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【オムニバスSS集】青過ぎる思春期の断片

ないものねだりの強がり狼

作者: 津籠睦月

 それは、高校卒業を間近に控えた、ある放課後のことだった。

 たまたま、あるクラスメイトと、教室に二人きりになった。

 それまで、ほとんど話したこともない相手だ。

 だけどその時は何となく、どちらからともなく会話を始めていた。

 

 あと少しすれば、もう毎日顔を合わせることもなくなる。

 そんな、しんみりとした感傷(かんしょう)が、お互い、胸の底に()いたのかも知れない。

 

「本当は、ずっと話してみたかったんだ」

 彼女は、そう言った。

 まるで、(あこが)れの相手に気後(きおく)れして、話しかけられなかったとでも言うように。

「いつも、すごいな……って、思って見てたんだ」

 彼女は、私を()めちぎる。

 

 自分の道を(つらぬ)く、クールなところが格好良(カッコイ)い。

 早いうちから目標を決めて、ちゃんとそこへ向かっていけているのが、すごい。

 それに比べて、自分は平凡で、目標も何も見えていなくて、恥ずかしい、と。

 

 そんなことはない、と私は言う。

 だが彼女は、私のそれを、ただの社交辞令(しゃこうじれい)としか思わなかったようだ。

 笑顔の裏に「(うそ)だって分かってるから」という言葉が、()けて見えるような気がした。

 

 彼女には、言ってもきっと、分かってもらえない。

 彼女の言う“平凡”を、私がどれほど(うらや)ましがってきたかなど……。

 

 自分が周りにどう見られてきたか、何となくは知っている。

 無闇(むやみ)に人とつるまない、我が道を()く“一匹狼”――何となく、近寄り(がた)い存在。

 

 実際、これまでは、ほとんど話しかけられることも無かった。

 (さげす)むでもなく、見下すでもなく、ただ遠巻きに“自分たちとは(ちが)う生き物”のような目で見られてきた。

 

 中にはそんな“一匹狼”に、(ひそ)かに憧れる子もいたのだろう。

 人と()れて生きるのは、しんどいことも多い。

 人間関係の生きづらさに(あえ)ぐ者にとって、群れない“一匹狼”は、さぞ自由に見えただろう。

 

 ――だが、“狼”という生き物は、本来、群れで生きる獣だ。

 チームワークで獲物(えもの)を追い込み、賢く狩りをして生き抜いてきた、社会性の高い生き物なのだ。

 孤高の狼が、月に向かって()えるイメージの“遠吠え(ハウリング)”――それさえも、実態は仲間とのコミュニケーション手段。

 一匹狼なんて、所詮(しょせん)は人間が勝手に思い描いた、摂理(せつり)に合わない幻想だ。

 あるいは、群れにはぐれた哀れな狼が、過剰(かじょう)に美化されただけなのだ。

 

 人間には、二つの性質が存在する。

 群れに馴染(なじ)める人間と、馴染めない人間だ。

 私は完全に後者だった。他人に合わせることができない。

 

 周りに合わせて、自分を(いつわ)ることができない。変えることができない。

 美味(おい)しくもないものを美味しいと言ったり、可愛いと思えないものを可愛いと言ったりできない。

 

 服の趣味も髪型も、流行にさえ合わせたくない。

 流行を追う(・・)なんて、面倒(めんどう)くさい。むしろ、流行に追いかけられるくらいの方が良い。

 他人が(・・・)決めたものを好きになるのでなく、私が(・・)決めたものを好きでいたい。

 他人が(・・・)見つけた何かじゃなく、私が(・・)見つけた何かに夢中になりたい。

 ――こんな私は、いつもことごとく、女子の群れに馴染(なじ)めなかった。

 

 小学校では、周りとぶつかってばかりだった。

 悪気があるわけではないのに、気づけば私の言動は、周囲を不快な気持ちにさせた。

 何が悪いのか、自分でも分からないまま、ただ私の周りから“友達”が減っていく。遠ざかっていく。

 立っている足場が少しずつ、少しずつ(くず)れ去っていくような、あの静かな恐怖は、きっと他の人には分からない。

 

 中学校では、少しずつ物が見えるようになってきた。

 いつでも本音を言うことが良いわけではないこと、“素の自分”がいつでも受け入れられるわけではないことを、私はようやく(さと)り始めた。

 他の女子たちは、賢く、(したた)かに、“周りと合わせる”(すべ)を知っている。

 息を吸うように簡単に、その場の空気を読み、“一番ふさわしい”言動を選ぶ。

 

 私も初めは、それに(なら)おうとした。

 私だって、孤独が好きなわけではない。学校という場なら、なおさらだ。

 だから、必死に周りを真似て、周りと“同じ”になろうとした。

 だけど、私の模倣(もほう)は、いつもどこかで、何かがズレていた。

 ()ばかりをいくら真似ても、本質(・・)が理解できていなければ、間違(まちが)えるのは当然だ。

 言うべき言葉、作るべき表情を間違えて、その場の空気をおかしくしては、いたたまれなくて途方(とほう)に暮れた。

 

 そもそも私は、(うそ)をつくのに向いていない。

 思いと正反対の言葉を口にするたび、心がどうしようもなく疲弊(ひへい)していく。嘘つきな自分のことが、嫌いになる。

 無理をして“本当の自分”を押し込める日々は、毎日毎日心の中で、自分を一人殺していくようなものだった。

 皆と話している時の私は、私であって私じゃない。

 本当の私は、どこにいるのだろう。

 本当の私は、そこまでして(かく)さなければいけないほど、駄目(だめ)でひどい人間なのだろうか――そんな鬱々(うつうつ)とした物思いを、何度も何度も心にループさせる、自分史上最も暗い三年間だった。

 

 最暗黒(さいあんこく)の中学時代を()て、高校で私は吹っ切れた。

 もう、友達なんて、できないならできないでいいじゃないか――もういい加減(かげん)鬱屈(うっくつ)した思考ループに()きていた私は、そんな自暴自棄(じぼうじき)で捨て(ばち)な心の境地(きょうち)辿(たど)()いた。

 素の自分を隠さない、偽らない。それで離れていく人間は、そこまで。

 そんな風に思い切って、高校生活をスタートさせた。

 

 ひとつ誤算だったのは、いつの間にか私の中に、他の女子たちに対する“コンプレックス”が育っていたことだ。

 中学時代、女子の中で上手く立ち回れなかった私は、他の女子たちに“引け目”を感じていた。

 彼女たちに比べて、自分がひどく(おと)っているようで……気後(きおく)れして、上手く話しかけられなくなっていた。

 

 結果、私は“友達作り”に失敗した。どの女子グループにも入れなかった。

 だが、高校では、中学ほどには集団行動が求められず、中学ほどには孤独が気にならなかった。

 むしろ、周りに気を(つか)わなくて良くなった分、気がラクだった。

 ……ラクだと感じてしまう自分に「それでいいのか」と疑問を抱きながら……それでも私は、そのラクさに甘え、ラクさの中に逃げ込んでしまった。

 

 友達づき合いに(わずら)わされなくなった分、自由な時間は増えた。

 趣味にのめり込んだり、バイトを始めたり……学校の“外”での交友関係が増えた。

 学校の外での知り合いは、無理に合わせる必要もない、丁度(ちょうど)良い距離感で、“学校の友達”よりよほど気楽だった。

 もう、無理に学校の“中”に友達を作る必要も無い――そう、自分に言い聞かせた。

 

 だけど私は、学校の中で“ひとりぼっち”に見られるのは嫌だった。

 友達のいない“可哀想(かわいそう)な子”という目で見られるのは、我慢できない。

 

 だから私は“一匹狼”を気取(きど)るようになった。

 孤独になってしまった(・・・・・・・)のではなく、自ら(・・)孤独を選んでいる(・・・・・)のだと……そんな風に()()った。

 一人(・・)だからと言って、ビクビクオドオドしたりはしない。

 一人(・・)だから心細いなんて、絶対に言わない、思わない。

 独り(・・)でも、私は毅然(きぜん)と前を向いて、強く歩んで行ける――そう、自分に言い聞かせた。

 

 一人でも、常に堂々と振る舞っていれば、人は意外と見下して来ない。同情もしない。

 そういうもの(・・・・・・)だという顔で生きていれば、そういうもの(・・・・・・)だと思ってくれる。

 

 だけど、私は知っている。

 群れに入るのを嫌がりながら、時々どうしようもなく、(さみ)しさに(おそ)われてしまう自分を。

 当たり前のように友達とつるんで、笑い合う――そんな彼女たちを、どうしようもなく、(うらや)んでしまう自分がいることを……。

 

 彼女たちは、きっと気づかない。

 自分たちが“平凡”と言い、意識もせずにできていることを、できずに(もが)いている人間がいることなど。

 彼女たちにとって、ごく当たり前のコミュニケーション――そんなことすら、満足にできない人間がいることなど……。

 

 人間って、不思議だ。

 いつも、自分に無いもの(・・・・)ばかり欲しがって、自分の持っているもの(・・・・・・・)に気づかない。

 ないものねだりで、苦しんでばかり。

 私のことを称賛(しょうさん)するクラスメイトの横、私はほんのり切なくなる。

 

 ならば、私の持っているものとは、何だろう。

 彼女の()める私は、見栄(みえ)で作ったハリボテの虚像(きょぞう)だ。

 虚勢(きょせい)を張った一匹狼が、無闇(むやみ)に美化されてしまっただけだ。

 目標に向かって進んでいると言っても、それは叶うかどうかもイチかバチかの、綱渡(つなわた)りな夢だ。

 きっと「目標が無い」なんて言う彼女の方が、しっかりと堅実(けんじつ)に、平凡な幸せを手に入れるだろう。

 私には、そんなありふれた幸せすら、(つか)める気が全くしない。

 

 私にあるのは、強がりだけだ。

 こんな自分にしかなれなくて、それでも格好悪く見られたくなくて、精一杯に強がってきただけだ。

 

 群れで生きる狼は、仲間や別の群れに向かって()える。

 仲間を呼び、自分の存在を主張する。

 けれど一匹狼には、呼びかけるべき相手がいない。

 だから、独り哀しく、月に向かって吠える。

 誰にも届かない叫びを、夜の静寂(しじま)に凛と(はな)つ。

 哀しい強がり。なけなしのプライド。

 その秘められた真実に、人は皆、気づかない。

 

 ――気づかないままで、いい。

 クラスメイトに(あこが)れられる“虚像(イメージ)”を、わざわざ自分で(こわ)しはしない。

 ハリボテのそれが、見破られないかとビクビクしながら、それでも私は“真実”を(かく)す。

 本当は(さみ)しがりやで、(うらや)ましがりで、臆病(おくびょう)な自分を、強がりの仮面の下に隠す。

 それが私の、哀しいプライド。

 

 だけど、強がりでも、虚勢(きょせい)でも、(つらぬ)き通せば、いつかは“本物”になれるかも知れない。

 ハリボテで作った虚像(イメージ)に、少しでも近づきたくて、人に隠れて背伸びする。

 月に向かって手を伸ばすように、遠い憧れに向けて、必死に手を伸ばす。

 群れに()じれなくても、馴染(なじ)めなくても、せめて、私の(ほこ)れる私になれるように。

 

 本当は自分が狼なんかじゃなく、やせっぽちの青白い犬と知りながら……私は、夜に吠える。

 地上の他の群れでなく、天上の月へ向けて。

 

 その虚勢がいつか“本物”になればいい。

 いつか誰かが、月に吠える私の姿を見て、美しいと思ってくれるなら――それで、いい。

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