21 幸せになりました
エリアナたちが神殿の外に出ると雨はもう降り出していた。
「雨……」
王太子が天を仰いだ。雨粒を顔面に浴びて、女王と同じ「豊穣」の加護持ちが受け継ぐ深緑の瞳が潤んでいる。
「いやぁ、雨は癒されますな。どうも晴ればかりだと毎日あくせくしてしまう。エリアナ嬢には感謝せねば」
王宮図書館で司書をしている「晴れ」の加護持ちハルフォード伯爵は、父クラークと同世代である。本さえ読めればそれでいいという出世欲のない御仁らしい、のんびりとした態度を見て、加護が眠ってしまったというリアム君の表現にエリアナはなんとなく合点がいった。
きっと彼は本以外のことに興味がなく、自身の加護について無関心過ぎたのだ。
「エリアナ嬢、すまぬな。ここまで世話になっておきながら、表立って褒美を授けることも出来ぬ」
国の混乱を避けるためには、王家の加護を取り戻すと同時にカリスマ性を示さなければならない。すべて王家の手柄とするために、エリアナが尽力したことは秘密にした方が良いと事前に打ち合わせていた。
「しかし――」と女王はリアム君を見てニヤリと笑う。
「そなたたちの結婚の手伝いくらいならすぐにでも出来よう。まずはエリアナ嬢と並ぶにふさわしい身分を整えるとしよう。今後は堂々と王宮に出入り出来るようになる。エリアナ嬢の社交界デビューで会うのが楽しみだな」
「おお、陛下。身に余る光栄に存じます」
リアム君はわざとらしく大仰にお辞儀をする。
エリアナは舞踏会でリアム君と踊る自分の姿を想像して顔を赤らめた。
「あ、ありがとうございます…………」
恥ずかしがる少女の姿に、周りの大人たちは自然とほころんだ笑みを浮かべるのだった。
雨はしとしとと降り続く。
地面を潤したあと、ようやく顔を出した太陽が田畑を照らした。女神の「豊穣」の加護によって、枯れる寸前だった作物が元気になりグングン成長していく。
一夜にして生育の遅れを取り戻した光景を目の当たりにした人々は、これを「王家の奇跡」と呼んだ。
この年は例年以上の豊作に恵まれ、王家を軽んじる声も反乱の噂もたちどころに消えることとなった。
ただし、東国のシモンズ伯爵領だけは、例年の半分という凶作に見舞われた。雨が降り止まず、川が氾濫し作物が流れてしまったのだ。
世界各地が豊作であるにもかかわらず、唯一不作だったシモンズ伯爵領は国内随一の穀倉地帯としての面目を失った。
「キミにひどいことをしようとするから、龍神が怒ったのさ」とリアム君は解説する。
その機を逃さず、不足分の穀物を援助して友好国としての立場を世界に喧伝したのは女王である。大国である東国との関係が良好であることは、この国を狙う者たちへの一番の牽制になった。
東国王はシモンズ伯爵が隣国の侵略を目論み龍神の逆鱗に触れたこと、王命である婚約を勝手に破棄しようとしたことを知ると怒りに肩を震わせた。
婚約者であるマーシャル侯爵令嬢に同情が集まり、シモンズ伯爵は社交界で針のむしろだという。
来期以降の収穫次第では、当主の座を下ろされることになるだろう。
そして迎える収穫祭。
エリアナと父クラークとリアム君は、正式に招待されて貴族席に座っている。日傘は差していない。
リアム君は女王から公爵家の三男という人間としての身分を授かった。書類上は、女王の従兄の養子だ。今後は王族がリアム君の後見につく。守護霊獣は神の使いなので、かなり気を遣ってくれたようだ。
夕焼けが始まる昼と夜の狭間で、松明の炎が風に揺らめく。段々と夜が近づくにつれ、辺りは静けさを纏った厳かな雰囲気に包まれていく。
祈りを捧げるのは王太子である。次代の「豊穣」の加護が健在であることをこの場で知らしめたいのだ。
「雨……」
パラパラと雨が降り出す。しかし本降りとはならず、オレンジ色の空と共に夕闇の中に消えていった。
「祝福の雨だよ」
加護のバランスが取れている証拠だとリアム君は言う。
あの祈りの日以来、日傘がなくても雨が降らなくなった。エリアナはお日様の下を堂々と歩けるようになったのだ。
「もう日傘はいらないのね」
エリアナが感慨深げに呟くと、リアム君は「ずっと望んでいただろう?」と微笑んだ。
幼少からずっと領地に引きこもっていたエリアナは、生活の拠点を王都に移した。
イーストン商会は正式に退職したが、時々、ザガリー邸を訪れてはメイドのベティとエバおばさんに会っている。
「エリーは貴族だったんだね」
最初はバーレイ家の家門入りの馬車と令嬢らしいエリアナの装いを見て、二人は目を丸くする。しかし、もともと訳ありだと思っていたからか、すんなりと受け入れられた。
孤児院への差し入れも続けている。
さらにエリアナは、試験を受けて王立学園に編入した。
「ほら、私、社交に参加していなかったから、貴族のお友達がいないじゃない? それに和気あいあいとした学校生活に興味があるのよ」
今までのソフィアとリアム君の教育の成果がいかんなく発揮され、エリアナは最終学年の一番上のクラスへの在籍を許された。もちろんリアム君も一緒だ。
「将来のために人脈を作っておいたほうが良さそうだからね」
もう学ぶことがないほど優秀なリアム君は、学園に通う理由をこう話す。ちゃんと人間として生きていくつもりなのだ。
彼は女王にも認められたエリアナの婚約者だが、とても美男子だったため令嬢たちにモテていた。
「あなたなんか、リアム様にふさわしくないわっ」
権力を笠に着てエリアナに婚約解消を迫る侯爵令嬢もいたほどである。
それはどこかホワンとした可憐さを持つエリアナも同様で、自分の婚約者を差し置いて言い寄る男が列をなしていた。
「僕のエリアナに近づくなんてっ!」とリアム君はいつもプンプン怒っていた。
(和気あいあいの学校生活とはいかなかったわね)
エリアナの予想したものとは少し違ったが、それでも数人の令嬢と仲良くなり、社交の勉強にもなったので満足している。
女王のお声掛かりで社交界デビューも無事に果たせた。エリアナは生まれて初めてのダンスをリアム君と踊ることが出来た。
父クラークは娘のエスコート役を婚約者にとられ、ハルフォード伯爵に慰められていた。
エリアナは今日の出来事を日記に綴る。
あの離れを出てからの日記帳は四冊目である。
学園を卒業して十八歳になったエリアナは、もうすぐリアム君と結婚するのだ。
「いろいろなことがあったわ」
エリアナは日記の表紙を撫でる。
「ドキドキ、ワクワクするようなことが?」
後ろから声を掛けてきたリアム君に、エリアナは思わず抱きつく。
――新しい日記帳には、もっと違うことを書きたいの。ドキドキ、ワクワクするような素敵なことを。
エリアナの言葉を彼はずっと憶えていてくれたのだ。そして導いてくれた。
「そうね。ドキドキとワクワク、そしてハラハラするようなことがね」
「そのハラハラのために僕がいるのさ。何があってもキミを守るためにね」
リアム君は優しく微笑み、エリアナの唇にそっとキスをした。
次回、最終話です。
※デビュタント → 社交界デビュー に訂正しました。