9ー学園生活のはじまり
「数百年に一度、異国より雷鳴と共に現れる。前回降臨したのは、ーえっと少なくとも500年以上は前なのね」
ルナマリアに領地から取り寄せてもらった聖女の資料。資料と言うまでもない、伝説の創作話のようだ。
寮の自室。足を組んでベットに座りながらルナマリアは言った。
「あまり読んでも意味がないでしょう?その程度しか残っていないのよ」
「ううん。そんなことないよ。貸してくれてありがとう。あ、ほらここに聖女は主に黒髪が多いって書いてある。あの子もサラサラな黒髪だったな」
聖女が学園に来て2週間が経った。
ジュナはエリアルとの約束を守り、彼女に近付かず過ごしていた。
というか、近付くも何も接点がなかった。
彼女が聖女であることは、秘匿されておらず、公表されてはいないが学園で知らぬ者はいなかった。
「昔なら、飢饉や戦争のある地域へ巡礼していたみたいだけれど、今は本当にその必要はないもの。何か悪いことでも起こるのかしら?ーあ、ジュナ時間だわ。行きましょう」
「えっ!もうそんな時間?」
バタバタと資料を納め、部屋を出る。
扉の前にある鏡でササッと顔をチェックする。
「ごめん、ルナ。リップだけ」
腰にかけたポーチから口紅を取り出し、手早く塗った。
「大丈夫、とっても可愛いわよ。ジュナ」
ルナマリアがニヤニヤしながら褒めてくるのを、ジュナは聞こえぬフリをした。
どれだけ急いでいても、最低限見られる顔で会いたい。
今日は教師の都合で、午前授業だった。そのため一度寮に戻っていたのだ。
ジュナは授業が始まってからの2週間、昼食の時間が何より楽しみだった。
食い意地が張っているからではない。
学年も違って、選考属性も違うエリアルに会える、唯一の時間。
エリアルは必ずと言っていいほど、ジュナたちと昼食を共にした。
水の寮から1番近い第3食堂。エリアルは特に好んで使用している。
ジュナも、自分の好きなものがたくさんある第3が1番好きだった。エリアルも食の好みが似てるのだろうか?だとしたら嬉しい。
食堂に付くと、いつもの定位置にエリアルとサイラスが座っている。
学園内では身分は関係なしとはいえ、四大侯爵家のエリアルの隣においそれとは座れない。更にそこへ、もう一つの四大侯爵家のルナマリアが加わるとなれば、そこはもう暗黙の了解で皆座らずに開けておく席となっていた。
いつも満席ではないので、良心は痛み過ぎないものの、四大侯爵家の恩恵に預かっている身としては、少し肩身がせまい。
ジュナとルナマリアは、それぞれ食事を受け取って席に付いた。
「エリアル様、ルシャナ先生の様子は聞きまして?」
ジュナがボーッとエリアルを眺めているのに気付いて、ルナマリアが話題をふった。ジュナはハッとしてようやく一口目を口にした。
「ルシャナ先生は、今日までお休みだそうだ。君たちは午前中が魔術薬学だったんだね」
小さいため息をつきながらエリアルは言う。
「ルシャナ先生は繊細そうだもんな。相当ショックだったんだろ」
やれやれとサイラスが続けた。
ルシャナ先生は魔術薬学の教師だ。魔術薬学は選考属性関係なく履修しなければならない授業なので、共通の話題としてたびたび話題に上がった。
「ん?ルシャナ先生何かあったの?」
話題に付いて行けてなかったジュナは口を挟んだ。
「ジュナ、朝のノアの話聞いてなかったの?」
ルナマリアは不思議そうな顔でこちらを見ている。
朝?いつだろう。ノアと会ったのは···思い出してみると、1限目が始まる前にノアが何か言ってたかもしれない。
ただ、ジュナは窓から外を見ていた。たまたま見えた、運動着を来たエリアルに見惚れ話が耳から抜けていた。
ジュナは少し赤くなり小さい声で「聞いてなかった」と答えた。
隣のテーブルで昼食を取っていたリリアンとノアの方をチラリと見ると、ノアはわざとらしく悲しそうな顔をしている。
ルナマリアは、ジュナが聞いてなかった理由をなんとなく察し、これ以上は聞かずに教えてくれた。
「ルシャナ先生のお部屋に盗人が入ったのよ。薬剤をいくつか盗まれたのですって」
「中には先生が開発中の貴重な薬剤もいくつかあって、先生はショックで寝込んでいるそうだよ」
サイラスが続けた。
ルシャナ先生は魔術薬学で若くて教授になった新鋭だ。
妬むものも少なくない。問題はここが魔術学園ということだ。外部の者は入れない。
「ラザイン様、ここにいらしたのですね」
視線をエリアルに向けると、口元だけ笑みの形にしたまま、声の主を見ている。
ジュナはそのまま振り返った。声の主はアンジェリカ・リエナ伯爵令嬢。四大侯爵家に次ぐ勢力を持つ伯爵家だ。
そして、聖女の友人に選ばれた令嬢だった。
「今朝ぶりですね。アンジェリカ嬢。どうされましたか?」
抑揚のない声でエリアルは聞いた。
「お噂は本当でしたのね。最近お昼時にお見かけになれないと思っておりましたが、こちらの食堂にいらっしゃるなんて」
アンジェリカ嬢が"こちらの食堂"とのたまうのには訳がある。第3食堂は、庶民向けなのだ。第1食堂は貴族使用になっており、値段設定も違う。第2食堂はお茶などをする用にスイーツが主に置いてある。
次期侯爵ともあろうエリアルが、第3を使用している事は皆驚いている。ールナマリアも然り。
エリアルの視線が少し冷ややかになった。
ジュナはハラハラした気持ちでアンジェリカ見た。
すると後ろに隠れた人影を見て、心臓がヒュッと縮こまった。
「こちら、ルリ・ミズサワさんです。お噂はご存知でしょう?彼女、選択属性を風にするそうで、ぜひエリアル様のご指南を受けたいそうですわ」
「ルリ・ミズサワです。聖属性はどの属性を選択しても良いみたいで、風にしました。エリアル・ラザイン様、良ければこれから色々教えてください」
鈴がなるような可愛らしい声でルリ・ミズサワは挨拶をした。その仕草は洗練されている。
ジュナよりはるかに美しい所作だった。
「ジュナ?どうしたの?」
ルナマリアは慌ててジュナにかけ寄った。
(え?何が?)
声に出したつもりが出なかった。
ツゥっとこめかみに汗が流れたのを感じた。ルナマリアは隣のノアに目配せをし、ジュナの手を取り席を立った。
表情まで見えなかったが、正面に座っていたエリアルも立ち上がる。
ジュナは咄嗟に手でエリアルを制止した。
「大丈夫、ちょっとルナと休んでくるね。エリアルはここに居て」
場を去るとき、自分より格上のアンジェリカ嬢に挨拶をするべきだったのかもしれないが、そんな余裕はなかった。
冷や汗と、動悸とでまっすぐ歩くのさえ辛かった。
なんとか食堂を出て、廊下まで出たところでジュナは意識を手放した。