伝説のサボテン
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
むう、最近のゲームはやたらとキャラの衣装なりが充実しているんだなあ。
ひと昔前は兄弟がどうだ、2Pカラーがこうだと話題になっていたが、あくまで買い切りのゲームの中での話。
それがこうして格好を変えるのに、別でお金も払わないといけないときもある、と考えると時代の移り変わりを感じるねえ。
自分にベクトルが向かっていたおしゃれが、自分の持ちキャラに変わっていったというね。いずれにせよ、自分の心地よさが目的なのは大差がないだろうけれど。
そしてこいつは……レジェンダリースキン!
見た目が変わるだけじゃなく、攻撃力が常時1.5倍! 外見が中身にさえも影響を及ぼすとは、考えようによってはなんか深さを感じてしまうなあ、うーん。
しかし伝説を冠するスキンが、こうも強力でいいものかね? みんながみんなこれらを手にしてしまったら、ただの常識、市民権の域に入っちゃうと思うんだよ。
ゆえに確率を低くするのはいいが、あるのは分かっているから、みんな「市民」になるために多額の貢物をする……時代変われど、必死さは同じといったところか。
伝説。こいつは一部の者にひっそり抱えられ、ふと漏れ聞こえてしまうことから生まれると私は考えているんだ。
その実態を知るのは、話の発信源だけ。あとは自分に起きた偶然、想像をもとに尾ひれをつけて、ときに伝説でないものを新しい伝説へ仕立ててしまう。
かくいう私も、伝説に関して少しばかり気を取られた時期があってね。そのときの話、聞いてみないかい?
学校の先生から聞いた、伝説のサボテンの話だ。
かつて私の地元に、南蛮からサボテンが伝わってきた際、珍しもの好きの豪商が大量に買い付けたそうなんだ。
何台もの台車に積まれたサボテンは、形の整ったものから、まだ種の段階のものまでたくさんあった。
それが、店へ戻る前に通りかかった小高い丘の上で。
動いていた台車が、路上の石に足を取られたのか一台がおおいにひっくり返ってしまったんだ。
よろける、ころ蹴るといった段階じゃない。人がするように大きくのけぞった台車は、載せてあったものをおおいに空へぶちまけた。
サボテンの種たちだ。拘束から放たれたのを待っていたかのように、入っている麻袋がほぼ空中ではじけ飛ぶような形で、種たちを解き放つ。
ごまのような大きさのそれは、大半が重力にとらわれて、さしたる距離を開けられずに地面へ落ち行く。
しかし、一部の種たちはタンポポの綿毛のように、風へ乗った。
その身ひとつで、小高い場所からより低きへ。それぞれが意思を持った鳥のごとく、あちらこちらへと。
豪商側としては、近場に落ちた種のみ面倒をみて、旅たった種たちは捨て置いたらしい。
時は金なり。わずかなものたちに時間を取られるより、手元にある無事なものたちをいかに有効に活用するか。それを検討できる時間は一刻でも長いことに越したことはない。
結果的に種たちはおもいおもいに散らばったままで、おそらくは各々の生を営んでいるのだろうということだ。
「種が着いたのは400年ほど前になる。誰が手を入れ、守ろうとしたことがあるかは分からないが、もう絶滅してしまっているかもしれない。
けれどももし、その時から残っているサボテンを見つけることができたなら、幸運が訪れると伝わっている。
こいつが伝説のサボテンだ」
先生もあくまで話で聞いただけ。その伝説のサボテンを実際に見つけたことはないらしい。
そもそも、家などで育てるサボテンと何か違うところがあるのだろうか。見分けがつくのだろうか。
あいまいな情報提供のために、サボテン探しに乗り出そうとする人の数はすくなかったよ。
しかし、私はおそらくその伝説のサボテンに出くわすことができた。
話を聞いてからしばらく経ったあとの放課後。私は友達と一緒に、近所の空き地でかくれんぼをしていた。
いまだ建設予定の立たない、四角形の敷地。その隅にある土管などは隠れ場所の定番だ。
私は勝利よりも接待をしたい気持ちが強い。かくれんぼの鬼側になったとき、みんなの隠れるのが上手すぎて、まともに見つけられないとストレスが溜まるからだ。
適度にゲームを楽しませるに役立つ、ザコ役がいるといい。それを私は買って出ていたつもりだった。
下から5つ、3つ、1つと重なる土管のピラミッド。
その最下段、奥から二つ目に潜り込んで私は「ん?」首をかしげる。
光がかろうじて差し込む、土管の底に球のような形のサボテンが植わっている。
いや、日の出を迎えたばかりの太陽といったほうが近いか。円全体の上部、およそ4分の1。申し訳ばかりの針を生やす、若々しい姿がそこにあった。
ここは地面じゃなく、土管の底なんだ。不自然さのほうが勝る。
その割に土管の底を突き破って生えたかのようなひび割れはない。コンクリートさえ持ち上げる根のような、自然のポテンシャルを感じない。
私はちょんと足で触れてみた。もし誰かがいたずらでサボテンを切り取って置いたのなら、あっけなく転げてしまうはずだ。
が、それがない。
足先に触れるサボテンは、若さゆえなのか非常に弾力に飛んでいる。つま先に持ち上げられると、ある程度までは身体をぐにぐに曲げた。転げないのは最後のプライドといったところか。
人目をしのぶようにして、しぶとく生きんとするサボテン。
私は先生から聞く、伝説のサボテンの一件を思い出す。こいつはひょっとしたら、その末裔ではないのかと。
ならば、放っておくのが武士の情け。
脊髄反射に抱いた、妙なルールの名のもとに私はそそくさと、その場を後にした。
放っておくといっても、完全に無視するのも難しく。私はそれからもかの空き地を遊び場にすると、つい例のサボテンの様子をうかがうようになったんだ。
本当に伝説のサボテンなのかの確証はない。ただ存在は確かのようで、同じ土管を隠れ場所に使おうとした他の子も、サボテンには気づいたようだった。
空き地はまだ建設予定がたっていないらしい。このままサボテンが存在を周知させるまで育つか、はたまたたった予定に押しつぶされるのか、競争といった様相だ。
私も気づいた子も、あのサボテンには手を入れていないはず。ここはもうあのサボテンの地力に賭けるのみと思ったが、競争は思わぬ水入りを受けて終わってしまう。
土管を遊び場にするのは危ないと、親たちからの声があがったようでね。
土管のある空き地周りを、大人たちがしばしば見回るようになったんだ。土管にもぐるところなんか見られたら、たちどころに引っ張り出された。
私も同じくだ。あの伝説のサボテンの様子をみようとしたところを、かっきし見つかって不意打ち気味に土管の外へ連れ出される。
そのとき、引っ張り出した大人がぽつんとつぶやいた一言が、心に残っている。
「なんだ、妙に大きななめくじだな」と。
思わず耳を疑い、大人の顔も見てしまう。その目線は確かに伝説のサボテンに注がれていたが、さほど関心もないとばかりにぷいっとそっぽを向いてしまう。
後で気づいたんだが、伝説のサボテンに気づき話題にあげるのは、子供たちばかりだったんだ。
大人は伝説のサボテンの伝説は語れど、実物については詳しく踏み込んだことを話さない。
例の空き地もほどなく、工事の計画がたって入ることができなくなってしまった。
伝説のサボテンは子供と大人で、見え方が異なるのだろうか。それもまたサボテンの処世術なのか。それとも大人のいう大きななめくじが、子供にいたずらされないために、防衛本能でしていることなのか。
いまだ、結論は出せていないんだ。