第10章:国王陛下と、万人のための一口
王太子の一件と、それに続くスキャンダル騒動は、ついに国王陛下の耳にまで届くことになった。聡明で知られる現国王は、息子アルフォンスの未熟さと、貴族たちの浅はかな権力争いに眉をひそめ、事の真相を見極めようとしていた。
そして、騒動の中心にいる私の菓子、「ル・セシル」のチョコレートタルトに強い興味を抱いたという。
ある日、王城から一人の使者が店を訪れた。
「国王陛下が、菓子職人セシリア・エインズワースとの謁見を望んでおられる。自慢の菓子を持参の上、登城されたし」
それは、拒否することのできない命令だった。
再び王城の土を踏むことになるとは、思ってもみなかった。かつて追放された場所へ、今度は菓子職人として招かれる。運命の皮肉を感じずにはいられなかった。
カイとリゼが心配そうに見送る中、私はエリオットに付き添われ、たった一つのチョコレートタルトを手に、王城へと向かった。
謁見の間で待っていたのは、厳格な顔つきの中にも、深い理知を感じさせる壮年の男性――この国の頂点に立つ、国王陛下その人だった。傍らには、アルフォンスが気まずそうな顔で控えている。
「お前が、セシリアか。噂の菓子、見せてもらおう」
私は恭しくタルトを献上した。侍従がそれを切り分け、国王の前に差し出す。国王は、しばしタルトを観察した後、静かに一口、口に運んだ。
咀嚼する間、謁見の間は静寂に包まれた。やがて、国王はゆっくりと頷いた。
「……なるほど。これは、確かに……」
その表情は、試食会の時の料理長と同じように、驚きと感動に彩られていた。
「息子の未熟さゆえ、お前には辛い思いをさせた。まことに、すまなかった」
国王は、私に対して深く頭を下げた。一国の王が、追放した令嬢に。アルフォンスは息を呑み、周囲の者たちも驚愕している。
「陛下、お顔をお上げください。過ぎたことでございます」
「うむ。ところでセシリアよ。お前は、これほどの腕を持ちながら、なぜ王都の中心ではなく、あのような場所に店を構えたのだ?望めば、王族御用達の菓子職人として、富も名声も思いのままだったはずだ」
国王の問いに、私は迷わず答えた。
「私が作りたいのは、王侯貴族の方々だけが楽しむためのお菓子ではございません」
私は顔を上げ、まっすぐに国王を見つめた。
「私が目指すのは、身分や貧富に関係なく、この国に生きるすべての民が、人生の節目や、何でもない一日に、幸せな気持ちで味わえる菓子です。悲しい日には心を癒し、嬉しい日には喜びを分かち合う、そんな一口を届けたいのです」
それは、辺境の村ベルフェリアで、一人の菓子職人として再出発した時に見つけた、私の偽らざる夢だった。
私の言葉を聞いた国王は、満足そうに大きく頷いた。
「見事だ。それこそが、真の職人魂というものだろう。富や名声よりも、民の幸せを願う。その志、実に天晴れである」
国王は高らかに宣言した。
「菓子工房『ル・セシル』を、この国が認定する『王室御用達』ならぬ、『国民御用達』の菓子工房として、公に認める!国を挙げて、その活動を支援することを約束しよう!」
それは、前代未聞の勅令だった。王侯貴族のためではなく、民のために国が認める菓子工房。私のささやかな夢が、国家事業として認められた瞬間だった。
アルフォンスは、ただ呆然と私を見つめていた。彼が手放したものが、どれほど大きな価値を持っていたのかを、今、この場所で思い知ったに違いなかった。




