した食料の廃棄率。
表示される数値が上がるにつれ、ボルドー閣下の顔が、彼のコートと同じくらい真っ赤、いや、青白くなっていった。
「ぐ……ぬう……。そ、そんな馬鹿な。我が国の輸送技術は世界一のはず……」
「それは『世界一、リシアの段取りを知らなかった』だけです。……エギス、この船の積み荷を最適化するシミュレーションを。……あと、港のクレーンを三基動員して、三十分で積み直しを完了させなさい」
『了解。……最適化プラン、実行。……パズルモード、開始』
カナンの魔導重機たちが、一斉に動き出した。
魔法の糸が樽を掴み、寸分の狂いもなくテトリスのように隙間を埋めていく。
三十分後。
さっきまでスカスカだった船倉には、新大陸の荷物が完璧に整頓され、余ったスペースには「お土産」としてのカナン製・保存食セットがギッシリと詰め込まれていた。
「……嘘だ。船の重心が、かつてないほど安定している」
船長とおぼしき男が、手すりを握って震えていた。
ボルドー閣下は、もはや巻物を抱えたまま、その場に土下座せんばかりの勢いで跪いた。
「……申し訳ございませんでした! 我々は……我々は、時間を、人生を、あまりに無駄にしてきた! リシア殿! どうか……我が皇帝にも、その『お片付け』を教えてはいただけないだろうか!」
「仕事としてなら、検討します。……ああ、でも、まずはこの書類にサインを。……あ、ペンは返してくださいね、備品ですから」
私は、圧倒的な効率で一国の使節を屈服させ、次のタスクへと意識を向けた。
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一段落し、夕焼けが港を染める頃。
私はボルドー閣下が「貢ぎ物」として持ってきた箱の中に、奇妙な石を見つけた。
「……ユリウス様。これ、新大陸の特産品だそうですが」
それは、鈍い輝きを放つ黒い石。
私が手に持つと、愛用している魔導コンパスの針が、狂ったように回転を始めた。
「コンパスが……? 磁場を狂わせているのか?」
「いいえ。……これ、磁場じゃありません。……魔力の『向き』そのものを捻じ曲げています。……レオン王子、貴方の帝国の魔導回路にも影響が出ているのでは?」
レオン王子が、顔を近づけてその石を覗き込む。
「……本当だ。僕の端末のバッテリーが、逆に増えていっている。……なんだ、この非合理的なエネルギーは」
私は、石を見つめ、新大陸の方角を睨んだ。
この「物理法則をバグらせる石」。
新大陸がこれほどの巨船を作れた理由も、そして、彼らが「非効率な儀礼」に固執していた理由も、案外このあたりにあるのかもしれない。
「……エギス、新大陸の座標を再度スキャンして。……なんだか、私の段取りでは解決できない『大きなバグ』の匂いがしますね」
『了解しました。……現在スキャン中。……異常検知。……新大陸の中央部、魔力反応が「マイナス」を示しています』
魔力が、マイナス?
事務処理の極地を行く私にとって、負の数値はもっとも嫌いなイレギュラーだ。
「……いいでしょう。新大陸の皆様。……貴方たちの国の『バグ』、私が順番に、完璧に、修正して差し上げます」
私は不敵に微笑み、新しい手帳に「新大陸のデバッグ」と書き込んだ。
次回、新大陸の「王」は、感情を持たない「魔導人形」だった?




