22 王家の日記 ~女王の回想
最終話、女王視点のエピローグです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
藍色の瞳をした新郎新婦が幸せそうな満面の笑みで神殿から出てくると、人々から祝いの言葉とライスシャワーが降り注いだ。
晴天の空に花びらが舞う。その刹那、祝福するかのように小雨がパラついた。
エリアナ・バーレイ伯爵令嬢とその守護霊獣リアム君の結婚式を見届けた女王はやっと肩の荷が下りた心地になった。
女王がかつての友の娘を思い出したのは、あの土砂降りの収穫祭の時だった。
さあこれからという時に台無しになった、いつぞやのガーデンパーティを思い起こさせたからだ。
エリアナの母とは王立学園で知り合った。同性として、加護持ちとして、同じ悩みを共有した親友だったのに、女王に即位したプレッシャーと日々の公務に忙殺されているうちに疎遠になり、いつの間にか彼女は儚くなってしまった。
(そういえばあの娘は、あれ以来どうしているのであろう)
気にはなったが戦時中ということもあり、深く追及する余裕はなかった。
考えてみれば、国境付近で勃発した部族間争いになど介入しなければよかったのかもしれない。あそこはもうずっと昔から犬猿の仲で、何かというと小競り合いを起こしている。
それでも第二王子に鎮圧を命じたのは、王家の加護の力が弱くなり、それ以外の実績が欲しかったからだ。
だが勝利はしたものの五年間の出兵は軍を疲弊させただけでなく、盛大に催した祝賀会が大雨に見舞われ、王家に従順だった神官たちから「不吉だ」との声が上がる結果になってしまった。
自分はいったい何を間違えてしまったのか?
そしてまた、友の娘を思い出す。
加護持ちのハルフォード伯爵は念願の王宮図書館勤めで、バーレイ伯爵は軍で重用されている。二家門をないがしろにしているつもりはない。
しかしクラークは当主代理であって加護持ちではない。女王はそのことにはたと気づき、肝心の娘の顔を知らない事実に愕然とした。
記録を調べさせると、あのガーデンパーティ以降、王宮の招待者リストからエリアナ嬢の名前が削除されている。
「陛下のご不興を買ったと、当時の女官長が削除を指示なさいました」
再び茶会に招待するようになっても、やって来るのはクラークの義娘のマリエッタ嬢だけだった。
(龍神がお怒りになるやもしれぬ)
いや、それ以前に、親友のたった一人の忘れ形見である。多忙だったとはいえ、どうしてもっと気にかけてやることが出来なかったのか。
女王は悔いた。エリアナ嬢が国を去り日照りで作物が絶望視されると、とうとう来るべきものが来たかと覚悟した。
毎日、神殿で祈りを捧げても手ごたえがない。反乱が起きると噂が広まる頃には、臣下を前に虚勢を張るのがやっとであった。
「陛下、私が龍神様に取り成しをお願いしてみます」
エリアナ嬢に会った時、母親に似た面差しに懐旧の情が押し寄せた。
いつも他人の為に行動する優しさは彼女と同じだ。自分は何もしてあげられなかったのに、この娘は無償で力を貸してくれようとしているのだ。
(せめてこれからは友の代わりに見守ってやらねば)
女王はそう心に誓った。
王の執務室には、歴代の王が綴った日記を保管している隠し部屋がある。加護持ちにしか読むことのできない日記は壁一面の膨大な量に及ぶ。
部屋の隅に置かれた小さな机に座り、その日の出来事を記すのは女王の日課だ。
玉座にいると権力の甘い汁を吸おうとするか、足の引っ張り合いばかりで気の休まる暇もない。だが、この白いノートにペンを走らせる間だけは、胸の内をさらけ出して素の自分に戻ることが出来た。
「エリアナ嬢は正しい選択をしたのだな」
今日のぶんを書き終えると、女王はひとり呟いた。
力の強い加護持ちに現れるという守護霊獣。
実は生涯の伴侶として降りてくる存在であることを、女王は七代前の王の日記で知った。
半信半疑だったが、エリアナ嬢に付き添うリアム君を目にして納得がいく。愛おしそうな眼差し。二人は互いに想い合う恋人のオーラを発していた。
きっと七代前の王もこんな風だったのだろう。しかし彼は他国の王女と政略結婚をした。
女王はもう何度も読んだ七代前の王の晩年の日記を手に取った。
『皇歴 1×88年 ○月18日
イルゼに会いたい。
この身が老い、病に侵され、命が尽きかけている今となっても毎日そのことばかり考えている。
「あなたと結婚すれば私は人として生きられるわ」
あの時、イルゼはそう言って手を差し伸べたのに、余はその手を取らなかった。
彼女は守護霊獣だから、このまま一生傍にいるはずだ。
ならば王である余は、国益を優先すべきだ。
そう思った。
イルゼは悲しそうな顔をしていたが、余の選んだことならばと政略結婚に賛成してくれた。
この時余は、常に彼女が余の意志を尊重してくれていたことを忘れていた。
だから間違えてしまった。
翌日からイルゼの姿が見えない。呼びかけても返事がない。
彼女は気まぐれだから、そのうちフラッと現れるだろう。
そう考えて数日が過ぎ、数か月が過ぎ、数年が過ぎた。
いなくなって初めて彼女を愛していたのだと気づく。
イルゼという名前は、幼い頃に余が付けた。
思えばその頃から、余は彼女に心を許していた。
時に友のように、姉のように、そして恋人のように寄り添い、守り、包んでくれる、かけがえのない人。
何か情報はないかと必死に王たちの日記を読み漁った。
そして見つけた無慈悲な記述。
守護霊獣は伴侶となるべく遣わされ、その選択は加護を持つ者に委ねられる。
他の者を伴侶に選んだ場合、守護霊獣の姿は消え二度と目にすることはない。
……なんてことだ。
彼女の最後の言葉を思い出す。
「ずっとあなたを見守っているわ」
愚かなことに余はこれを「今まで通り」の意味だと自分に都合よく解釈した。
余はイルゼの優しさに甘え、傷つけたのだ。
今まで通りであるはずがないじゃないか。
余は大馬鹿者だ。
それからずっと後悔し続けている。
イルゼに会いたい。
このところ体調が急激に悪化している。
ここに願いを記すのも今日が最後になるかもしれない。
死んだらイルゼに会えるだろうか。
イルゼに会いたい。イルゼに会いたい。イルゼに―――― 』
狂おしいほど愛する人の名を叫んだページの最後は、涙でインクが滲んでいた。
彼は歴代で最も強い加護を持ち、王妃と国を盛り立て、民に慕われた賢王だったのに幸せになれなかった。
「リアム君は二人で一人みたいな感覚なんです。いなくなったら? う~ん、気が狂ってしまうかもしれません」
エリアナ嬢は以前、自身の守護霊獣をこう語っていた。
なるほど、己の半身を失えばそうなるのだろう。
女王は二人の幸福を願い、日記を閉じると隠し部屋を後にした。
後に、バーレイ家とハルフォード家は名誉回復し、本来の公爵位と領地を返還されることとなる。
エリアナ嬢とその夫リアム君は、三人の子どもたちと孫バカの父親に囲まれて賑やかな家庭を築いたという。
女王は生涯、彼らを温かく見守った。