第1話:「俺より目立つな」が、王国の終わりの始まりでした
豪華絢爛なシャンデリアが、まばゆい光を大理石の床に投げかけている。
グラン・ゼニス王国の建国記念祭。それは一年に一度、この国がもっとも「金と見栄」を浪費する狂乱の宴だ。
会場に漂うのは、最高級のローストビーフの香りと、熟成されたヴィンテージワインの芳香。そして、着飾った貴族たちの虚栄心に満ちた笑い声。
そんな華やかな光景の「裏」で、私――リシアは、目にも止まらぬ速さで手元の魔法端末(タブレット型の魔道具)を操作していた。
「……よし。第六テーブルの公爵閣下、玉ねぎ嫌いを忘れてたみたいだけど、厨房へは連絡済み。予備のソースはノン・オニオンで準備完了。あと、第三騎士団の新人くん、緊張で剣の帯が緩んでるわね。後でこっそり直してあげなきゃ。それから……」
私の脳内は、常に数千件のタスクで埋め尽くされている。
元・平民。現・王宮広報兼、式典調整役兼、……要するに「なんでも屋」だ。
正直、激務すぎて目元のクマが魔法で隠しきれているかだけが、今の私の最大の懸念事項だった。
「リシア。……リシア!」
低く、どこか芝居がかった声が私の思考を遮った。
顔を上げれば、そこにはまばゆい金髪をなびかせ、これでもかと勲章をぶら下げた「歩く宝石箱」のような男が立っていた。
この国の第一王子、セドリック殿下。私の(自称)雇用主である。
「お呼びでしょうか、殿下。お召し物が少し右に傾いております。お直ししましょうか?」
「そんなことはどうでもいい! 先ほどから聞いていれば……なんなのだ、あの民衆の声は!」
殿下が忌々しげに窓の外を指さす。
バルコニーの下では、大勢の領民たちが祝祭を楽しんでいた。彼らの口から漏れるのは、第一王子の武勇伝……ではなく。
『リシア様ー! 去年の減税措置、ありがとうございましたー!』
『リシア様のおかげで、うちの息子の就職先が決まりました! 女神様ー!』
『リシア様、今日もお綺麗ですー!』
……あちゃあ。
私はそっと目を逸らした。
私はただ、適材適所で人を動かし、滞っていた行政の目詰まりを解消しただけなのだが、どうやら民衆には「慈悲深い聖女」か何かに見えているらしい。
「殿下、あれは単なる冗談というか、その、掛け声的なものでして……」
「黙れ! 私はこの国の太陽。お前は、その影でこっそりと私の靴でも磨いていればいいのだ。それなのに、どいつもこいつも『リシア』『リシア』と……! お前が目立つたびに、私のカリスマ性が削られているのが分からないのか!」
いや、削られるってそもそもカリスマではないような……?
なんて口が裂けても言えない。
殿下は顔を真っ赤にして、会場中の注目を集めるような大声で言い放った。
「リシア! 貴様を本日、この瞬間をもって王宮から追放する! 二度と私の視界に入るな! その目立ちすぎる不遜な態度、辺境の泥の中で反省するがいい!」
静寂。
音楽が止まり、踊っていた貴族たちが凍りつく。
私は状況を素早く把握した。脳が最適な発言内容を即座に選択し、舌が滑らかに動く。
「承知いたしました、殿下。追放、確かに拝命いたしました」
「ふん、泣いて縋っても遅いぞ。今すぐ荷物をまとめて出ていけ!」
「はい、ただちに。あ、ちなみに引き継ぎの件ですが――」
「不要だ! 貴様のやっていた仕事など、私の有能な側近たちが数分で終わらせてみせるわ!」
その言葉を聞いた瞬間。
私の背後で「ピキッ」という、何かがひび割れるような音が聞こえた。
それは氷が割れる音ではなく、誰かの理性の糸が切れる音だった。
「……今、なんと仰いましたか? 殿下」
低く、地を這うような声。
現れたのは、近衛騎士団副団長のユリウス様だ。
彫刻のような美貌に、鉄のような規律を纏った彼だが、今はその瞳に暗い炎が灯っている。
「ユリウスか。いや、こいつがな、あまりに目立ちすぎて――」
「リシア殿がいなければ、今年の騎士団の予算編成はどうなるのですか? 昨日の夜、彼女が徹夜で書き上げた兵站の最適化案は? そもそも、先ほど貴方が飲んだワインの温度管理まで、彼女が指示を出していたことをご存知か?」
「な、何を……そんなの雑用だろう!」
ユリウス様は、静かに自分の胸にある騎士団の紋章を外した。
そして、それを床に置かれたリシアの荷物(といっても魔法端末一台だが)の横に、そっと置く。
「……リシア殿。荷物をまとめるのをお手伝いします」
「え、えーと、ユリウス様?」
「貴女が行く場所が辺境だというのなら、そこが私の守るべき聖域です。騎士団副団長の座など、貴女の笑顔を守るためなら砂粒ほどの価値もありません」
「あの、ユリウス様。あなたの有給休暇、まだ40日も残っています。まずはその消化を……」
私の声をかき消すように、騎士団の紋章が次々と床に投げ捨てられる。
「お供します、副団長!」「おれも!」「ぼくもです!」「なんなら騎士団ごと!!」
混乱する私をよそに、第二の刺客(?)が現れた。
王宮会計官のミレーヌさん。眼鏡の奥の瞳が、完全に「計算不能」な数値を見た時のそれになっている。
「殿下。失礼ながら、リシア様が管理していた『帳簿外の信頼資産』および『各省庁間のネゴシエーション機能』が失われた場合、当王宮の事務機能は……そうですね。三日以内に停止。十四日以内に破綻。三十日後には国が滅びます」
「そんな大袈裟な!」
「大袈裟ではありません。なぜなら私も辞めるからです。リシア様がいない職場で数字を合わせるなんて、不毛すぎて死にたくなりますから。……あ、リシア様、次の職場の経理はぜひ私にお任せを。百億ゴールドまでなら誤差なく回せます」
「ワタシも生きます」「私も連れて行ってください」「俺達がいれば千兆ゴールドだってお手の物ですよ!」
他の会計官たちも、ペンを投げ捨て、腕カバーを床に叩きつけて、ミレーヌさんに続いた。
さらに、厨房の奥から巨大な包丁を振り回しながら、料理長のガストンさんが飛び出してきた。
「リシアの嬢ちゃんが行くんなら、俺も行くぜ! 殿下の偏食に付き合うのはもう飽き飽きだ! 嬢ちゃんの作った『全職員が元気になれる献立表』がねぇキッチンなんて、ただの火葬場だ!」
その場にいた給仕たち、庭師、さらには洗濯係のメイドたちまでが、次々とエプロンを脱ぎ、箒を置き、一箇所に集まり始めた。
その中心は、なんと私だ。
「ちょ、ちょっと待ってください皆さん! これは私個人の『追放』であって、皆さんの『集団離職』ではありません!皆さんには皆さんの仕事が……」
「リシア様。貴女はまだ分かっていないのですか?」
ユリウス様が私の手を取り、跪く。
「この王宮が王宮として機能していたのは、建物が立派だからでも、王族がいるからでもない。貴女の気遣いが、間を埋める配慮が、貴女という『心臓』が、すべてを繋いでいたからです。貴女が出て行くなら、ここにあるのはただの空っぽの石塊です」
気がつけば、私の後ろには数千人の職員たちが、まるで軍隊のような整列で並んでいた。
彼らの目は一様に、「リシア様についていけば間違いない」という狂信的なまでに真っ直ぐな信頼に満ちている。
「な……ななな、なんだこれは! 反乱か! クーデターか!」
セドリック殿下がガクガクと膝を震わせる。
私は深いため息をついた。
目立たないように、裏方として必死に回してきたつもりだったのに。
他の人がしない仕事、役割から漏れ落ちたタスクを拾ってこなしてきただけなのに。
それが裏目に出てしまったのだ。
どうやら私の「段取り」が過ぎて、気づかないうちに国家機能の枢要を支えるハブとして機能してしまっていたらしい。
「殿下、ご安心ください。反乱ではありません。ただの……そうですね、引っ越しです」
「ひ、引っ越し……?」
「はい。私が追放されるので、私の所有物(スキル・人脈・信頼)も一緒に移動するだけのこと。……皆さん、準備はいいですか?」
『『『おおおー!!』』』
地響きのような返事が王宮を揺らした。
「セドリック殿下、今までありがとうございました。貴方の『俺より目立つな』というお言葉、重く受け止めます。ですから――見えなくなるまで、遠くへ消えますね」
私は優雅にスカートの裾を持ち上げ、完璧なカーテシーを披露した。
***
翌朝。
王宮からすべての「有能な人間」と「物流の知識」と「美味しいご飯」その他諸々が消え去った。
残されたのは、掃除の仕方も知らない王族と、空の貯蔵庫、そして「どうしてこうなった」と頭を抱えるセドリック殿下だけだったという。
一方、私はというと。
辺境へ向かう馬車の行列(全長数キロメートル)の先頭で、のんびりと地図を広げていた。
「リシア様、次の拠点の設計図、これでよろしいでしょうか?」
「あ、ミレーヌさん。そこは噴水じゃなくて、物流センターを先に作りましょう。あとユリウス様、騎士団の詰め所は私の執務室の隣に……って、近すぎませんか?」
「いえ、防犯上の都合です(即答)」
……どうやら、引っ越し先でも「目立たず平穏に」過ごすのは、ちょっと難しそうである。




