1ージュナ
コンコンコン。
ドアの向こうから小気味良い音がする。
「おはようございます。お嬢様」
ジュナはベッドから体を起こし、自分の専属メイドに挨拶をした。
「おはよう。セリー」
朝に弱いジュナだが、今日の目覚めは良かった。
今日を楽しみにしていたからだ。
「ジュナお嬢様、エリアル様は午前中には伺えるとのことですよ。」
ジュナの専属メイドは、ジュナが今1番気になっていることを伝えてくれた。
エリアル・ラザインは、王国にある四大侯爵家のうちの1つ、ラザイン侯爵家の嫡男でジュナの友人だ。
クライス伯爵家の一人娘であるジュナとは、身分が釣り合わないが、ジュナの父とエリアルの父が学友なため、家族ぐるみでの付き合いが続いている。
ジュナは先月14歳になった。
この国では15歳から魔術学園へ行き、3年間寮に入る。
このたび15歳になったエリアルも来月から寮に入る。
長期休みになれば会えるが、週に一度は会っている今に比べると、会える頻度が格段に下がるのだ。
「今日はラベンダー色のドレスにするわ。先日貰ったリボンもお願い。」
「かしこまりました。お嬢様。世界一可愛くしましょうね」
にっこり笑うセリーに、ジュナは恥ずかしくなりジロっとした目で返事をしてしまった。
ラベンダー色のドレスに身を包み、腰ほどの長い髪にリボンを編み込んで貰ったジュナは、ウキウキとロビーに向かった。
途中、ガラスに映る自身の姿をチェックする。
緩く流れる淡いクリーム色の髪に、ツリ目気味のグリーンの瞳。キツそうに見えるこの瞳はジュナのコンプレックスでもある。
しかし今日はセリーによってほんのりとメイクもしてもらい、ツリ目が少し柔らかく見える。
絶世の美女とまではいかないが、そこそこ可愛いんじゃないだろうか。
少し息を吸い、ロビーのドアをあけた。
入った瞬間、ふわりと風がほほを撫でる。
そこには、絶世の美男が居た。
(今日も格好が良すぎないかしら?)
落ち着いた灰がかった銀髪の髪。金糸で縁取った紺色のジレに身を包み、翡翠をあしらったタイピンを付けている。
15歳とは思えぬ落ち着き払った態度で、長い足を組みお茶を飲んでいる。
この国の王子様にはお会いしたことがないが、きっとエリアルの方がよほど王子様の風貌なのではないか。
ジュナのドレスと似た、ラベンダー色の瞳がジュナを見つけると、柔らかく微笑んだ。
「おはようジュナ。今日も可愛いな」
愛情たっぷりに言うエリアルに、恥ずかしくなりこれまたジロっと睨みつける。
「どうした?機嫌が悪いようだが」
聞いておきながら、そこまで気にしていない風なエリアルに、またまたブスッとしてしまう。
「べつに」
ロビーに入るまでウキウキだったのに、心ではウキウキなはずなのに、態度には出なかった。
ジュナは、エリアルが好きだ。
エリアルに初めて会ったのは5歳の頃。
自惚れではなく、エリアルはジュナにだけ優しい。次期侯爵を継ぐ為の勉強が忙しいなか、週に一度は訪ねて来てくれる。
5歳の頃から、王子さまのようなエリアルに、花を贈られたり、優しく見つめられたり、エスコートされたり。
好きにならない方が無理なことだった。
そのためエリアルにも当然好かれているのだろうと思っていたのだが、ジュナは聞いてしまったのだ。
エリアルの誕生日パーティでの、ジュナの父と彼の会話を。
ジュナの父が、冗談半分でジュナと婚約しないか?と言う言葉を、エリアルは断った。
そんな大事な事を冗談半分で言った父にも腹が立ったし、断ったエリアルにもショックをうけた。
エリアルから感じていた愛情は、ジュナが思っていたものとは違ったようだ。
「いつ寮に入るの?」
「来月だよ。入寮の準備が思っていたより大変で、来週は来れないかもしれない」
「毎週来なくていいのに」
思っていた事と、真逆のセリフが出た。
「再来週は来るよ。」
困った笑顔でエリアルが言う。
普段エリアルは表情を見せない。侯爵家の嫡男である彼には、日常的にたくさんの人が言い寄っている。その為、エリアルはいつも硬い表情か、硬い笑顔しか見せなかった。ージュナ以外には。
ジュナには常に笑顔を向けていた。
ジュナが、彼に好意を向けられていると勘違いしてもおかしくないほどに。
次でエリアルの訪問は最後になるかもしれないとジュナは思った。
来月になれば、魔術学園に入学して色々な人に出会い、楽しい日々の中、ジュナのことなど忘れてしまうのだ。
口を尖らせているジュナの機嫌を、なんとかしようとエリアルは持ってきたものをテーブルに並べた。
「今日はロウサンのケーキを持ってくる約束だったろう?ほら、持てるだけ買ってきたぞ。どれがいい?」
ロウサンは有名なスイーツ店だ。貴族だろうと、並ばないと買えない。
エリアルはこういう時は人に任せないことを知っているジュナは、あっという間に機嫌を直した。
(女の子ばかりだっただろうに、並んで買ってきてくれたのね)
観念してにっこり微笑んだ。
「ありがとう。私の好きないちごばっかり」
エリアルはいきなり満面の笑みを見せたジュナを見て、一瞬固まり、
「喜んでもらえて何よりだ」
と微笑んだ。
ジュナも自分を弁えている。元々、身分も釣り合っていない。エリアルがくれる愛情が、自分が求めているものでなくても、充分じゃないか。
そのあとは、さっきまでの不機嫌な時間を取り戻すかのように、エリアルとたわいない会話を楽しんだ。
「さて、そろそろ失礼するよ」
「ランチを一緒にとるんじゃないの?」
「午後から父に呼ばれていてね」
申し訳無さそうにエリアルは言う。
「そっか」
しょんぼりしているジュナの手をとり、エリアルは自分の口に近づけた。
普段こんな挨拶の仕方はしなかったので、ギョッとするジュナにエリアルはイタズラっぽくニヤリと笑う。
すると、フワリと風がジュナの周りを舞った。
「ではまた。ジュナ嬢」
丁寧にお辞儀をしたエリアルは、颯爽と去っていく。よく見たら、耳が赤くなっているかもしれない。
貴族でも、最近はあまりしない、手にキスをする挨拶。
思っていなかった演出に、ジュナは真っ赤になった。
(なにその去り方!かっこいいにもほどがある!)
風が、まだジュナの周りを舞っている。
ラザイン侯爵家は、風の庇護を受けている。
貴族であれば誰でも魔術が使えるが、庇護を受けている四大侯爵家の人間は、他の貴族の比ではない。
エリアルもまた例に漏れず、14歳にして風を自在に操っていた。
優しい風がおさまり、エリアルが去った方向をジュナはずっと眺めていた。