第1章その1
「好きだ。付き合ってくれ。」
「嫌。今年もそれ続けるの?」
俺の告白に全く表情を変えないまま、柔らかな口調で拒絶の意を示す。だが、俺は落ち込みなどしないのだ。
「もちろん。今年も同じクラスだからな。これで3年連続だ。運命だと思わないか?」
「思わない。確率は216分の1、それだけの話よ。もし運命だとするなら、私は神と戦う覚悟をするわ。」
「運命からは逃れられないらしいぞ」
「逃げないわよ。返り討ちにしてやるって言ってるの。負けたときには、潔く腹を切るわ。」
「そこまでするか?」
「出来ることはなんでもやる。そろそろホームルームが始まる時間よ。ハウス」
「わんっ」
登校してからホームルームまでの短い時間、今年も運命によって3年6組で共に過ごすことになった、相沢香織に告白をする。高校生活もあと1年しか残されていない。今年こそは、首を縦に振ってもらいたいものだ。
入学してから今まで、毎日懲りずに続けたところ、俺と香織の間では、おはようの挨拶と同義語になっている。ちなみに百から先は数えてないが、全戦全敗だ。
香織とはとても仲が良く、手料理を振る舞って貰ったり、一緒に旅行へ行ったこともある。
調理実習と修学旅行のことだ。
学校行事万歳。
「やぁ、生徒会長様。今年も相変わらず不振のようだな。たまにはパターンを変えたらどうだ?マンネリはよくないぞ」
席に戻ると、俺の親友を称する加藤晶が俺を迎えた。去年から同じクラスで、付き合いは古くないが、不思議と席が近くなってしまう面倒なやつだ。
「俺は変わらない思いを伝えているんだ。とってつけたように美辞麗句をならべたりするのは、俺のポリシーに反する」
晶の呼び名からもわかるように、俺こと立木広和は頭脳明晰、容姿端麗、品行方正を自負する、我が高松学園の生徒会長なのだ。
「今年は生徒会に部員が来るといいな。そしたらお前なんか、すぐにでも生徒会長を下ろされるのにな」
見下すように笑いかける晶の後頭部に軽く拳骨を落とす。上手く加減できたかわからないが。
実際のところ生徒会長といっても、人数不足により消滅寸前の生徒会執行部のたった一人の部員であるため必然的に与えられた役職にすぎないのだ。兼任で会計、書記の役職も与えられている。
当然崖っぷちの生徒会執行部に生徒から憧れも、教師と同等の権限もない。校内に知っている人の方が少ない影の組織なのだ。普段は香織と同じく、美術部として活動することが多いため、俺を美術部だと思っているやつのほうが多い。念のため言っておくが香織を追いかけて美術部に入っている訳ではない。美術部へ先に入ったのは俺だ。まぁ正式な部員ではないのだが。
晶はそういうことに目ざとく、校内で唯一俺のことを生徒会長と呼ぶ。
その言葉には皮肉しかこめられていないことは、火を見るより明らかだ。
「うるさい、今年の野球部の予算0にするぞ」
野球部の部長である晶に脅しをかける。こんなやつが部長だなんて。
「どうぞ御自由に、そんな権限お前にあるのか?」
ニヤニヤと口元を緩ませる晶。
「ねぇよ」力なく答える。「あったら野球部はとうの昔に廃部にしてるよ」
無駄話しをしていると、名も知らぬ新担任から注意を受けた。なんてこった。俺の華々しい新生活が黒星スタートだ。
担任の名は、西原文彦。英語の教師で結構適当な性格のようだ。今年度初のホームルームは、必要最低限の時間を費やしたかも分からないほど、あっという間に終了した。
「お疲れっす」
放課後、俺は一度生徒会室へ寄った後、美術室へと足を運んだ。この学園は1号館と2号館に分かれていて各館4建てだ。1号館には、職員室や図書館、美術室など特別教室があり、各クラスの教室は2号館にある。
3年6組は2号館の1階東側、生徒会室は1号館4階西側、そして美術室は1号館1階西側に位置している。何が言いたいかというと、教室、生徒会室、美術室というルートは結構な距離があるということだ。唯一の欠点が体力不足という俺にはつらい配置だ。
さらに、どうでもいいことだが、俺は美術室が嫌いだ。言いづらい、改名を要求する。
「全然疲れてなんてないもん。まだまだこれからだよ。お兄ちゃん今日は生徒会お休みなの?」
いの一番に出迎えてくれたのは、1つ下の後輩で、俺のかわいい妹分の長谷川のぞみだった。のぞみとは近所付き合いが長く、お互い一人っ子だったためか、俺を兄と慕ってくれている。コンタクトレンズをいれることを想像するだけで目が痛くなるような俺だが、のぞみなら目に入れても痛くはないとさえ思える。
「あぁ今日は他の人に任せてある」
今日はというか、ほとんど毎日任せっぱなしだ。押し付けて逃げてきたと言っても、あながち間違いではない。
「あれ?生徒会ってお兄ちゃん一人じゃなかったの?」
「お前には話してなかったか?生徒会は正式な部員は俺一人だが、実はもう一人部員がいるんだ」
いくら俺が完璧超人とはいえ、分身の術は体得していないので、さすがに一人では仕事はこなせない。生徒会には、もう一人俺以上の優秀な人材がいるのだ。しかし、そいつには一つ大きな問題点がある。極度の恥ずかしがり屋ということ。人前で話すことが出来ないどころか、視線を受けると逃げ出す程だ。そのため、副会長という立場ながら、部員ではなく、お手伝いという形で生徒会に所属している。
美術部で遊んでいるなんて知れたら、すぐにでも連れて行かれると思う。
まぁ人見知りしないのぞみと、冷酷な香織が居るおかげで、あいつにとっては美術室の扉もベルリンの壁なみの障害となるだろう、来れるものならきてみろ。
突然、後方で扉を蹴り開けたかのような衝撃音が響いた。前言撤回だ。来るな。
振り返ると、後輩で美術部員の遠藤静がいた。さすが天才、なんて的確な表現だろう。衝撃音の招待は、遠藤が扉を蹴り開けた音だった。早くもベルリンの壁崩壊だ。もちろん歴史的価値は皆無だが。
「こんにちは、シスコン先輩」
なんだ遠藤か、ほっと胸を撫で下ろし、先輩として後輩の間違いを正す。
「立木先輩だ」
「いいえ、シスコン先輩はシスコン先輩です」
全く間を空けず、しっかりと俺の目を見据えて断言する。この妙な呼び名は、昨日今日始まったことではない。1年前から何度も正そうとしているのだが、相変わらず遠藤はこの名で俺を呼ぶ。ロリコン先輩と呼ばれないだけまだましか。
綺麗な花には棘があるというが、遠藤はそんなもんじゃない。サボテンにも綺麗な花が咲く、と言ったところか。どちらにせよ、少なくとも綺麗ではあるのが何か悔しい。
「それと、お前。扉は丁寧に扱え」
「私の前に立ち塞がるものは、鬼でも仏でも薙ぎ倒します。扉も例外ではありませんから。それに、扉を丁寧に扱ってしまうと、シスコン先輩は扉以下の扱いということになりますよ」
両方丁寧に扱うという選択肢はこいつの中にはないのか?
「ちなみにシスコン先輩は、今私の進行方向を塞いでいます」
薙ぎ倒すのか?仮にも先輩を薙ぎ倒すつもりか?
「5…4…3…2…」
カウントダウンが始まり、反論の機会を失った俺は、急いで道を開けた。教室の一番後ろ側の窓際の席がこいつの定位置だ。その右隣では香織が絵を描いている。
絵を描いている最中に話しかけると、香織だけでなく便乗した遠藤にまで罵られるので、しばらくのぞみと遊んでることにする。
「新しいクラスはどうだ?」
話題のない父親のようなことを聞いてみる。
「今年はしぃちゃんと同じクラスだよ」
うれしそうに話しているが、俺なら全力で落ち込めるな。
「お兄ちゃんは、今年もかおりん先輩と同じクラスになれた?」
「あぁ、天はこの俺に味方しているからな」
ガッチリと拳をつくり答える。
「かおりん先輩も毎年大変だね」
香織にチラッと視線を送り、あはっと笑うのぞみ。知ってたんだな。
「香織から聞いたのか?」
「なにを?」とのぞみ
「なにって、俺が毎日香織に告白をしてることだ」
「お兄ちゃんそんなことしてるの?」
どうやら墓穴をほったらしい。別に隠し事じゃないからいいんだがな。でも少し恥ずかしい気もするな。遠藤なんかに聞かれたら、思いつく限りの言葉で非難してくるのではないか。
「そうだお兄ちゃん。のぞみ絵描いたの。見てくれる?」
「あぁ、見せてくれ」
というか、さっきからずっと気になっていた。のぞみの机に広げられているゲルニカ風の絵。今回のは自信作だよと声高らかに言い、どうだと言わんばかりに絵の前に両手を広げる。親切にジャジャーンという効果音まで口にして、俺に謎の作品を見せ付けた。黒く塗り潰されたキャンバスに、白い直線が走っている。描かれているのはおそらく人間と、何頭かの動物。馬か何かだろう。
「前にお兄ちゃんと動物園に行ったでしょ。これがお兄ちゃんで、こっちがキリンさんとダチョウさん」
ゲルニカの模写じゃなかったのか…のぞみは白線の示し、笑いかける。キリンとダチョウは悲痛な叫びをあげ、檻から出せと、必死に訴えかけているようだ。
泣き叫ぶキリンとダチョウの前で満面の笑みを浮かべる俺。俺を描くならもっとかっこよく描くべきだと思う。
のぞみの無邪気な笑顔を前にすると、理解に苦しむなんて口が裂けても言えないな。
「完成」
小さな声を俺は聞き逃さなかった。どうやら香織の絵が完成したようだ。これでやっと話しかけられる。早足で香織の元へ向かう。突然歩きだした俺に、慌ててのぞみがついて来る。
香織の絵はのぞみと違い見ればすぐに何を描いたかわかる。七輪の上で焼かれている2つの白い四角。間違いない、餅だ。だがこれもまた難解だ。何で餅?
「今回のテーマは、絵で言葉を表すこと」
謎の餅を眺める俺に親切にヒントをくれた。こういう優しいところが俺の心を引き付けて離さないってことを分かってないようだな。
つまりこの絵は…
「絵に描いた餅ってことか?」
「正解」
当然だな。香織のことならなんでも分かるさ。
「上手く描けてるな」
「もちろん美味いわよ。当然でしょ」
「お兄ちゃん、のぞみの絵はどうだった?」
のぞみが割って入る。そういえばまだ感想を言ってなかったか。
「あぁ、のぞみも上手だったぞ」
餅の様に膨れ上がる寸前だったのぞみの頭を撫で、なだめる。のぞみを立てれば香織が立たず、今度は香織が面白くないといったような表情に変わる。
「何妬いてんだよ」
「餅」
それは焼いてるものだ。
「絵の話じゃねぇよ」
「絵の話じゃないわ」えっ?「私も、撫で撫でして欲しい」
「でしたら、相沢先輩は私が」
胸をときめかせる暇もなく、たった今まで黙々と絵を描いていた遠藤が立ち上がり、香織の頭を撫でる。念願叶った香織は、たちまち笑顔を浮かべ嬉しそうにしている。かわいい、猫みたい。そうか、誰でもよかったんだな。でも俺でもよかったんだろ。遠藤、お前は俺に何か恨みでもあるのか?
「シスコン先輩に撫でられるのは、あまりに不便だと思いましたので」
「さすが静、良く分かってるじゃない」
酷い、あんまりだ。さすがの俺もちょっと落ち込みそうだ。
「のぞみは、お兄ちゃんに撫で撫でされたら嬉しいよ」
唯一の味方が擁護してくれる。ありがとう妹よ。
「よかった(です)ね。シスコン先輩」
声を揃える仲良し毒舌コンビ。いいんだ、もうシスコンと呼ばれても。