4 王都へ行きます
龍神の「雨」の加護を持つバーレイ家は、他の貴族たちとは違い少し特殊だ。
王家直轄地に隣接する領地は伯爵領にしてはずいぶんと狭く、領民も多いとは言えない。もちろん税収もそれなりだ。
ただ、王都まで続く広い街道が通っており、商人達の行き交いで賑わいを見せている。そのため侘しさは全く感じられなかった。
同じく「晴れ」の加護を持つハルフォード家も似たようなもので、両家には当主の体面を保つための予算が王家より割り振られている。
つまり王家の庇護下で飼い殺された、名ばかりの伯爵家とも言えるのだ。
エリアナたちは一時間ほど歩いてその王都へ続く街道までやって来ると、商人にルビーのネックレスを売った。大人のリアム君は商談も上手で、想定よりも高値がついた。腹ごしらえをしてから、王都へ行くための馬車を探す。
「王都なんて何年ぶりかしら」
女王主催のガーデンパーティの件で社交から遠ざかって以来、領で過ごすことが日常になった。父親が出兵してからは馬車に乗ることもなくなった。
エリアナはワクワクした。日傘を差し、しゃなりしゃなりと歩きながら乗せて貰えそうな馬車がないか見て回る。
「ん……と、あの人に頼んでみよう」
リアム君が一つの馬車に目を付けるとスタスタと歩いて行く。エリアナは慌てて後を追いかけた。
「荷馬車でよければ構わないよ」と二つ返事で了承したのは、ザガリー・イーストンという大きな商会の長だった。人の良さそうな笑みをたたえるも鋭い眼光を宿した中年の男に、一瞬探るような視線を向けられたあと、荷台へ案内された。
「ありがとうございます。急に父に会いに行くことになったものですから」
いつの間にか大人から少年の姿になっているリアム君は、キリッとした口調で礼を言う。どうやら父親を訪ねて王都へ行く兄妹という設定らしい。
エリアナも「ありがとうございます」とワンピースの裾を摘まんでお辞儀をする。
「ハハハ、そんなに畏まらなくてもいいさ。夕方には到着するだろう」
ザガリーはエリアナの頭をポンポンと撫で、慣れた様子で従者へ指示を出すと、自分は別の馬車に乗り込んでいった。
エリアナが荷台の隅っこにちょこんと座ってから少しすると馬車が走り出す。スピードが加速度的に増していきドキドキと胸が高鳴った。
「もっとちゃんと計画を立てるべきだったわ。リアム君にはお世話になりっぱなしね」
「気にするなヨ。ドキドキ、ワクワクしたいんだろ? そんな旅には行き当たりばったりが一番サ。今日、さっそくドキドキできたじゃないか」
「ドキドキもしたけど、どちらかというとお金がなくてハラハラだったわ」
「そのハラハラのためにボクがいるのサ」
何回かの休憩を挟み、ひたすらまっすぐに街道を進む。田園風景が王都の街並みに変わった頃には、夕暮れになっていた。
ソフィアの家に行くのは明日にすることに決め、宿を探そうとしているとザガリーから声が掛かった。
「今から宿を探すのかい? だったらウチに泊まるといい」
「いえ、そんな、ご迷惑ですから」
いきなり押しかけては家の者がびっくりするだろうとエリアナが辞退すると、家族は別荘にいて誰もいないから遠慮は無用だと言われ、お世話になることにした。
ザガリーの家は商人としては大きく、羽振りの良さを窺わせた。数人の使用人がおり、エリアナたちを部屋に案内した後、夕食と風呂の用意をしてくれた。
エリアナは久しぶりに風呂に入り、髪を洗った。そして、やっぱりお風呂は気持ちがいいと思った。リアム君の水魔法も悪くはないけれど。
ザガリーはエリアナたちの素性を根掘り葉掘り聞くことはしなかった。家が気に入ったのなら、暫く滞在して良いとも言ってくれた。親切な人だった。リアム君は人を見る目もあるのだ。
翌日、ザガリーの家を出て手土産を買ってから、エリアナは一人で王都のはずれにあるソフィアの家へ向かった。
日傘を差し、片手にトランクを持っている。リアム君はヤモリ姿に戻って、エリアナの肩の上で大人しくしている。なぜならソフィアはリアム君を霊獣ではなく、ペットのヤモリだと思っているからだ。
「お嬢さまっ!? どうしたんですか。とりあえず中に入ってください」
突然の訪問に驚いた顔を見せたが、ソフィアはエリアナを家の中に迎え入れた。
領地を持たない貧乏男爵家は小さな一軒家で、それが彼らの唯一の家だった。
学力優秀だったソフィアは、王立学園の学費が払えなくなっていたところをエリアナの母に助けられた。娘の侍女をするのを条件に援助を受け、無事卒業できたのである。いわば恩人の娘だ。幼い頃から世話してきたこともあり、彼女はエリアナのことを誰よりも気にかけているのだ。
「あんのババア! 食事も出さないなんてお嬢様を殺す気ですかっ」
エリアナが王都に出てきた経緯を話すとソフィアは怒ってしまった。
「ソフィア、いくらなんでもババアはいけないわ。それに今までもゴハンなんて出てこなかったじゃない。飢え死にしなかったのは、ソフィアのお陰よ」
「お嬢様……」
「それなのに私ったら、ちゃんとお礼も言わずに別れてしまってごめんなさいね。ありがとう、ソフィア」
エリアナが頭を下げ手土産のアップルパイを差し出すと、ソフィアはあたふたし始めた。
「か、顔を上げてください! そ、それで働きながら、この王都で旦那様の帰りを待つおつもりなんですか?」
「ええ。どこかの貴族のお屋敷で下働きするわ」
「しかしお嬢様、貴族の屋敷で働くには紹介状が必要です」
「……そうなのね」
エリアナはまたしても自分の計画性のなさに項垂れた。
リアム君はああ言ったけれど、もう少し下調べをして来ればよかった。
「ですがここは王都です。貴族のお屋敷は無理でも、きっと働き口はありますよ。メイド以外にやりたいことはありますか?」
「やりたい事というか、なるべく屋内の仕事がいいわね。ほら、私って雨女じゃない? 日傘を差しながらは無理だし、ずっと雨が降ったら皆に迷惑がかかるし」
「そうでした。お嬢様は超がつくほどの雨女でしたね」
「こんな消去法で職探しなんて呆れたかしら」
なかなか上手くいかないものだと、エリアナは思惑が外れたような気分になっていた。
そんなエリアナの胸の内を見透かしたように、ソフィアは優しい眼差しを向けた。
「そんなことありません。商会の事務員なんてどうですか? お嬢様は読み書きも計算も得意ですし、商会なら父の伝手で紹介できるかもしれません」
エリアナの顔がパッと明るくなる。リアム君のスパルタ教育で、領地経営も齧っている。その知識が役に立つかもしれないと少し希望が湧いた。
その晩、エリアナは半年ぶりにソフィアと同じ部屋で眠った。
「私ね、結婚が決まったんです」
だから今日お嬢様が会いに来てくれてよかったです、と控えめな声で報告され、彼女が働きに行かずに在宅していた理由を知る。
エリアナは、近々、王都を出てゆくであろうソフィアの幸せを願った。