8ー報告
エリアルが通されたのは、副学長室ではなく大きめの会議室だった。
中央に学長、左右に副学長、教会長と続き、教師も数人いる。
(ジュナを置いてきて良かった)
連れてくるつもりはなかったが、一生徒を呼ぶような場ではなかった。
エリアルは臆さず正面に立った。
「このような場に呼ばれているとは思いませんでした。森に居た黒髪の女性のことでしょうか?」
学長が長めのため息を付いた。
「ラザイン君は彼女が現れた時に傍にいたそうだね?」
「はい。伝承どおりに、稲光と共に現れたように見受けました」
ザワッ
空気が波うった。
「やはり···君は知っていると思ったよ。もう一人女生徒が居たそうだが?」
「彼女はあの場から離れた場所で保護しました。一連のことも見ていないそうです」
「そうか···ふむ。だが他の生徒が知るのも時間の問題だろう。彼女の魔術鑑定は聖属性だった。今朝早くに王都へ出発した。登城ののち、聖女の称号を与えられるだろう。」
エリアルは知っているけれど、一応聞いた。
「その後、どうされるのですか?」
「魔術の知識もなかったため、一旦学園で預かることとなった。そこで、ラザイン君に彼女の世話を頼みたい」
2度目に聞いた時には苛立ちが隠せなかったが、3度目なので完璧に隠すことが出来た。
(彼女の世話など、とんでもない。)
もう二度としたくなかった。
「ラザイン侯爵家の御子息ならば、申し分ない。魔術だけではなく、立ち振舞など、教えられることも多いだろう」
エリアルはきっぱりと言った。
「お断り致します」
当然、了承されるものだと思っていた学長は、驚きの表情を繕えなかった。
周りの先生方も信じられないという表情でエリアルを見上げた。
「何故だい?君に悪いことなどないはずだ。君なら実力も充分···」
「私が承れば、四大侯爵家の均衡が崩れます。聖女と懇意にならない方が良いでしょう。聖女のそばに置くのは、四大侯爵家以下の名家の御子息か御息女がよろしいかと」
学長は言葉を遮られたことに苛立ちはしたものの、ふぅむと手を顎に添えた。
「確かに、君の言う事も一理ある」
教会と侯爵家は微妙な力関係を保っている。ひとつの侯爵家が教会と懇意になると、パワーバランスが崩れてしまう。筆頭侯爵家といえど次席との差が開きすぎることも良くない。
「では、私は失礼します。」
これ以上余計な事を言われないうちに、早々に立ち去った。
既に、どの家門の者を聖女に充てがうか議論しており、エリアルが部屋を出ても止められることはなかった。
自分の思惑通りに事が運び、少しだけ安堵する。
(ジュナは、寮にいるだろうか)
男子学生が女子寮を尋ねるのは、躊躇するものがある。悩んだものの、向かってみることにした。
幸い、ジュナはすぐに見つかった。女子寮から少し離れた場所のベンチに座り、友人たちと談笑している。
(楽しそうだな)
彼女が笑顔でいることが、何より嬉しい。エリアルはしばらく眺めていた。
(こちらを向かないだろうか。その笑顔を、僕だけに向けてほしいー···)
1度目と、2度目を彼女の婚約者として過ごし、独占欲は膨らむばかりだ。
(今生は婚約者ですらないのに、何を分不相応なことを)
顔を手で覆い赤面を隠す。頭を冷やして出直そうと、踵を返した。
「エリアル」
振り向くと、ジュナが心配そうな顔をして走ってくる。
「呼び出しは終わったの?具合が悪そうだけど」
慌てて気を引き締める。
「具合は悪くない。ジュナ、今少しいいかい?」
エスコートをしたかったが、赤面を隠すことが出来ず、少々ぶっきらぼうに促してしまった。
後ろの気配を察すると、ジュナは付いてきてくれている。ほっと小さな息を吐く。
少し歩いて、離れた場所の人気のないベンチを見つけた。乗っている葉をはたいて、ハンカチを乗せる。
「ジュナ」
名前を呼ぶと、ありがとう。と小さな声で礼を言い、少し恥ずかしそうにジュナは腰を下ろした。
今回は止めてくれるサイラスはいないので、少し距離を開けてエリアルも座った。
「学長からの呼び出しは、あの突然現れた少女の件だったよ。ジュナは、聖女伝説、知ってる?」
「さっき、ルナに少し教えてもらったよ」
「そうか、ローウェン侯爵の領地にもまだ聖女伝説は残っているんだね」
ジュナが不安そうに尋ねる
「エリアル、彼女は聖女なの?」
"聖女"という言葉を聞くと大抵の人は、希望や期待、プラスの感情を感じるはずだ。
しかし、ジュナの表情は不安を表していた。
(ジュナも感じているのだろうか?聖女がジュナにとって危険な存在であることを)
「学長が言うには、そうらしいね。聖女として学園に通うそうだ」
偽りを言っても仕方ない。ありのままを答えた。
「ジュナにお願いがあるんだけど、いいかな?」
不安そうに俯いていたジュナが顔をあげた。
「なぁに?」
「聖女に近付かないでほしいんだ」
ジュナは唐突なお願いにキョトンとしている。
分かる。エリアルも自分は何を言っているんだと自問自答している。
「えっと、理由を聞いても?」
ジュナは考えていることがすぐ顔に出る。無論、そこが可愛いのだが。今は顔に"?"が多めと、何故?と書いてあるようだ。
エリアルは少し息を吸ってきっぱり言った。
「僕は聖女が好きではない」
ジュナの顔に"?"が増えた。
エリアルも自分が放った幼稚な言葉に、顔に熱が籠もるのを感じる。
「彼女が好きではない。故に、君に彼女に近付いてほしくない」
聖女の降臨を止められなかった場合、色々な対処を考えてはいた。
前提に、ジュナが聖女を警戒して近づかないことが1番だ。もっともらしい言葉をいくつか考えていたのに、ジュナを前にすると、思ったことがそのまま口に出てしまった。未熟としか言いようがない。
婚約者でも、ましてや恋人でもない女性に、特定の人物に近づくなと言う資格などない。
「ー駄目か?」
力なく、懇願してしまった。情けない。もっとスマートに伝えるつもりが。
ほとほと困り果て、出直そうかとも思っているとジュナが口を開いた。
「いいよ」
パッとジュナの顔を見ると、恥ずかしそうに顔を赤らめている。
「その変わり、条件。エリアルも必要以上に彼女に近付かないでね」
「も」ちろんだ。と言おうとして止まってしまった。
ジュナに聖女を近付かせないため、少しの接触は必要だった。
「だめ?」
少し顔を赤らめたジュナが、上目遣いでこちらを見た。なんて威力だ。
「もちろんだ。」
上目遣いのお願いの効力を身を持って知った。計画を少し変更しなければ。
「ジュナー」
ルナマリアが呼びに来た。
「僕はそろそろ行こう」
心底名残惜しかったが、エリアルはベンチから立った。
立ち去ろうとして、振り向いてジュナに囁いた。
「さっきみたいなお願いの仕方は、僕以外にはしては駄目だ」
聞こえなかったら困るので、耳元まで口を寄せてしまった。
ジュナは真っ赤になっている。
(可愛いな)
我知らず、喉に唾液を飲み込む。
エリアルは欲望に負けじと退散した。