一.見飽きた「祈り」
選考結果のご連絡
To: yukapi0614@xxxmail.com
織口柚香様
この度は多数の企業の中から弊社にご応募いただき、ありがとうございました。
社内で慎重に協議いたしましたところ、誠に残念ではございますが――。
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メールの削除ばかり手慣れてきたのが惨めに思え、ごみ箱ボタンを押す手前で私は一、二秒ほど逡巡した。
「もう、件名だけでわかるようになっちゃったなあ」
応募した企業は志望度も高く、準備に時間をかけていた。冒頭を飾る申し訳程度のフルネーム、せめてこのぐらいの手間はかけてくれた事に感謝すべきだろうか。ひどい時には氏名すら、書き換えそびれの「〇〇〇〇様」に乗っ取られる。
文面がこうでなければ、今日は大学の就職課で選考対策の相談に乗ってもらうつもりだった。不甲斐ない報告をする気にもなれず、地味な紺のヘアゴムをほどいて髪を結いなおす。
いつでも持ち出せるよう用意してある黒のスポーツリュックに目を向ける。こんな時の行き先はひとつしかない。あらゆる季節を通して冷たく無慈悲で、けれど私が私らしくあれる場所。
アパート玄関のドアベルがけたたましく鳴った。私はリュックを担ぎ、足早に家を出た。
◇
なじみの駅の雑踏をくぐり、急くように大股で歩くと、目指す建物はすぐに見えた。
スポーツセンターの地下にある、市内で唯一、通年で開いているアイススケート場。自動ドアの先、階段を一歩降りるごとに空間は外界から隔てられ、頬をさす冷気が肌に触れる。どこか異界の入り口めいて、私は空気が順に冷えていくこの感じがなかなかのお気に入りだ。
地階へ降りると入場券を買うより早く、受付をしていた選手仲間の佳奈が声をかけてきた。
「あれ、柚香、就活は?」
「んーん、急遽気晴らし。また祈られちゃった」
「あちゃー。ドンマイ」
佳奈は、持ち前の明るさと行動力で就活解禁早々に内定を得て、残りの選手人生を謳歌している。バイト先もリンクのスタッフ、練習までの移動時間もゼロと、何かにつけて要領がいい。私は、彼女ほど人生を泳ぐのが上手でない。
「柚香も自信もって、堂々とアピールすればいけるって! ほら、名前だって最強の組み合わせじゃん」
「もう。それ、いま言う?」
名前をいじられるのは慣れっこだが、あいにく今は乗り気じゃない。
私の名は、スケートリンクに近付くと途端に特別な響きを帯びる。織口という苗字は「口」の真ん中に十を足せば「殿」で、下の名の一文字目は「ゆず」の柚。過去の有名選手二人のエッセンスを含むだけに、先輩諸氏からもよくからかわれた。
そんな日々も、残すところわずか。時間を惜しみ、ロッカーへ荷物を放りこんでウォームアップに入る。
私たちの限りある青春。氷上の華などと呼ばれながら、大学に部活があると多くの人が知らない、隠されし夢舞台。
フィギュアスケート。心ときめかすその名の響きを胸に、白のスケート靴を履いた私はリンクへと踏み入った。