第9章:悪意の棘と、絆の盾
王太子アルフォンスをきっぱりと拒絶した話は、どこからか漏れ、王都の社交界に新たなゴシップとして広まった。「追放された悪役令嬢が王太子を振った」という事実は、多くの人々の興味を掻き立てた。
その中で、最も激しい嫉妬の炎を燃やしたのが、アルフォンスの新たな寵愛を受けていたマリア嬢――ではなく、彼女を取り巻く一部の貴族たちだった。彼らはマリアを旗印に権力を握ろうとしていたが、アルフォンスが私に未練を見せ始めたことで、その計画が頓挫しかけていたのだ。
焦った彼らは、私の評判を貶めるために、卑劣な手段に打って出た。
「エインズワース侯爵令嬢は、追放される前から素行に問題があった」
「男を誑かして、貴族社会の秩序を乱そうとしていた悪女だ」
「彼女の菓子には、人を惑わす薬でも入っているに違いない」
根も葉もない噂が、まるで真実であるかのように流布され始めた。それは、かつて私を“悪役令嬢”に仕立て上げた時と同じ、陰湿な誹謗中傷だった。一度貼られたレッテルは、簡単には剥がれない。民衆の中には、その噂を信じ始める者も現れた。
「セシリアさん……」
リゼが心配そうに私の顔を覗き込む。店の売り上げにも、少しずつ影響が出始めていた。
しかし、今回は一人ではなかった。
最初に声を上げたのは、意外にも、王都製菓組合の職人たちだった。かつて私を敵視していた彼らだが、試食会で私の菓子作りの哲学に触れ、今では良きライバルとして、また弟子として私を慕ってくれていた。
「馬鹿なことを言うな!セシリア殿の菓子に、そんなインチキは一切ない!あるのは、弛まぬ努力と、素材への愛情だけだ!」
彼らは自分たちの店で、噂を真っ向から否定してくれた。
次に動いたのは、支援者であるエリオットだった。彼は持ち前の情報網を駆使して、噂の発信源がマリア嬢の取り巻き貴族であることを突き止め、その証拠を固め始めた。
そして、何よりも私の心を温かくしたのは、名もなき人々からの声援だった。
「ル・セシルのタルトを食べて、病気の母が元気を取り戻したんだ!あれが悪意のある菓子のはずがない!」
「夫を亡くして塞ぎ込んでいた時、私を救ってくれたのはセシリアさんのお菓子だったわ」
店の前には、いつしか私を支持する人々が集まっていた。その中には、はるばるベルフェリア村から駆けつけてくれた村長たちの姿もあった。
「セシリアさんは、俺たちの恩人だ。希望をくれた人だ。あんな嘘、誰が信じるものか!」
村人や、かつての客たちが、口々に私の無実を叫び、私がいかに真摯に菓子と向き合ってきたかを証言してくれた。彼らの声は、悪意の噂を打ち消す大きな波となった。
「彼女は、私たちの人生を甘くしてくれた人だ」
その言葉が、私の胸に深く突き刺さった。
私は、もう“悪役令嬢”ではなかった。追放され、孤独だった私に、いつの間にかこんなにも多くの、温かい絆が生まれていた。この絆こそが、どんな悪意の棘からも私を守ってくれる、最強の盾だった。
私は店の前に立ち、集まってくれた人々に深く頭を下げた。
「ありがとうございます。私は、皆さんのために、これからも最高のお菓子を焼き続けます」
私の声は、もう震えていなかった。




