20 心を込めて祈りましょう
エリアナは亡き母の青いドレスに身を包み、かつて父親にプレゼントされたサファイヤのネックレスをつけた。エリアナの予算は義母たちに散財されてしまい、ドレスを一着も持っていなかったので、急遽、母親のお古を手直ししたのだ。
「どうかしら?」
くるりと一回転してみせる。
「綺麗だ」
クラークとリアム君は相好を崩した。
あれからエリアナたちは女王に謁見するために王都にやって来た。
「王都を離れて一年も経っていないのに、なんだか懐かしいわね。まさか戻って来るとは思わなかったわ」
ずっと平民として東国で暮らそうかと考えていたのに、なんだかんだとバーレイ家の令嬢としてエリアナは今ここにいる。
「また嫌になったら、出ていけばいいのさ。いつだって僕はキミと一緒だよ」
王宮に向かう馬車に揺られながらリアム君はエリアナの手をぎゅっと握っている。それを見たクラークはギョッとして叫んだ。
「で、出て行くなんて言わないでくれ。エリアナが出て行くならお父さんだって一緒について行くさ」
「あら、お父様にまで出て行かれたら伯爵家が空っぽになってしまうじゃないですか。ハリスが悲しみますよ?」
途方に暮れるハリスの姿が目に見えるようだとエリアナは笑った。
「それに私、今はエリアナ・バーレイとして暮らすのも悪くないと思っています。あの場所にはお母様やお父様、リアム君との思い出がたくさん詰まっていますから」
「エリアナ……」
娘の言葉に安堵するようにクラークがホッと肩の力を抜いた。そのうちに馬車は王宮入口へと吸い込まれていった。
女王は王宮の一室で待たせていたクラークの姿を認めると人払いをした。一人の護衛もないのはクラークに対する信頼の高さと、加護持ち特有の機密ゆえである。
「そなたがエリアナ嬢か」
エリアナは父クラークの横で深く膝を折ってお辞儀をする。デビュタント前の伯爵令嬢とは思えないほど完璧なカーテシーは、ソフィアの特訓の賜物である。
「女王陛下にご挨拶申し上げま――――」
「ああ、よいよい。ここには誰もおらぬ、楽にせよ」
口上が遮られ、ソファに座るよう促されるとエリアナは下座にちょこんと腰を下ろした。
するとヤモリ姿のリアム君が「ちょっと、ちょっと!」と話しかけてきた。今のところリアム君には身分がないので、王宮の警備に引っかからないようエリアナの肩の上に隠れていたのだ。
次の瞬間、ボンッと本来の美青年の姿に戻ると「キミはこっち」と下座からソファの中央までエリアナを引っ張った。
「ちょっと……リアム君」
エリアナが小声で窘めるが、気づけばクラークとエリアナ、リアム君の三人横並びで腰掛けていた。
女王は突如現れた藍色の瞳の美青年に瞠目し、納得した様子で上座から向かいの席に移った。
「も、申し訳ございません」
エリアナがリアム君の粗相を謝罪する。
「謝らずともよい。そなたの守護霊獣はこう言いたいのだ。わらわとそなたは対等である、と。そしてそれは正しい。建国当時、加護持ち三家門の立場は同等だったのだから。今はもう誰も知らぬことだがな」
この国は三家門の始祖により建国された。便宜上、民に受け入れられやすい「豊穣」の加護を持つ者が王におさまり、他の二人は補佐にまわった。長きにわたり王と公爵として良好な関係を築いてきたが、六代前の国王の時代に変化する。
先代よりも加護の弱かった王は、王位を取って代わられるのではないかと二家門を警戒し始めたのだ。王は彼らの権勢を削ぐべく、罠に嵌め、言いがかりをつけて伯爵位に降格した。それから二家門が力を付けないようにコントロールし、現在のような名ばかりの伯爵家となったのだと女王は語った。
「思えば、王家の加護が弱くなり始めたのはそれ以降のこと。力が弱くなるにつれ、王家は臣下の統御に一層の重きを置くようになった。今や祈りの儀式は空洞化され、国民向けのパフォーマンスにすぎぬ。我らが加護を失うのは当然のことよの。わらわと王太子が神殿で祈るようになったところで、女神には今さら虫がいいと呆れられているのやもしれぬ。反乱の噂も囁かれておる。王家はもう終わりかもしれぬな」
女王は弱音を吐く。しょげてしんみりとしている姿がエリアナの同情を誘った。
エリアナは思い切って口を開く。
「陛下、私が龍神様に取り成しをお願いしてみます」
神殿に行き龍神に取り成して貰うことが出来れば、再び王家の加護が取り戻せるのだと説明する。しかし女王の顔は晴れない。
「せっかくの申し出だが、それこそ虫がよいのではないか? 地道に祈りを捧げることが女神の望みではないかと思うのだが……」
「それだとたぶん、王太子の息子の代まで時間がかかるよ。それに加護が戻ってからだって祈り続けることは出来るはずだ」
王族に敬意を払う気など毛頭なさそうなリアム君が、素っ気ない態度で忠告する。
そこでようやくクラークも割って入った。
「恐れながら陛下、事は急を要します。東国のシモンズ伯が我が国の侵略を画策しているのです。やつらは内乱に乗じてこの国を乗っ取るつもりです」
「何!?」
女王はクラークの報告に目を見開き、詳しい話を聞くと考え込んだ。
「このところの不穏な噂も彼らの仕業かもしれぬな。東国王はシモンズ伯の企みをまだ知らぬのであろう? 知ればどう出るのか……友好国といえども攻めてくる可能性は高い。それにこの先同じことを考える輩も出てこよう」
「はい、陛下。そうなれば我が国の軍事力では太刀打ちできませぬゆえ、早期に手を打つ必要があります」
「エリアナ嬢が無事帰国できたことは幸いだった。加護持ちを手中に出来なかったことで、彼らも少しは動きにくくなるだろう」
リアム君のズルで目の前から消えたエリアナたちが帰国したことは、シモンズ伯爵たちはまだ知らない。彼らが次の行動に移る前に、エリアナの行方を確認しようとするだろう。居場所がバレる前に、なんらかの策を弄さねばならない。
「侵略を許し、民に犠牲を出すわけにはいかぬ。エリアナ嬢の厚意をありがたく受けるとしよう」
女王は意を決したように顔を上げた。側近を呼ぶと「晴れ」の加護持ちであるハルフォード伯爵を急ぎ召すよう命令し、神殿の神官長に急使を送った。
数日後、女神の加護を持つ女王と王太子、太陽神の加護を持つハルフォード伯爵、龍神の加護を持つエリアナとその守護霊獣リアム君が再び集まった。
彼らが跪き、一心不乱に祈りを捧げる様子を銀髪の神官長は静かに見守った。
天井には太陽の壁画、すべての柱に龍が彫刻された神殿の女神像の前でエリアナは希う。
龍神への感謝を。
女神への取り成しを。
太陽神の加護の目覚めを。
そして世界の平和を。
静かに手を合わせ時間の感覚がなくなった頃、辺りに黄金色のまばゆい光が降り注いだ。
――我が愛し子よ、願いは聞き届けられた。
耳ではなく頭の中に威厳のある重厚な声が響く。
エリアナが振り返ると、リアム君が肯定するように頷いた。