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【番外編】ジャック・シモンズ伯爵のその後 前

ジャック・シモンズ伯爵のその後の話です。

 東国のシモンズ()()()()に龍神の天罰が下った。

 その被害は甚大だ。雨が降り止まず、河川が氾濫して橋と作物が流されてしまったのだ。幸いなことに死者は出ていない。

 しかし一時は日照りで危ぶまれていた作物が、ようやく持ち直し順調に育っていたところだっただけに、領民たちの落胆は大きかった。


 誰よりも意気消沈したのは領主のジャック・シモンズ()()だ。

 正確には彼はまだ領主ではなく、代理である。辺境伯の爵位はまだ彼の父のものであり、ジャックは正式に爵位を継ぐまで何にもないよりはマシだろうと、一族が持ついくつかの爵位の中の伯爵位をあてがわれている。

 その事情を知らない余所者から見れば、なぜか当主が辺境伯ではなく伯爵を名乗っているという紛らわしい状況になっていた。

 本物の当主は、妻であるジャックの母と仲良く旅行中である。


「長い間、田舎に引きこもってたんだ。()退()()に世界一周でもしてくるよ」


 父は後をジャックに任せると、嬉々として旅立っていった。

 そこは引退後だろう……と従兄弟のニックは呆れていたが、父とて辺境を預かる身。甘くはない。

 今回の当主代理は代替わり前の最終試験だとジャックは心得ていた。

 立派に領地を治めるのは当然として、皆から当主と認められるに足る成果を上げなければ――――。

 その焦りが己をあのような愚行に駆り立てたのだろうか?


 ジャックは王命であるマーシャル侯爵令嬢との婚約を独断で破棄し、龍神の「雨」の加護を持つエリー嬢ことエリアナ・バーレイを娶り、隣国を侵略しようと目論んだ。

 きっと自分はどうかしていたのだ。

 イーストン男爵にエリー嬢を紹介された時、ジャックは自分の青目よりも青い藍の瞳に魅入られた。

 平民らしからぬ優雅なお辞儀をして、美しい顔をほころばせた穏やかでふんわりとした佇まいの娘を、ずっとこの地に引き留めておきたいと考え始めたのはいつ頃からだろう。芽生えるほのかな恋心。

 密かに命じた身元調査の結果を聞いて、ジャックは閃いた。

 そうだ。彼女と結婚して神の加護を手中に収め、混乱に乗じて隣国を我が国のものにするのだ。成功すれば父や領民から有能さを認められて、一石二鳥だ。

 咄嗟に考えついたこの策が、あの時はとても素晴らしいものに感じたのだ。

 執事のダレンが賛成し、プロポーズを受けるはずだと請け合ったのでジャックは乗り気になった。

 しかし彼女に逃げられ計画は失敗した。

 翌朝、ザーザー降りの雨を不審に思い、メイドにエリー嬢の様子を見に行かせると、もぬけの殻だったのだ。


『愛する人と幸せになります。探さないでください』


 便箋に走り書きが残されていた。


(は? 愛する人?) 


 ジャックは呆気にとられた。

 彼女はエスコートの度に頬を染めていたではないか。いい雰囲気だと思っていたのに。

 昨夜の話を聞かれていたとしか考えられないほど、絶妙なタイミングだった。

 どんな理由にせよ、大雨の中、女の足でこの広大な領から出て行くなんて無茶である。どこかで行き倒れていてもおかしくない。ジャックはすぐさま捜索隊を出すよう指示した。

 だが彼女は戻ることはなく、その報告は驚くべきものだった。

 エリー嬢は馬に乗って遁走しており、男が二人付き添っていた。そして彼らを追って近づくとその場から搔き消えたというのだ。


「まるで魔法のように目の前からパッと消えたのです。信じられません」


 彼女に協力者がいたことよりも、自分の目で見たことが余程、衝撃的だったのだろう。隊長の声が僅かに震えていた。

 念のため捜索は続けられたが見つからず、エリー嬢は行方不明となった。

 もしかしたらイーストン男爵のもとに戻っているかもしれないと問い合わせるも返事は「否」である。


「どういうことです、伯爵? あの子はうちの従業員で、恩人から託された大切な娘さんだ。何かあれば私の責任になる。私たちは善意であなた方の力になろうと領まで赴いたのに、何をどうしたら彼女が出奔する事態になるんですか」


 ジャックはイーストン男爵から、不機嫌さを隠そうともしない苛立った声で責められ、睨みつけられた。


「…………あまりあの子とあの国を甘く見ないほうがいい」


 世界を股に掛ける百戦錬磨の商会長は、若輩者の当主代理の考えなどお見通しだと言わんばかりに忠告した。

 彼の態度でジャックは自分が軽率だったのだと悟った。

 そしてこのザマだ。


 ジャックは、事の次第を耳にした東国王から呼び出され叱責を受けた。その足でマーシャル侯爵家に謝罪に行き、帰路につく。


(終わったな、俺)


 マーシャル侯爵の領地はシモンズ領の隣で、婚約者だったアリシアとは幼馴染である。お互いによく知りすぎていて、男女の仲というよりは悪友だ。せめて本人に会って謝りたいと思ったが、不在と言われてすごすごと侯爵邸を後にした。


「娘からは『謝罪の必要はない』と言われているのでね」

 

 会う事すら拒否されるとは。

 ジャックはガックリと肩を落とし、まだ慣れない栗毛色の馬に跨る。成人祝いに両親から贈られた彼の愛馬は、出奔の際にエリー嬢が乗って行ってしまったのだ。

 黒毛の軍馬アスランは気高く勇敢だ。今までジャック以外の人間を乗せようとしなかったのに、あっさりと他人に背中を許していなくなった。

 愛馬にまで愛想を尽かされたのかと、ジャックは虚無感に襲われていた。


 父親の期待に応えるどころか、自分の失態でやる事が山積している。被害に遭った畑を整備し、橋も架け直さねばならない。

 おそらく次の当主は従兄弟のニックに挿げ替えられるだろう。ニックが領民のデイジーと恋仲になり当主候補を辞退するまで、彼が有力候補でアリシアと婚約するはずだったのだから。


 日が傾きかけた頃、数日ぶりにジャックが自領に戻ると皆が畑の後始末に精を出していた。


「さあ、ここを片付けたら、今日はもう終わりにしましょう! 皆さぁーん、お疲れ様でーす。また明日も頑張りましょう」


 ショッキングピンクの頬被りにモンペ姿のひと際目立つ令嬢が、泥だらけで腰に手を当て威勢のいい声を上げている。

 まさかと思い近づくと目が合った。


「あら、ジャック! 遅かったじゃないの」


「アリィ!?」


 元婚約者のアリシアだった。子供の頃からお転婆だった彼女は、昔はよく泥んこになって遊んでいたものだが、今では社交界でも評判の淑女である。それがどうしてこんな所で頬被りをしているのか。


()()()()()()()が格安で肥料と資材を融通してくれたから持って来たのよ」


 見れば、侯爵家の兵と思しき一団がテントの中に資材を搬入している。

 なんだかんだ言ってもジャックを見捨てないのが、イーストン男爵の人柄の良さである。しかしジャックはマーシャル侯爵から何も聞かされておらず困惑した。


「なぜ、君が?」


「なぜ……って、婚約者だもん。ウチが支援するのは当然でしょ?」


「俺たちの婚約は破棄されたはずじゃ…………」


 アリシアは、何言ってんの? とでも言うような怪訝な面持ちになった。

 だが訳がわからないのはジャックのほうだった。

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