第16話 宮殿、第二形態。その名は――
「エギス! 今すぐその眩しいエフェクトを切りなさい! これはお祭りであって、神臨の儀式じゃありませんよ!」
私は激しく揺れるバルコニーの手すりを掴みながら、虚空に向かって絶叫した。
視界の端では、魔法端末のコンソールが「処理能力不足」を訴えて真っ赤な警告を出し続けている。
夜空に浮かぶ我が『第一総合行政センター(旧王宮)』は、今や物理法則を無視して膨張を始めていた。
白亜の城壁は、内側からせり出してきた黒銀の魔導装甲に覆われ、四隅の尖塔は巨大な重力制御ユニットへと変形していく。
さらには宮殿の下部から、雲を切り裂くような巨大な「光の翼」が四対も展開されていた。
『――否定。リシア様、これは虚飾ではありません。「権威」とは、知的生命体が効率的に命令を受諾するためのインターフェースプロトコルです。現在、全大陸の指導者が一堂に会したことで、システムは「世界管理モード」への移行が最適であると判断しました』
「勝手に私の意志を翻訳しないで! 私はただの事務官です! 世界を管理なんてしたくありません!」
『――補足。現在の出力であれば、大陸全土の確定申告を一秒で完遂可能です』
「……それは魅力的ですけど、限度があります!」
私がAIと不毛な議論を戦わせている間にも、地上の夜会会場は地獄絵図と化していた。
数千人の王侯貴族たちが、空を覆い尽くさんばかりの巨大な要塞へと変貌した宮殿を見上げ、腰を抜かしている。
ある者は祈りを捧げ、ある者は失禁し、ある者は「やはりリシア様は女神の化身だったのだ!」とあらぬ方向へ確信を深めていた。
「リシア、これは……流石にやりすぎではないか? 我が帝国の最新鋭戦艦が、まるで豆粒に見えるぞ」
レオン王子が、頬を引き攣らせながら私に問いかける。
彼の背後では、帝国の文官たちが「あんなものに勝てるわけがない」「今日からカナンを宗主国と呼ぼう」と、勝手に降伏の段取りを始めていた。
「私のせいじゃありません! ……あ、ユリウス様」
「リシア殿、落ち着いてください。……いいでしょう、この『目立ちすぎる光り物』は私が斬って捨て……るわけにもいきませんね。……よし、騎士団全員! 今すぐ布を持ってこい! あの光っている部分を全部隠すんだ!」
「無理ですよユリウス様! あの翼、一つが街一つ分くらいの大きさがあるんですから!」
私が頭を抱えた、その時。
宮殿の中央、最も巨大な時計塔の文字盤が回転し、巨大なレンズ状の構造体が姿を現した。
それは、攻撃魔法の砲身ではない。
『――「真実の眼」起動。全大陸の行政データをスキャンします。不備、汚職、非効率、および書類の書き損じを検知。……これより、物理的な「修正」を開始します』
「待ちなさいエギス! 何を撃つ気ですか!?」
『――回答。自動修正用・追尾式魔導ペンです。不備のある役所の机の上に、正解の書類を直接転送します』
「……それは、まあ、便利そうですけど……」
凄まじい放電現象とともに、宮殿から数万発の「光の矢」が四方八方へと射出された。
それらは夜空を横切り、各国の首都へと飛んでいく。
明日、大陸中の役人が、自分たちの机の上に「真っ赤な修正液」で埋め尽くされた絶望的な量の引継ぎ資料を見つけて発狂することになるだろう。
地上の王たちは、自分たちの秘密が暴かれるのではないかと戦々恐々としている。
そんな中、一人の老人が、震える足で私の前に進み出た。
「お……おおお……。これは、古代の文献にある『世界を調停する箱舟』……。リシア様、やはり貴女こそが、混迷するこの大陸を導く管理者……!」
ヴィクトリア王国の老王が、感極まった様子で私に跪こうとする。
だが、その瞬間。
――ガガガガッ!
宮殿の外部装甲に、何かが激突する鈍い音が響いた。
変形直後の不安定なシールドを突き破り、黒い霧のような影がバルコニーに降り立つ。
「……見つけたぞ、リシア。そして、私の王宮を奪った泥棒猫め」
そこに立っていたのは、禍々しい紫色のオーラを全身から噴き出させた、異形の姿。
セドリック王子だった。
かつての端正な顔立ちは醜く歪み、瞳は血のように赤い。その手には、旧王国の禁忌庫から持ち出したとされる『魔獣の心臓』が握られ、彼の肉体と癒着していた。
「セドリック殿下……? その姿、一体どうしたんですか。……あ、不潔ですよ。宮殿の床を汚さないでいただけますか?」
「黙れぇ! 私は王だ! この宮殿も、この力も、すべては私に相応しいものだ! 貴様のような裏方が、なぜこれほどの奇跡を操っている! 許さん……絶対に許さんぞ!」
セドリックが咆哮すると、彼の背後から数十体もの「魔獣」が召喚された。
それらは旧王国の残党たちが、禁断の儀式で人間を異形に変えた成れの果てだ。
「リシア、下がれ! ここからは騎士の仕事だ!」
ユリウス様が即座に剣を抜き、セドリックの前に立ちはだかる。
レオン王子も、手袋を脱ぎ捨てて高密度の魔法陣を展開した。
「やれやれ、夜会の締めくくりにしては、随分と悪趣味な余興だな。リシア、君は宮殿の制御を。この不潔な害獣どもは、私たちが片付けよう」
「お願いします、お二人とも。……エギス、急ぎの仕事です。戦闘モードへ移行。ただし、迎撃は『最低限』に。……周囲の王族たちに怪我をさせたら、後の始末書が何枚になるか分かりませんからね!」
『――了解。防衛レベル、レベル一「害虫駆除モード」で対応します』
宮殿が放つ黄金の光と、セドリックが撒き散らす紫の闇が激突する。
その光景は、歴史書に刻まれる「聖戦」のようであったが、私の脳内では、壊れたバルコニーの修繕費用と、宿泊客への慰謝料の計算が、火花を散らして回転していた。
「まったく、セドリック殿下! 貴方は追放された後まで、私のスケジュールを圧迫する気ですか! その非効率な恨み言、今すぐシュレッダーにかけて差し上げます!」
要塞化した宮殿の上で、事務官リシアの「最後のお掃除」が、幕を開けた。




