13ーエリアルの弱音
第3食堂の屋根の上、人が居るとは思えない場所から、エリアルは見ていた。
苛立ちを抑えるため、組んだ腕に人差し指で単調にリズムを刻む。
「許しがたい···」
この数日間、エリアルはジュナに会うのを控えていた。
それもこれも、聖女の一団が自分の前に頻繁にあらわれるからだ。
(ジュナに会う機会を奪った上、傷付けようとするなど)
最近、どうもおかしい。聖女であるルリ・ミズサワが自分に執着しているように感じる。
1度目も2度目の生でも、こんなことはなかった。
不安を感じ、苛立ちが増した。
ささいなことでも、彼女を失う原因になるのではないか。
下を見るとサイラスが手を振っている。聖女の一団が充分にジュナから離れるのを見届けて、サイラスと合流した。
「怖い顔して、あんなとこで何してたの」
「なんでもない」
サイラスは呆れ顔をしてそれ以上追及しないでくれた。
「まぁいいけど。今日は第3に行くのはやめよう。ルリ嬢たちが入っていくの見えたよな」
「ああ」
「やっぱりルリ嬢の狙いはお前だよ。随分気に入られたな」
ジロりと睨みながら答える。
「僕を狙う理由が分からない」
「正気か?君を狙う理由なんていくらでもあるだろう」
「明確な目的が気になるんだ」
「ふむ。気になるなら調べてやるよ」
少し考えたあと、ニヤリと笑ってサイラスは答えた。
午後の授業を終え、魔術書をトントンと整頓する。
「ふーーー···」
長めのため息と共に机に額が付くくらい項垂れた。
「おお。珍しいな。どうした」
サイラスが声をかけてきたが、振り向く気力がない。
単純に力が出ない。
会えないと分かっている時は我慢が出来るのに、会える距離に居て会いに行けないのはとても苦痛だ。
この1週間、遠くから眺めただけで会話も出来ていない。
「つらい」
3度目の生、初めて出た弱音かもしれない。
(いや、1週間会えてないだけで気力がこんなになくなるとは)
自身につっこむ。こんなに精神が軟弱だったか?
「あっ。おい、エリアル。ドアの方を見てみろ。」
「無理だ」
首を動かすのすら嫌だ。
「いいから!後悔するぞ」
急かされて視線だけ寄せる。ー途端、身体の芯に力が入り、トントンっと魔術書を整えて鞄に入れ、颯爽と席を立った。
「あとでな。サイラス」
声をかけられたサイラスは、開いた口が塞がらず見送るしか出来ない。
「ジュナちゃんが来てから、エリアルはどんどん面白くなるな」
しばらくして呟いた。
「ジュナ。どうした?こんなところまで」
ジュナは教室のドアから顔だけ出してこちらを覗いていた。
満面の笑みを隠せなかったエリアルとは違い、ジュナはジロりとエリアルを見た。
「ちょっとこっちに来て」
エリアルの服の裾を掴み、ジュナは引っ張る。
エリアルは幸せを感じながらジュナに付いて行き、空き教室に誘導された。
「エリアル、まだ私に護りの魔術を付けているの?」
「もうバレたのか。今回はかなり精密に作ったのだが」
隠すつもりはなかったが、ジュナはエリアルの魔力が減ることを気にしていたので、目立たず護るよう複雑な陣にした。
「もう解除していいわ。まさか四六時中発動してるの?」
ジュナは慌てている。たしかに、護身魔術は消費魔力が多い。発動時間が長ければ長いほど、大量の魔力が必要になる。
エリアルはしばらく考え、素直に答えた。
「わかった。ーと言いたいところだが、それは出来ない」
「どうして?」
「君が大切だからさ。何としてでも守りたい」
ジュナが大きな瞳を見開いた。頰から耳にかけて紅く染まっていく。
エリアルは自分の心が満たされていくのを感じた。自分の一言によって、ジュナがこんなに愛らしい表情に変わるとは。
空き教室で良かった。誰にも見られたくない。こんな彼女の一面を。
思わずジュナの頬に触れる。そのまま抱き寄せてしまいたい欲望をなんとか抑え込む。
エリアルは侯爵家の教育に感謝した。こんなに自制心が利く自分を誇る。
ジュナはパクパク口を動かして、なんとか言葉を吐き出した。
「う、うぅ。それは妹として···?」
ジュナの頬に触れていた手を滑らせ、髪を一房優しく包み、口付けた。
固まっているジュナを至近距離で見つめ、にやりと笑って言った。
「どうかな」
からかわれたと思ったのか、ジュナは真っ赤になり、わなわなと震えながら涙目になった。
もっと見たいと思う反面、さすがに申し訳なくなった。
(ごめんね。ジュナ。まだ言えない。言ってしまえば、溢れて止められなくなってしまう)
まだ、まだ何も掴めていないままだ。
落ち着いたジュナにぽこぽこ叩かれて、ひと仕切り謝ったあと、寮まで送った。
次の日、自室に戻るとサイラスは早くも情報を掴んで来た。
こういう時のサイラスは、とても頼りになる。
「仕事が早いな。だから今日の昼いなかったのか?」
「だろう?俺を次期侯爵の筆頭秘書に選んだっていいんだぜ」
「跡取りが冗談言うな」
本当はそうしたいところだが。
「今日は第3に行ってきたんだ。そしたらアンジェリカ嬢とルリ嬢達が来て、色々お話をしたのさ」
エリアルは呆気にとられた。髄分思い切った行動を取るものだ。
「まぁ俺としたのは他愛ない話さ。俺が席を外した後、色々と教えてくれたよ」
サイラスは魔力量はエリアルには劣るが、魔力の繊細なコントロールは抜群に上手い。エリアルが教えた言葉を風に乗せて運ぶ魔術も、今ではサイラスの方が上手だ。
「ただ、ルリ嬢がいくつか意味の分からない言葉を発していた。俺には理解出来なかったから、そのまま伝えるぞ」
「分かった」
「ええと、前はエリアルを攻略出来なかったから、今回は最初に狙ったのに。エリアルの好感度が全然上がらない。ーどうして、ジュナがヤミオチ?していないの」
「待て、なんだそれは」
どれも理解出来ない。
(僕を、攻略?攻める?どういう意味だ。前、ということは、聖女も生を繰り返している?)
自分と聖女に共通点があったなどゾッとするが、何か思い出しそうな気がする。
(ヤミオチ?聞いたことのない言葉だ。ヤミ···闇?)
パチンッと頭の中で記憶が弾けた。
グラっと傾いた身体を、サイラスが慌てて支えた。
「エリアル?大丈夫か?」
サイラスの問いかけはエリアルに届かない。手で額を覆い、頭痛をごまかしながら思い出したことを反芻する。
(ーー闇。そうだ。ジュナは闇属性に目覚めるんだ)