10-悪夢と獣
「ミズサワ嬢、あなた私がだれがご存知ないの?」
自分から発せられた声は、ひどくトゲトゲしかった。
「私はラゼイン次期侯爵の婚約者です。その様な態度をとられてはたまらないわ」
自分が言うわけもないセリフが、自分の口から出てくる。ジュナは恥ずかしくて堪らなかった。
どうやら、夢の中でジュナは黒髪の女の子を罵っている。
(エリアルの婚約者だなんて。そこは嬉しいけど、この口調なんとかならないのかしら)
黒髪の女の子は、果敢にも目を潤ませながら言葉を発する。
「クライス令嬢、私は聖女として確かめなくてはなりません。貴方が使った闇魔法が何なのか」
黒髪の女の子は、よく見たらルリ・ミズサワ嬢だった。食堂で見かけた時より大人っぽく見えた。
(闇魔法?そうよね。聖属性の魔法があるなら、闇属性もあるのね)
なるほど。と、人ごとのように気付く。不思議な夢だ。
ふと、窓に映る夢の自身の姿を見る。
クリーム色の髪をキッチリ同じ幅で巻き、ツリ目気味だった瞳は完全にツリ上げられている。
ひと目みて、近付きたくないタイプの女の子だ。
「ー嫌だわ」
ぽつりと漏らした声とともに目を開けた。天井を見るに、医務室のようだ。
「ジュナ」
すぐそばに居たエリアルが、ジュナの顔を覗き込む。
「エリアル。私、どうしたの?」
しばらく声を発してなかったからか、かすれた声が出た。恥ずかしかったが、それでも夢の自分の声よりはマシだった。
(最悪な夢を見たわ)
「ジュナ、気分はどう?君、食堂からの帰り道で倒れたんだよ」
エリアルはジュナを支えて上半身を起こしてくれた。近くにあった水も差し出す。
「ありがとう。ごめんね、もう大丈夫」
エリアルは心配そうに見ている。友人が倒れたので当然か。
しかしジュナはすっかり気分が良くなっている。
「寝不足だったのかな?寝たら元気になったよ!」
ジュナは右手で力こぶを作って見せた。
エリアルは微笑んでくれた。倒れたのは自分だが、エリアルもどこか具合が悪いのだろうか?笑顔に覇気がない。
「エリアル?どこか痛いの?」
「痛くないよ。倒れたのはジュナなのに、心配させてしまったね」
エリアルは首を振り、申し訳なさそうに言った。
「ジュナ、申し訳ない。その、聖女に会わないでほしいと言っておきながら、僕がその原因を作ってしまった」
「怖かっただろう?」
ジュナはびっくりしてエリアルを見た。あの可愛らしい容姿の、どこか守ってあげたくなる女の子の、どこに怖がる要素があるのだろう。
ジュナが何も言えずにいると、エリアルはぽんぽんと頭を撫でてくれた。
すると、ぽろりと目からひと粒だけ涙が落ちた。
よく見ると、手も震えている。
自分でも、不思議だがエリアルの言ったことは正しかった。
自分でも気づかぬうちに、身体が聖女を拒否していたのだ。
(私は聖女が怖いの?どうして···)
リリアンとルナマリアと一緒に寮まで戻ってきた。
ルナマリアも、まだ顔色の悪いジュナを心配していたので早めに布団に入った。
医務室でも散々寝たので、まるで寝れる気はなかったが、案外早めに眠りに付けた。
浅い眠りだったのか、医務室で見た夢と似た夢を何度も見た。
性格の悪い自分が、ルリ・ミズサワ嬢を責める夢。
ジュナはうなされて目を覚ました。寝た気がせず、辺りを見回す。
(何時かしら)
外を見ると真っ暗だ。
時計を見ると、午前4時を指している。
もう眠れる気がせず、ベッドから下りた。
(嫌な夢ばかり。私とミズサワ嬢は相性が悪いのかしら?)
ため息を付き、寝着にローブを羽織って部屋を出た。
外は薄暗かったが、真っ暗ではなく、考え事をするにはちょうど良かった。
かと言って寮から離れるのも怖いので、すぐ近くにあるベンチに座った。
薄暗い木々を仰ぎ見る。
(魔術学園に入学してから、何かおかしい。というより、聖女様に会ってから?)
ジュナはあの日、エリアルから聖女に近づかないでくれと言われた時、安堵したのだ。
今では分かる。ジュナは言葉ではあらわせないが、本能的に聖女を避けたいと思っている。
近付いただけで寒気がし、過呼吸になるなんて。
ルリ・ミズサワ嬢が学園に通うようになり、みんなが期待と羨望の眼差しを向けるなか、ジュナはみんなと同じように感じなかった。
(エリアルが言ったから、エリアルがそう言ってくれたおかげで、近付こうとも思わなかった)
ふと前を見ると、木々の間に真っ黒な影があった。
聖女が現れた日に見た獣だ。
ジュナは目がそらせなくなった。
(大丈夫、大丈夫よ。すぐそこは寮よ。走って、ドアを閉めてしまえば大丈夫)
獣は今度は静かにゆったりと近付いてきた。
ジュナは寮に戻れず、ベンチとくっついてしまったのか?と言うほど身動きが取れない。
近付くにつれ、不思議な事に恐怖感が薄らいだ。聖女を見た時とは正反対の感覚。
とうとう獣はジュナの前に立った。
さすがにジュナも我に帰り、恐怖が戻って来る。
獣がジュナに手を伸ばした。ゆっくりとした動作だったので攻撃性は感じない。
バシッ
ジュナに触れるか触れないかで、獣がはじき飛んだ。
獣は一回転して見事に着地すると、こちらを見てグルルと唸ったあと、踵を返して去って行った。
「ジュナ!!」
風にのってエリアルが急に目の前に現れた。
ジュナは驚いて声も出ない。
エリアルはお構いなしに、ジュナの腕を交互にひっぱり、身体に怪我がないか確認する。
「陣が解けたからびっくりした。何があった?」
びっくりしたのはこちらだ。陣?
ジトッとにらみ、ジュナは声を低くした。
「エリアル?さっきの、私に護りの陣を付けてたの?」
エリアルは少し怯んだが開き直った。
「ああそうだ。勝手にかけたのは申し訳なかった。それより、何があったんだ。大丈夫なのか?」
それより、ではない。
護りの陣は高度な魔術だ。2年生の、エリアルが習得していることにも驚きだけど、使うだけで術者の魔力をとても使うと聞いたことがある。
「黒い獣が近づいて来たの。聖女様が降臨した時に居た、あの獣よ」
「獣?」
眉を寄せ、エリアルは言った。
(エリアルはあの獣を見ていなかったの?)
「ーあ、違うの。周りが暗かったからよく見えなくて」
ジュナはとっさに嘘を付いた。本当にそうだったかもしれない。だって、犬みたいで、犬より大きく、あんなにゆっくり歩くかな?まるで自分に手を差し出そうとしたみたいな、あんな動き動物がするだろうか?
「とにかく、気にしないで。なんでもないの」
ジュナは自信がなくなってしまった。ごまかそうとしたものの、語彙もなく尻すぼみになった。
「ジュナ」
エリアルはジュナの両手首を持ち、ジュナの顔を正面から見つめて言った。
「ジュナ、僕に嘘をつかないでくれ。」
両方の手首を掴まれているため、顔をそらすことも出来ず、ジュナはエリアルを見た。
ラベンダーの瞳にはジュナしか映っていない。眉が下がり、心配していることが表情で分かる。
「どうして、そんなに心配してくれるの?」
こんな時間に、寝着のまま、来てくれるほど。
エリアルはとっさに手を離し、一瞬だったが戸惑った。
「それはー」
ジュナは、エリアルの言葉を遮るように、エリアルの頭に手を伸ばす。
エリアルは固まった。
(聞かない方が良かったかな)
伸ばした手で、エリアルの寝癖を撫でつけた。
「ごめんね。気にしないで。寝癖つけたまま来てくれてありがとう。でもね、守りの陣はやり過ぎだよ」
寝癖は撫でつけてもまたピンっとはねた。もう一度撫でつける。
エリアルの表情は分からない。だけどジュナの手を嫌がらず、しばらく撫でさせてくれた。そしてぽつりと謝った。
「すまない」
寝癖を直させて"すまない"なのか、勝手に護りの陣を施しての"すまない"なのか、そのほか別の"すまない"なのか。ジュナは聞きたくなくて、何も言わなかった。