3 家を出て行こうと思います
エリアナが日記帳に今日の出来事を記していると、リアム君が戻って来た。
手にはコーンスープとチキンのサンドウィッチを持っている。エリアナのお腹がぐぅ~と鳴った。
昼前にパウンドケーキを食べてから何も口にしていなかったので、まだ夕食の時間には少し早かったが、窓に差し込む茜色に染まった夕日を眺めながら頂くことにした。
「ねえ、リアム君。私、この家を出ようと思うの」
食後のお茶を飲み終わりエリアナが決意を表明すると、リアム君は目を丸くした。
「キミ、急にどうしたの! ここにいてもボクがいれば不自由はないんだヨ?」
「そうなのよ。でもね? この先、このまま誰とも会わないで暮らしてゆくのも違うと思うの」
エリアナは日記帳をパラパラとめくる。この離れに移ってからずっと同じ内容が綴られている。
朝起きてから部屋の掃除をして、ソフィアがいた頃はソフィアが、今ではリアム君が本邸からくすねてきたゴハンを食べて、勉強を習うか読書をして、夜はリアム君の水魔法で身を清めて貰ってから布団に入る。
人と話したのは、半年前にソフィアと別れの挨拶をしたのが最後だ。
この家でエリアナの存在は忘れられてしまった。義母は義理の娘のことを死んでも構わないと放置するほど嫌っている。ゴハンが貰えないということは、そういうことなのだと、エリアナはリアム君に言われて理解した。
ならば、ここに自分の居場所はないと思うのだ。
それに日記帳のページも残りわずかだ。終戦の報せはまだなく、書き終える前に父親が帰って来るとは思えない。当主代理の父が帰って来ない限り、この生活がずっと続くのだろう。
「新しい日記帳には、もっと違うことを書きたいの。ドキドキ、ワクワクするような素敵なことを」
「キミはまだ十三歳の子どもなんだヨ?」
「大丈夫よ。平民には同い年で働いてる子もたくさんいるもの。私にだって出来るわ」
「キミは楽天的だよネ。いいヨ、そこまでの覚悟があるのなら。日記帳の残りはあと何日だい?」
エリアナはリアム君に尋ねられ、慌ててページを数えた。
「えーっと、七日ね」
「じゃあ、七日後に出て行くことにしよう」
「それまでに準備をしなきゃね」
エリアナは俄然、やる気になって来た。
ここではない何処かに、楽しい事が待っているような気がする。
期待に胸を膨らませていると、リアム君は思い出したようにバサバサッと数冊の本を取り出した。
「そうだ、これ」
「何かしら?」
「出発までに勉強を終わらせないとネ。これを読み終われば、王立学園卒業までの学力は問題ないからサ」
「…………」
エリアナの浮き立った気分が一気にしぼんだ。
ソフィアは優しい侍女兼先生だったが、後任のリアム君は超スパルタだ。
どうせ外に出ないならと、ソフィアが去った後、あれもこれもと授業を詰め込んでいた。
ついていけずにエリアナが音を上げそうになると、決まってリアム君はこう言うのだ。「知識や教養は誰にも奪えないからね」と。
お陰で同じ年頃の貴族子女よりも勉強の進みが早い。
「エリアナ?」
黙り込むエリアナの顔をリアム君が心配そうに覗き込む。
エリアナは本を手に取り、読み終わるかしら? と不安になったが、先生の前では答えは一択だ。
「ハイ! 頑張ります……………」
前向きな返答に、リアム君はニッと笑った。
それからエリアナは、家を出る準備どころか日課の掃除もリアム君に任せて、ひたすら机に座って本の虫になったのだった。
家を出る日、エリアナは持ち物を入念にチェックした。
いつも肩にかけているポシェットの中には、ハンカチと少しのお金、ソフィアから渡された住所を書いたメモと母の形見の金の懐中時計が入っている。
リアム君が本邸のエリアナの部屋のクローゼットの奥からトランクを持ってきてくれたので、その中に着替えを入れた。あとはお気に入りの本を一冊。
「忘れ物はないわね」
エリアナは白い日傘を小脇に抱えた。
リアム君はエリアナの肩の上でチョロチョロしている。
「あの日記帳は持って行かないのかい?」
机の上に置きっぱなしのそれを見て、リアム君が指摘する。エリアナはコクリと頷き、引き出しの中に仕舞った。
「ここでの思い出は置いてゆくわ。まずは新しい日記帳を買いに行かないとね」
「キミって、ホントに呑気だナ。ま、いいか。じゃあ、行こうヨ」
リアム君に促され、エリアナは伯爵邸の通用口から外に出た。
日傘を差して、てくてく歩いていると、いつの間にか大人の姿をしたリアム君が横にいてトランクを持ってくれている。
「私を甘やかしたらダメなんじゃなかったの?」
エリアナが自分でトランクを持とうとすると「大人がいるのに、子どもに荷物を持たせるわけにはいかないからネ」と断られた。
「で、どうする?」
リアム君に聞かれ、エリアナはう~んと考える。
「とりあえずソフィアの家を訪ねてみようと思うの。今までのお礼もちゃんと言えてなかったし、あの離れを出たことを報告したいし。手土産を持っていきたいから、街でお菓子を買ってから向かうことにするわ」
「お菓子を買うお金はあるのかい?」
「……ないわね」
ポシェットの中のお財布には金貨も銀貨も入っていない。エリアナはお小遣いを渡されていなかったので無理もないが、これでは今夜の宿もままならない。
ソフィアは家に泊めてくれるだろうか? そんな厚かましい考えが浮かび、住所を書いたメモを取り出す。
「う~ん、これは王都の住所だネ」
後ろから覗き込むリアム君の声にエリアナは項垂れた。
人生、何かとお金が必要だ。寝る場所にもゴハンにも、王都に行くにも。
「まったくキミときたら、肝心なことが抜けてるんだから」
「そうね、うっかりしてたわ」
「でもキミは子どもだから仕方ないよネ。こういう時は大人の出番サ」
リアム君はスーツのポケットから宝石箱を取り出すとエリアナに見せた。中身はルビーのネックレスである。
「これはどうしたの?」
「キミの継母のタンスの肥やしだヨ。あの人は毎月のように新しい宝石を買うからネ。忘れられてクローゼットの奥に埋もれてたのをいくつか失敬してきたのサ。これを街で売れば金になるヨ」
「あら、泥棒したらダメじゃないの」
「キミのための予算で買ったものなんだから、一つや二つ構わないだろう? 泥棒はあっちのほうサ」
「それもそうね。忘れているならきっと気づかないわね。この際、パーッと売っちゃいましょう!」
「本当はキミのサファイヤも持ち出せればよかったんだけど………」
「忘れられてなかったんでしょう? いいのよ、ありがとうリアム君」
持ち出した宝石は他にもエメラルドの指輪、トパーズの髪飾りがあった。
必要ならまた取って来ると言う。霊獣のリアム君は瞬間移動も出来るのだ。
「ボクは優秀だからネ」
大人のリアム君は得意気に胸を張った。