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2 誰も来ません

 それから半年が過ぎたが、その間、この離れには誰もやって来なかった。

 家事は分担してエリアナは部屋の掃除を、少年姿のリアム君は外で洗濯をしている。

 リアム君は優秀なので、なんでも出来る。食堂から果物やお菓子を盗んでくることも朝飯前だ。

 だからソフィアがいなくなった後も、エリアナの暮らしに大きな変化はない。


「ふぅ~、誰もやって来ないわね」


 正直、ここまで放置されるとは想像していなかった。

 エリアナの世話をする者がいないことは、義母のジェシカも知っているはずだ。

 この離れに追いやられる際に、本邸への出入り禁止が申し渡されている。

 それなのに通いのメイドはおろか、食事などの生活必需品を届ける者すらやって来ないのだ。

 今エリアナが生きているのは、リアム君の頑張りのお陰である。 


「やっぱりお義母様は、私のことが邪魔なのかしら?」


「ちょっとキミ、今頃、気がついたの? ニブすぎだヨ」


 エリアナがポツリと呟くと、洗濯を終えてやって来たリアム君が返事をした。


「う、薄々わかってはいたのよ? でもねぇ、まさかゴハンすら貰えないとは思わなかったの。それとも殴られないだけマシなのかしら」


「キミはずいぶん呑気だネ。人はゴハンがないと死んじゃうだろ? でも殴られ続けると、心が死ぬからナ。体が死ぬか、心が死ぬか…………う~ん、どっちもイヤだネ」


「どちらにしても私は死ぬのね」


「まあ、はっきり言えるのは、キミのお父さんに人を見る目がなかったってことだネ」


「そうね」


 父親に人を見る目がない。そのことにはエリアナも同意だ。そして、そこまで自分が邪魔者だという自覚がなかったので、さすがにしょげて肩を落とした。


 そもそも次期当主である加護持ちのエリアナが、なぜ虐げられているのかと言えば、やはり父親の再婚がきっかけだろう。

 エリアナが八歳の時に実母が病で亡くなり、婿である父のクラークが伯爵家当主代理になった。次代のエリアナが成人するまでの処置である。

 しかし今から三年前、エリアナが十歳の時に、西国(ザイコク)側の国境付近の部族間争いを鎮圧するため、クラークも出兵することになったのだ。

 戦争の長期化が予想されたため、エリアナの母親代わり兼伯爵家の留守を守る女主人が必要となり、急遽迎えたのがジェシカである。彼女はクラークの実家の親戚筋に当たる子爵の娘で、八歳になる連れ子のマリエッタがいた。

 クラークは、親戚に勧められるまま出兵の数日前に形ばかりの結婚式を挙げ、婚姻届けにサインし、慌ただしく領地をあとにした。


「くれぐれも()を頼みます」

 

 彼にとっては「娘を頼む」と同義だったが、いかんせん言葉選びが悪かった。加護持ちの家門にとって、家を守るとはその後継者を守ることに他ならない。

 特に功績があるわけでもないバーレイ家が王家より伯爵位を賜っているのは、「雨」の加護を絶やすなという意図からである。

 王家の持つ「豊穣」の加護の力が弱い時には「晴れ」と「雨」の加護持ちがそのフォローをしなくてはならないからだ。つまりエリアナを失えば、バーレイ家は貴族としての存続意義がなくなる。

 そんな諸々の事情など、ジェシカは知らなかった。

 彼女にとって「家」とはバーレイ伯爵家のことであり、家族のことである。そしてジェシカの家族とは、夫クラークと娘のマリエッタだ。前妻の娘など邪魔なだけだった。

 少しずつ使用人を入れ替えて屋敷の主導権を握るのと同時に、エリアナの扱いがぞんざいになっていった。

 エリアナが社交界から爪弾きであるのをいいことに、家庭教師を辞めさせ外部との接触を絶った。エリアナにかける予算を娘のマリエッタに回し、ドレスの代わりに安物のワンピースを与えた。

 理由をつけてエリアナを本邸から粗末な離れに追いやり、口うるさい家令のハリスを健康上の理由で引退させると、もうジェシカの天下だ。

 エリアナの侍女ソフィアと数人のメイドを解雇したあとは、次期当主エリアナの顔を知る使用人は一人も残っていなかった。

 こうしてエリアナの存在は、社交界からも伯爵家からも忘れ去られたのである。


「まあ、キミのお父さんはハリスがいれば大丈夫だと思ったんだろうけどネ。彼はもうお年寄りだったし、さすがに法律上の妻には敵わないよネ。ねえ、エリアナ、元気出してヨ。今、おやつ持ってくるからサ」


 リアム君はポンッと煙のように姿を消すと、トレイを手にすぐに戻って来た。トレイにはホカホカと湯気のたった紅茶とパウンドケーキが載っていた。


「まあ! 美味しそう」


 エリアナはソフィアの淑女教育を思い出し、マナーに則った所作で優雅に紅茶のカップに手を添えた。誰も見ていないが、習ったことを忘れないように日頃からきちんとしようと心掛けているのだ。


「それにしても、よ。 リアム君にこんなことが出来るなら、なぜソフィアがいた時は何もしなかったの? 彼女にもこんなに美味しいケーキを食べさせてあげたかったわ」


 リアム君が頑張り始めたのは、ソフィアが去った翌日からである。それまでのリアム君は、しゃべる以外はエリアナの肩で昼寝をするか、どこかに散歩に行っているかの普通のヤモリだったのだ。

 

「キミ、キミ。なんでもかんでもやってあげたら、成長しないだろう? 甘えて怠慢になったり、我が儘になったり碌なことがありゃしない。キミの義妹のマリエッタのようにネ」


 リアム君は情報収集能力にも長けている。

 その彼が調べたところによると、甘やかされて育ったマリエッタの態度は酷いものだという。

 髪型が気に入らない、ドレスが気に入らない、食事に出されたニンジンが嫌いだなどと使用人に当たり散らす。家庭教師の授業を真面目に受けず、勉強がなかなか進まない。家庭教師が苦言を呈すると、母のジェシカに泣きつく。もう何人も教師が辞めて長続きしない。


「す、すごいわね」


「だからネ、ボクがたくさん手を貸すときは、キミがそれだけ窮地にいるということでもあるんだヨ」

 

 リアム君の解説にエリアナは、なるほど、と納得した。しかし、口いっぱいに広がる甘いパウンドケーキに幸せを感じ、自分が窮地に陥っている感覚がない。


「実感がないのは、きっとリアム君のお陰ね」


「まあネ。ボクは優秀だから」


「ありがとう」


 お礼を言うとリアム君は照れ臭そうにもじもじして、それから食べ終わった食器を持って消えた。


「お父様が戻ってくるまではと思っていたけれど…………」


 エリアナは独りごちる。

 リアム君は言わないけれど、エリアナは気づいている。

 本邸のエリアナの部屋にあった母の形見の宝石類が、義母たちのものになっていることに。誕生日に父親から贈られたサファイヤのネックレスも。

 エリアナはポシェットの中から、金の懐中時計を取り出した。ドラゴンの家紋の入ったそれは、龍神の「雨」の加護を持つ者に代々受け継がれるバーレイ家当主の証であり、母の形見だ。


(私には、これがあるんだから充分だわ!)


 エリアナは蓋の外側に掘られたドラゴンの紋章をそっと撫で、またポシェットに仕舞った。


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