5 イーストン商会 ~ザガリー・イーストンから見たエリアナ
ザガリー視点のお話しになります。
外国にいくつも拠点を持つイーストン商会は、王都でも屈指の大商会である。ここ数年は戦争中であるこの国を軸にして、大きな利益を上げている。
商会長のザガリー・イーストンは、つい先日も戦地である西の国境を迂回して南側から入国し、必要な物資を軍に届けた後、空になった荷馬車に食料品を積んで王都へ戻って来たばかりだ。
彼がその兄妹に出会ったのは、その途中にある街道沿いのバーレイ伯爵領で休憩している時だった。
「王都まで乗せて頂けませんか? もちろん代金はお支払いします」
礼儀正しい少年の陰に隠れて、十二、三才だろうか? パッチリとした藍色の瞳の少女がワンピースの裾をつまんでお辞儀をしている。
辻馬車の少ない地域では、このように声を掛けられることは珍しくない。今までにそんな一期一会を何度も繰り返してきた。訳ありの人もいた。解雇されて故郷へ帰る使用人、離縁されて王都へ向かう母子、夫の暴力から逃げる妻…………。
そんな彼らと比べても鮮明に記憶が残るほど、この兄妹は奇妙だった。
まず兄妹ではないなとザガリーは思った。茶目茶髪の平凡な少年と藍の目の美少女は、血縁関係にあるとは言い難いほど似ていない。なんとなく兄よりも従者と言ったほうがしっくりきた。
それに少女の所作は明らかに貴族のもので気品もある。しかし貴族にしては古びたワンピースを着ている。柔らかそうな亜麻色の髪は、整えられてはいたものの髪飾り一つなかった。
金がないのは一目瞭然なのに謝礼は出すという。相場よりも高い金額を提示され、ザガリーは戸惑った。
そんな金があるのなら、身なりを整えたほうがいいんじゃなかろうか。お節介な一言が飛び出しそうになり、グッと口を噤んだ。
さらに急に王都に行くことになったと慌てて家を出てきたわりには、切羽詰まった感じがしない。今までの訳ありには、怯えや緊迫した空気といったものが漂っていたが、この二人からはどこかほんわかした雰囲気すらある。
金持ちのはずなのに、金がない。計画的なのに、行き当たりばったり。切羽詰まった状況なのに、のんびりしている。そんな矛盾をいくつも孕んだ奇妙さだ。
ザガリーは少女の姿をチラリと見やった。
気まぐれに家出した貴族令嬢に付き合う従者の少年。そんな絵図が漠然と頭に浮かんだ。だとしても、この着古したワンピースの説明がつかなかった。
ただ、バーレイ家の令嬢ではないかという勘は働いた。バーレイ伯爵の娘がこのくらいの年齢だったと記憶している。
どちらにせよ、自分が断っても他の馬車に乗るだけなのだ。
道中危険な目に遭ってはいけないと、半ば保護するつもりで了承し、自分の家に泊めた。暫くいてもいいと言ったが、目的地があるのは本当らしく二人は翌日に出て行った。
いったい、なんだったのか。
バーレイ伯爵家。その噂は商人であるザガリーの耳にも届いていた。
神の加護があると囁かれている一族であること。女伯爵が亡くなり、現当主は代理であること。その代理が再婚をしたあと、出兵したため不在であること。
「何かあったのかもしれないな」
情報は商人の命綱である。気にはなるが出て行ってしまったものは仕方ない。機会があれば誰かに聞いてみようと頭の隅に留め、ザガリーは通常業務に戻った。
だから数日後、その少女がイーストン商会に現れた時は心底驚いた。それは向こうも同じだったらしい。
「エリアナと申します……あっ……」
一瞬目を見開いたあと、その少女エリアナは、ザガリーが昔世話になった男爵の紹介状を握りしめて、働きたいと請うたのだ。
はて? バーレイ伯爵家の我が儘令嬢は、確かマリエッタという名ではなかったか。もしかしたらこの少女が貴族令嬢だという自分の見立ては間違いだったのかもしれぬ。
ザガリーはそう思いながら封を開けた。
その紹介状には、少女の名前はエリアナといい、男爵の娘ソフィアが半年前まで侍女として仕えていた令嬢であること。屋敷での処遇に耐え切れず、男爵家を頼って王都にやって来たこと。父親が戦争から戻ってくるまでの間、保護を必要としている旨がしたためられていた。
バーレイ家の名は一文字も記されていなかったが、男爵家の娘ソフィアがバーレイ伯爵領から帰ってきたことをザガリーは知っていた。
(もう一人いたのか…………)
社交界デビュー前の子どもでも、王宮主催の交流の場はそれなりに設けられている。だが、バーレイ伯爵家の娘といえばマリエッタ嬢で、エリアナの名は聞いたことがなかった。
ここへ来るまでに新調したのだろう。真新しい庶民用のワンピースに白い日傘と肩にはポシェットをかけている。
「先日は馬車に乗せて頂き、ありがとうございました。あのっ……一生懸命働きます。読み書きも計算も出来ます。外国語も西と東と南の日常会話なら話せます。料理は出来ませんが、掃除と洗濯ならこなせます」
ザガリーはどうしたものかと考える。
男爵がバーレイの名を出さなかったということは、秘密裏に匿えということなのか、もしくは何も知らないことにしろというメッセージか、あるいはその両方か。
ふと白い日傘が目に留まる。今日はどんよりとした曇り空なのに日傘を差してきたのだろうか。
「お嬢ちゃん、その日傘は……」
「あ、あの、実は私、とても肌が敏感なので、これがないと赤く腫れてしまうのです」
エリアナのたどたどしい口調に、嘘がつけないのだなとザガリーは苦笑した。
そして確信する。この子がバーレイ伯爵家の次期当主であり、神の加護を持つ者なのだ、と。
王家の「豊穣」の加護は有名だが、残る二家門の加護についての詳細は秘められている。噂では、「晴れ」だとも「雨」だとも「風」だとも言われている。ある者は「水」と言い、またある者は「生命」の加護だと言う。意図的にぼかされているのだ。
日傘を持っているのなら、おそらく「晴れ」か「雨」といったところだろうとザガリーは推測する。
「よし、お嬢ちゃん、計算ができると言ったな? ならば明日からイーストン商会の事務員として働いて貰おう。男爵家からだと遠いから、うちに住みなさい。あとはもうちょっと親しみやすい呼び名があるといいな。皆と仲良くなれるように」
「でしたらエリーかリアナでしょうか」
「じゃあ、エリーにしよう。今日からお嬢ちゃんはエリーだ」
「エリー……なんだか別人みたいですね」
「そう。別人になってみるのも悪くないだろう? いろいろ詮索されずに済む」
ザガリーの言葉にエリアナは察したようにニコッと微笑んだ。ほんわかしているわりには頭の回転は悪くないようだ。
これで誰かから探られたとき、従業員たちは知らぬ存ぜぬを決め込むことが出来る。あまり表には出さないつもりだが、何かあっては男爵の信用を裏切ることになる。ザガリーは慎重になった。
「はいっ。私は今日からエリーです」
エリアナの表情から、初めて緊張が解けた瞬間だった。
こうしてザガリーはエリアナを雇うことになった。